富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2010-12-23

十二月廿三日(木)快晴。暖か。昼前に深圳。独り昼飯を、と横丁をふら/\歩いてゐたら手打ちの日本蕎麦屋あり。「蕎麦人」といひ、深圳に三軒と北京などにも展開。ちゃんと地場の職人が蕎麦を打つ、しつかりした本格的蕎麦屋。日本人に連れてこられた地元客が「ウドンとラーメンは中国でもウケるんですが蕎麦はなか/\」と。確かに。用事済ませ按摩して午後四時に羅湖を出て香港に戻り空港へ。上水から空港行きのバス(粉嶺が始発で上水の次はもう空港)も20分に1本あるが1本逃すと困るので港鐵(MTR)で羅湖〜九龍塘〜太子〜茘景〜青衣〜機場といふ経路で85分。台中からいらつしるU女史のお迎へだがちょっと時間があつてふら/\してゐたらVictorinox商店あり。「あ、まずい」と衝動買ひの気配が自ずから。畏友・歐陽應霽君が昨日の明報の連載でVictorinoxのホイール付きのキャリングをいつも愛用、と薦めてゐたのだ。予想通り、の大人買ひ(こちら)。U女史と出会ひ一時間で銅鑼湾。タクシーがかなり混んでゐるといふZ嬢からの話で大きな旅行鞄もあつたがMTR銅鑼湾まで行つたのは正解。「安半」でお食事してバーSに飲む。
▼谷保の文章さんより
愚者酔化貝術 為賢者恍惚人 美田固非雅友 独酌酒対蝕月
これに応へて久が原のT君
ゑひぬれどつきにはめでじこれぞこのものおもふゆゑにものおもふみは
みふゆなるさよなかにゐてものをおもふつきにもしるきしれびとぞわれ
と。
▼築地のH君が都新聞に高麗屋が連載のエッセイについてメールあり。かなり三人の子どもたちを絶賛の由。役者の世界では身内をほめるときは「まだ/\半人前で、このころ漸く見られるようになつてきた」などといふものだが、高麗屋染五郎が倫敦で大絶賛だの紀保の役者としての才能が開花しただのと手放しの褒めつぷりだといふ。とくに染五郎を褒めるときは勘三郎三津五郎など諸先輩に可愛がられすく/\伸びた、と成田屋への当てこすりかしら、また「染五郎が二人の子を設け」つて「もう一人ゐたでせう」とH君。こんなエッセイの話を聞き「やはり高麗屋はちと変はつてゐる」と思ふ。アタシにとつては若手だつた高麗屋ももう六十八歳。役者もここまでになれば家柄といひ大役者として大成してゐさうだが弁慶役者の祖父、父の白鴎に比べると、あの近代劇的な?リアリズム*1や心理描写を表情に出す歌舞伎ではかなり独特の芸風?といふ印象以外にアタシにはこれといつたものがない。H君がふと「白鴎が十一代目(團十郎)を継ぐ可能性だつてあつたわけでせう」と。確かに。七代目(幸四郎)が長男はやはり(高麗屋の)家督を継ぎ宗家(成田屋)といへども「養子に出すのは次男」としたら、当代の幸四郎團十郎染五郎海老蔵だつたかもしれず。AB蔵が何かと世間騒がせるが七代目が長男を宗家に遣つたことは歌舞伎界にとっては幸ひだつた加茂。

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*1:大河ドラマ「黄金の日々」で主人公・ルソン助左衛門になりきるため一年、舞台を完全に休み役に没入。まげも自分の髪で結つてかつらを使わなかつた、とか。歌舞伎では普通はありゑないリアリズム。