富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

沖呑力を食す

fookpaktsuen2010-08-09

八月九日(月)晴。晝に銅鑼湾何洪記で「沖呑力」食す。「沖呑力」と書いても何だかさつぱり解らないのはこの店の、おそらくこの店員の勝手な符丁ゆゑ。「飯」を「反」と書いたり「咖喱」を「力里」と書くくらゐはかなり一般的だが「沖呑力」は符丁好きのアタシも驚いた。「沖」は「葱」と発音が同じ、「呑」は雲呑でこれは解り易いが「力」は「労」で「葱呑労」つまり「姜葱雲呑撈麺」を指す。蘋果商店(Apple Store)からメール届きアタシのiPadは今日、星加坡を出荷で12日に配達だといふ。7〜12日と言つてゐたのにかなり早い。晩に中環。Olivers食料品店でズブロッカ購入してからかなり久々にFCC、主餐庁で薩摩K夫妻、Z嬢と会食。 歓談款語尽きず二更過ぎる。三鞭酒のお振る舞ひありBlackstone Pinot Grigio 08年とCh. Lafleurのセカンド。
中島京子『小さいおうち』につき東京新聞夕刊で著者本人も加はるちょっとした論争あり、と築地のH君から聞く。東京新聞で大波小波が「忍び寄る嫌い時代の影は一向に感じられない」「いかにもコクにとぼしいと言わなくてはなるまい。作者自身が〝戦時〟を知らず、もっぱら資料に頼ったこととも関係があるかもしれない」と批判。一週間ほどすると中島京子自身がやんはりと反論。

「洋服を着たり洋食を食べたりハリウッド映画を観たり、リヒャルト・シュトラウス交響曲を聴きに出かけたりするモダン東京の人々の暮らしに戦争が忍び寄る姿を、私は書いてみたかった。けれど私の本を読んだ若いお嬢さんたちが、「戦争の時代って、けっこう明るい。むしろ楽しそう。いい時代みたい」と思ったりするのは、作者としてはとっても困るのである。戦争してたんですよ。いい時代のわけが、ないではないか!」「歴史を俯瞰してしまうと、「のほほん」の部分は最初に無視されていってしまう。小説は歴史教科書とは役割が違う。私は「のほほん」の部分をもっとよく知りたかった。でも、その時代全体が「のほほん」一色だったとは、書きたくもなければ書いたつもりもない」云々。

H君曰く、「大波小波」子の分の悪さは「資料を調べてもむしろ、そうした「のほほん」の面は出てこない」わけで中島京子が当時を知る人からきちんと聞き取りをしてゐたら、それこそそれも貴重。昭和19年夏のサイパン陥落あたりから本土でも戦況がひどくなるわけで、それ以前は「銃後の暮らしは」必ずしも悲惨ではなかつたはず。「忍び寄る時代の影」が感じられないとか言つても、実際、その当時の人々にとつてはそうであつたら、その通り。アタシも祖母から聞いた当時の話では空襲が始まるまでは実際に戦争戦時下の暮らしの中でも当たり前だが喜怒哀楽あり。そも/\戦争が悲惨だともつと早い時期からとわかつてゐたらあんなに市民も戦争を提灯行列的に受け入れないでせう。空襲で焼け野原になるとも原爆投下があるとも思つてゐなかつたから、の皇国の「海外での」戦争への期待。下手すると二二六事件の頃のあの鬱な感じと中国での泥戦が太平洋戦争の開戦でパッと晴れてゐた。知識人だつて「近代の超克」を読むとそんな晴れ/\とした気分。それがたしかに当時の人々の誤謬だつたわけだが今更当時のその気分の「事実」は変へやうもない。

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