富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-07-19

七月十九日(日)夜中に雨風劣悪。颱風来襲。あまり眠れぬまゝ午前五時頃起き颱風なのに配達ご苦労さま、で届きし蘋果日報讀めば午前一時半に九號警報発令されてゐた由。朝から歇んではまた降つての甚雨が昼過ぎまで。昼ちよつと前に北角街市。日曜で颱風では野菜も少なく休む店は普段の日曜より多し。食材購ひ徳興隆に饅頭と鍋貼食し豆乳呑む。一旦帰宅して午後遅く銅鑼湾。時代広場のCity'superでドライシェリーとLane Crawford百貨店でカクテル用の所謂、マティーニグラス購ふ。自宅で酒を飲むのにカクテルグラスまで要るか、と思ふが趣味も高じて。店員に90日以内だかにHK$10千お買ひ上げ条件にVIPカード申請如何ですか?と勧められる。VIPになれば一割引きといふがLane Crawfordでお買ひ物も香港に住み数へるほど。にはか雨。銅鑼湾East End酒場にエール二杯飲む。いつもの喧噪が嘘のやうな日曜の夕方。雀の囀りすら聞かゆ。整体按摩して帰宅。夏野菜多き夕餉。韮のパイがトリュフ油かけて美味。Oyster BayのSauv Bl 08年飲む。忌野清志郎『完全復活祭』武道館ライブ後半見る。武道館のあのステージと客席の近さ、他のホールにない環境と改めて知る。ドクトル梅津さんの見事なステージング。20年以上前に伊豆のキティスタジオで演奏録音に立ち合はせていたゞいた事あり、懐かしく思ふ。
自民党加藤紘一君、三木降ろしが当選一回、大平vs福田の時に官房副長官、それに比べると今回は自民党議員に「そんなに激しく戦ふエネルギーが残つてゐない。理由は小選挙区制だ」と指摘(朝日新聞一面トップ「反麻生 腰砕け」)。叛旗翻し党公認外され無所属で総選挙区に出馬せば比例区復活なし。民主党優勢で比例区復活に賭ける自民党議員にとつてよほど耳目を引く新党でもできないかぎりいくら麻生不人気でも離党には踏み切れず。山形で地盤強き紘一君でさえ一抹の不安がある、と心配隠せず300議席超す自民党議席半減にすら言及。結局、小選挙区制導入が全ての元兇。同じ朝日で塩爺も「野党が全然ダメだつたから自民党が派閥抗争といふ形の自助努力をして政治を動かしてきた」のが機能しなくなつたのが小選挙区制。比例代表並列制で中間政党がキャスティングボード握り政治がどうしても妥協的になりポピュリズムに頼る。中選挙区制度の時の「あれつ」といふ人の当選がなく世襲か地方議員や首長ばかりが国会へ。と塩爺の指摘は的確さうだが、首相の首をすぐ挿げ替へる風潮に「小泉政権があと五年続いてゐたら、この国の形は変はつてゐた」と怖い発言も。小泉十年なんて想像しただけでゾツとするがポスト小泉の為体。民主党も結党以来この小選挙区制に苦汁を嘗めたが風向きさへ変はれば小選挙区制ゆゑの圧勝なのかしら。
▼もう二ヶ月前のことになるが畏友吉田一郎君のさいたま市議辞職と補闕選での再当選。何が起きたか、と事の経緯は埼玉県宮代町の加納好子議員のブログ(こちら)に詳しいが無所属議員に(法的根拠なき「申し合はせ」で)発言権なきさいたま市議会で吉田君が発言したことで懲罰動議が出され吉田君が抗すると今度は「議場占拠」で強制退場……といふことで昨年から議会出席停止や懲罰処分。で抗議の辞職。その補闕選挙(民主党系県議が当選のさいたま市長選挙と同日投票)に吉田君立候補。さいたま市北区で27千票を得て二位に14千票差の堂々の再当選。
▼亡くなつた識者をば書評(朝日新聞天児慧)讀んだだけで酷評は失礼だが加藤周一講演集別巻『加藤周一 戦後を語る』(かもがわ出版)。
多くの思想家には、その思想の特徴を形成する「原風景」がある。著者(周一さん)の場合は1941年12月と1945年8月であった。真珠湾攻撃を知ったとき、彼(周一さん)は「これでおわりだ。みんな滅びていくだろう」と思った、そして8月15日を迎え、「ああ生きられる」という解放感があったと語っている。
レジスタンス性の無さ。周一さんは軽井澤に隠遁していたんだから。この弱さ、こそ戦後日本の原点かしら。

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