富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

蘋果電脳と私

fookpaktsuen2011-08-25

八月廿五日(木)早晩にFCCで独酌。麦酒はなるべく飲まないやうにしてゐるのだがFCCのバーで最近、フィリピン産のサンミゲルを生で供すやうになり、これが旨い。せめて一杯で止さうと思ふが老練のバーテンダーといふのは実にいヽタイミングで「もう一杯如何です?」と勧めるからいけない。そこで断れたら最初から飲んでゐない。で二杯目となる。酒肴はiPadなのが最近の常。iPad使つてゐるとチップスやピーナツなど指がべと/\になりiPadのスクリーンが汚れるのが厭だからチップスやピーナツを食べないだけでもカロリー的にはまだマシか、と言ひわけ。Steve Jobs師匠がApple社のCEO辞任と発表あり。ふと、どれだけこの方の創造に浸つてアタシは生活してゐるのだらう、と思ふ。朝起きるのがまず使ひ古しのiPod Touchの目覚まし代はり、から始まりiPodiPhoneMacBook Proは陋宅で、微軟ヰンドウズだうしても使はなければならぬ官邸でも私用にはMacBook Air用ひ、それにiPod Nanoもジョギングとジムで愛用。一日で起きてゐる時間はだう考へてもApple製品使つてゐない時間より、ゐる時間の方が圧倒的に長い。iPodが3Gでどこでも使へるのが何とも。それに反比例して本のページを捲る時間がすつかり無くなつてしまつたのが悩みの種。そも/\MacBookがなかつたらこんなに日乗を書き続けないだらう。パソコンはアタシは昔々、東都では富士通ワープロOASYSからの流れでFMシリーズ使つてゐたが、香港に住んでからこの二十年の間、八年くらゐ前にいっとき声寳のメビウスなるノートブックでMuramasaとか呼ばれた薄型軽量使つた時期があつたが、それ以外はずっとMacばかり。ヰンドウズだと色彩が生理的に苦手でネット閲覧もあまりする気にならないくらゐ。最初はPowerBook100だつたが初めてAppleのコンピュータの現物を見たのは1980年代の後半、忘れもせぬ目黒の青葉台スタジオで水谷公生さんが背負つてスタジオに持ち込んだAppleであつた。当時すでにシーケンサーとして動いてゐたはず。それと主に安全地帯のレコーディングエンジニアをされてゐたMさんのマンションでダイニングテーブルの上に、ぽんと置かれてゐたAppleのなんて素敵だつたこと。あれに魅了されてから、アタシのAppleに対する惚れ具合は何も変はつてゐない。さう/\その頃のアタシはなぜか音楽業界の片隅に寓してゐたのだつた。あの当時は「PCのフェラーリ」なんて呼ばれてゐてとても貧乏な若者に手の届く製品ではなかつた。それが今では……何とも感慨深いものあり。昨日、今日、iPhoneを気軽に入手した若者とは年季が違ふ。あまりAppleの思ひ出に耽つてもゐられぬのでFCCを出たが、ついIFCの(って遠いが)BOSE商店に寄つてしまひWave music systemに藍牙でiPodMacBookなどから音楽など送るのに専用のSoudlinkなるアクセサリー購入して帰宅。Waveでも普通のmusic systemには繋がるがAcousticのmusic system IIに繋がらず。明日の課題。晩に自家製ビビンバを飰す。