富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2011-02-08

二月八日(火)晴。昼餉逸するほどの忙しさ。燈刻やたら空腹感と疲労覚へチョコだの甘いもの食べすぎ。そのあと酒たんぽで熱燗がいけない。サムゲタン食す。
集英社の季刊誌「kotoba」で徳川家広氏の「友は近くに、敵はもっと近くに」(連載「国家の秘密」の初回)面白く読む。戦後の日本をドイツがワイマール共和国にたとへワイマールのヒトラーナチスに呑み込まれた悪しき反省を踏まへ戦後日本は「国家に忠実なヒトラーもどき」を起用し、その存在で「敵」をば直近に引き寄せ監視するのだ、といふ。その「ヒトラー芝居」に選ばれたのが岸信介と中曽根大勲位といふ二人の「改憲派」宰相なのだ、と家広さん。キッシーと大勲位タカ派ぶりは演技であり大勲位こそ戦後日本の平和主義と平和憲法を守ろうとした、と指摘する。岸は戦前の日本の栄達ぶりと国家発展の業績を誇りにこそ思つてはゐても軍の憎みを買ひ軍人嫌悪してゐた岸さんが1950年代後半に旧憲法体制への回帰を望んでゐたと信じるべき理由もなかった、と。ハト派のはずのキッシーと大勲位がともに改憲目指すタカ派を演じ続けたことで本気で改憲狙ふタカ派代議士は勿論、旧軍関係者、CIA、民間右翼など次々と鳩まり滔々と持論展開するのを聞くことで封じ、そのおかげで終戦から今日まで日本は戦争とは無縁で来た、と。かなり強引な分析のやうだが河野派襲つた中曽根が反河野であるA作(岸の実弟)政権で運輸大臣で入閣し、福田パパの首相再登板を岸が抑へたことで中曽根の首相就任が実現した、と。本来、対抗する派閥にあるキッシーと大勲位の二人が実は協力関係にあつた、といふのである。確かに興味深い話。安保改正で国民の敵となつたキッシーだがよくよく考えれば安保闘争で国会囲んだ若者たちが当時は「若気の至り」で騒いだだけで革命も忘れ団塊の世代と化したか、と思ふと安保改正しただけで戦後の政治的危機乗り越へたのはキッシーの救国の英断だつたのかしら。大勲位とて「不沈空母」発言が実は戦後日本の平和主義の普遍性こそ浮沈との意思だつた、とするのはさすがに買ひかぶりすぎかしら。

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