富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2009-01-10

農暦十二月十五。晩の月も楽しみな快晴。土曜日でもご執務。早晩に映画の前に腹拵へ、とZ嬢と太古のジャスコに参ればラーメンの山頭火大戸屋なる食堂も行列、で致し方なく麥奴労奴に食す。太古城の映画館で映画「梅蘭芳」見る(今年3月日本で公開の邦題は「花の生涯」と相変はらず醜悪)。陳凱歌監督の京劇物は「霸王別姫」以来。鳴り物入りの宣伝、主演が黎明で相手役は冬休みに地中海の浜辺で男友相手に大胆な日光浴姿が話題(或いは醜聞)になつた章子怡。香港は評判にならず上映8日で175万ドルと惨憺たる興業成績の由。来週中にはもうお終いかしら、と慌てて見る。今晩も土曜の夜七時で五分の入り。梅蘭芳の清末の少年時代から大好評の青年時代、名声、戦争期の抗日としての休演期間を描けば、そりや二時間半は要す。がこの大役者の半生を描ききるのは難しい。「ラストエンペラー」や「霸王別姫」と同じく主人公の少年時代演じる若手が好演。この梅蘭芳の「堂子」時代から「畹華」と呼ばれた当時を演じるのが浙江省の越劇團出身の余少群。映画では畹華は「臺上看戲,臺下看人」のご贔屓筋相手に勤める「逛堂子叫打茶圍」を頑なに拒む。銀行家の馮耿光(=馮六爺を英達が好演)らの知遇と支援を得て同じ梅派の前輩・十三燕(王学圻)との確執など経て不世出の女形として名声を得るまで、余少群が演じる清末の北平の戯院での場面は美しい。が、物語が少し進み梅蘭芳役が黎明になると、これはラストエンペラーで溥儀がジョン=ローンになつた時のやうに、霸王別記でレスリーが出てきた時と同じやうに、スクリーンから一歩、背が退く感じ。で物語は絢爛豪華に、また梨園の怨念交へ、紐育公演など経て日本の侵華の時代へと進むのだが、歴史大作にした分、可もなく不可もなく、の出来。鶴鳴といはれた歌声は当然、吹き替へだが口パクで合はせるのも上手くない黎明に梅蘭芳演じるだけの華がない。素顔は似てゐるのだが。冬でも冷房ガン/\の映画館を出れば、外も本日は最低気温摂氏十度と香港では厳寒。雲一つなき空に寒月が見事なるを愛でる。十二年で最も地球に近き月の由。久が原のT君からも
見送れる人さまざまに寒の月
月が見事とメールあり。二千里外故人心、は白楽天の昔と変はらず、と。半夜に至れば天空頭頂に十五夜の月、まわりに星が群がり「朝拝」は月が「一統天下」の如き神奇天象。
▼カメラ雑誌読む。「デジタル一眼レフに動画機能は必要か」なんて特集やニコンのD3XだのD700だのといつた紹介にうんざり。大半の頁を読み棄てる。ふと思へば畏友O氏が清水の舞台から飛び降り、それでもニコンD200購入され「おーつ!」と叫んでゐたのが僅か数年前。それがもう薹が立つとは。アサヒカメラで長徳先生が「カンレキからの写真楽宣言」で新春の特別対談のお相手は三保ヶ関親方(元大関増位山)。長徳先生をすら唸らせるライカMなどレンジファインダー機とレンズの蒐集。さすが各界一の趣味人。
文藝春秋二月号で「秋篠宮天皇になる日」読む。皇室のご苦労など我々下々の者が伺ひ知れる処にあらず。それをまぁしやあ/\と親子、兄弟関係の琴線に触れる部分に踏み入るとは不敬千萬。それも本来は保守派として侵犯を謹むべき文春が、であること。荷風先生が見抜いたこの出版社の姿勢の菊池寛以来の生半可ぶり。余が察するは、もしいづれ秋篠宮が帝になる日が来れば、それが続けば、かなり世の中に変化あり。息上がる者少なからぬこと。悠仁親王の御世など老いてこの世になき余には図り知らぬことなれど更に先の大戦の「戦後」の現世とは全く異なる「国のかたち」かしら。この文春は「秋篠宮が」ばかりか「ドキュメント 昭和天皇の最期」(佐野眞一)にも朝日新聞で先帝の超疾患と手術をスクープ(昭和62年)の清水健宇記者のコメントとして、九月中旬の金曜日に東宮ご一家(今上天皇)の定例参内が突然中止となつたことを知つた清水が、それを上司の岸田英夫に伝へると岸田に「それは大変な異変だ」といふわけで岸田の陛下重病の裏取り取材が始まるのだが清水はこの文春の中で「ご参内とは、毎週金曜日に皇太子ご一家が両陛下を訪ね、御所で一緒に夕ご飯を食べることです。それが中止になつた。いまの皇太子ご夫妻ならともかくですが(笑)、それは大変な異変だといふわけです」などと皇室記者でもこの軽口。世も末。
▼同じ文春に筑紫哲也氏の癌残日録読む。福田前首相に出したといふ手紙の一節。「怒つてはいけません」。いぜん日剰にも書いたが1997年の香港返還の際にNews23の現場中継で香港にいらしてゐた氏が同行スタッフに横柄な態度で怒つてゐたのを垣間見た印象強し。だがその方からの「怒り」についての諭しが、これが一読の価値あり。
怒気を外に出したら大人には見えないのですが、歴代の総理を拝見していますと、この人がと思う人でも、鬱積がたまっていくものです。それをあまり我慢するのも、身体によくありません。
秘訣は、本当に怒らないことです。
口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の身の丈、思考の水準に見合ったものでしかない。そんなものに自分がとらわれてたまるか、と思えばそう腹も立たないでしょう。
アタシもここ一、二ヶ月、つい必要以上に周囲の者への問責、他人の非難など少なからず。反省するばかり。