富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-04-08

四月八日(水)涼しき日つゞく。早晩に中環で一仕事終はり同行のK氏とFCCに軽く夕食を済ませ独り二更に灣仔の芸術中心。伊蘭映画“Be Calm and Count to Seven”観る。伊蘭の辺疆の鄙びた漁村。もう漁業は廃れ村人は海を舞台に細々とつまらぬ密輸を生業に糊口を凌ぐ日々。父のをらぬ清貧なる家庭の息子を主人公に、その暮らし淡々と描き主人公をRamtin Lavafipourなる少年が好演。Hedayat Hashemiといふ監督のこの作品、ロッテルダム映画祭で虎賞の由。
▼今朝のSCMP紙がビジネス面トップで中信泰富主席の栄智健君近日中に更迭と報道。事態進展早く同社は本日、取締役会開催で主席交替と情報が流れる。早晩に栄智健とその腹心で総経理の范鴻齢が辞任。当然、今回の騒動の発端となつた昨年十月の豪州ドル暴落での投資失敗でHK$155億の損失出した栄氏の娘や本来であれば父の財閥継承の息子らも一族で中信泰富より退出。新任の主席には北京の中信集団副董事長兼総経理の常舟明君が就任。この常君は中信旗下の嘉華銀行や建設銀行での董事長らによる汚職収賄のたびに火消し役で組織建直しに尽力で消防隊長の渾名あり。栄智健君、光大実業公司の王光英と並ぶ赤色資本家として共産中国の富国殖産に尽力の栄毅仁の一人息子として生まれ文革期には四川省への「下放」で辛酸を嘗め15年だかにわたる政府電力部での仕事諦め1978年に単身来港。かつて読んだご本人の回顧録では縁故頼りに裸一貫着の身着のまゝで羅湖から香港に入り鉄道で沙田の競馬場(この開業がこの頃)の横を通つた、と綴つてをられたが、その後の馬主となり愛馬、活力先生やオリエンタルエクスプレスの活躍は周知の通り。で、この年の末に歴史的な第11期三中全会で鄧小平復活で翌79年に国務院直属で中国々際信託投資公司(中信)の経営を任されたのが栄毅仁。智健君は父の中央での基盤拡大に合はせ1986年には中信香港の役員となり翌87年には副董事長兼総経理就任で中信香港実質的掌握。キャセイパシフィック航空の大株主になるなど発展遂げ李嘉誠ら香港地場財閥の賛助受け香港で上場。もはや栄智健のオーナー会社でゆく/\は北京の中信から実質的に独立か、と思はれたが1998年の亜細亜金融危機で資金繰り困難に陥り北京中信の支援受け足枷嵌められたまゝ中信の旗下にありながら「国家副主席とまでなつた栄毅仁の御曹司の香港財閥会社」といふ特異な形態で今日に至つたが、昨年来の大火傷。だが「焼いても鯛は鯛」で栄智健が中信泰富の11.5%の株式保有で、今後も何らかの影響力駆使するか多額損失の賠償で全面撤退か去就注目されるところ。この智健君の腹心、范鴻齢君は香港株式市場の鬼つ子David Webb君はこの二人の関係を「バットマンとロビン」と称したは秀逸。この鴻齢君、2012年の香港特区行政長官の有力候補とも言はれ(今回の失職でかなり可能性薄れたが)、実妹が香港政府教育統籌局(当時)の常務秘書長から廉政公員で失職し今は全人代代表の羅范淑芬で「キャラ的に濃い」兄妹なり。

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