富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-09-24

九月廿四日(水)朝五時過ぎに目覚めれば台風は8号警報のまゝ。学校は休校、と流した後に六時半に8号警報解除で3号に。つまり労働者には「働け」との指示。台風の余波で昼頃に篠突く雨。こんな雨日は普段なら八百物売りは開店休業だが今日はかなり忙殺され昏刻に至る。いつ盥を引ッくり返したやうな雨が降るかしら、と怯えながら帰宅。BBCラジオの第6曲は当然、先日逝去のリチャード=ライト追悼でピンクフロイドの音楽流れてゐようと気になつてゐたが、ここ数日多忙で時間なし。やうやくネットでBBC-6開けば21日GMT午前9時!(日曜日の、だ)に番組で放送のWembleyはEmpire Poolの1974年のライヴが聴ける(聴取賞味期限はあと4日)。この音楽に狂気ならぬ驚喜でThe Balvenieの1973年を一飲、当時に浸る。酔つたらふと映画「カッコーの巣の上で」One Flew Over The Cuckoo's Nestが見たくなつたのは何故かしら。北角の嘉美鶏とキャベツの鍋。美味。いろ/\懸念だの気苦労続きのこゝ数日、鍋と日本酒でふと心和む。ピンクフロイドのこの網上ライヴ盤をもう一度聴く。
▼李Baby國寶君が頭取のBEA東亜銀行にて破綻とデマ流され取り付け騒ぎ。預金者が銀行に殺到。で、誰がこのガセネタ流した張本人か。それがヤケおこしたリーマン兄弟社で職失ッた金融投資家だつたりすると物語性帯びるのだが。もう三、四年前かしらBaby李君の小指(れこ)との醜聞の方がずつと興味深い話。
▼日本では麻生太郎君が主犯、ぢやなかつた首班指名で内閣発足。麻生君言ふところの「明るくて強い日本」つて昭和の戦前の日本も国内的には「明るくて強い」日本だつたはず。それにしても麻生太郎君が牧野公の曾孫で吉田健坊の甥つ子と思ふと、なんだか……。NHK麻生首相誕生に「街の声は?」と尋ねてみせるが一人くらい「支持しません」とか「何も期待しません」がゐて当然なのに多少なりとも期待する声ばかり。安倍、中川が憂慮する迄もなく十分に体制派の、マスコミと呼ぶには嗤へるNHKよ。その麻生君が町村派取り込みのために、と画策した森さん幹事長抜擢案。名案と思つて動いたのが安倍ださうで安倍はまだそんなに元気なのか、と呆れるが、さすが森さん、もはや自民党の最有力者の自負のあらうが出来レースぶりに「晩節を汚したくない」「私はそんな恥しらずではない」と固辞。元首相を幹事長に抜擢してまでの政権奪取とは。自民党もひどいが、政権にしがみつく公明党、今日の朝日新聞の社説「なぜ「自公」なのかを聞きたい」は真ッ当。朝日の別の記事では創価学会の信者が次の総選挙では創価学会の3割くらゐの票が民主党に流れるのではないか、と懸念を口にする。さもあらむ。ところで昨晩のNHKのNW9では王貞治氏のプロ野球チーム監督辞任を番組冒頭から10数分間流した由。新聞も「ON時代に幕」なんて伝へる。プロ野球でON時代なんてとッくに終はつてゐたんぢやないの、と思つたが寺島実郎氏の表現を借りれば「革命も暴動も起きぬままに」、長島、王といつたヒーローに夢も希望も託して「幸せに」暮らしてきたのが(或は「暮してきたはず」なのが)戦後の日本そのもので、朝日では西村欣也編集委員が「もう甘えられない」と書いてる、その指摘こそ正しいが「もう」どころかここまでどつぷりとONだかなんだかに甘えてきたのがまさに戦後日本の脆弱さそのもの。戦後半世紀も自立せぬ者が何を今更「もう甘えられない」か。人間50になつて気づくことぢやあるまいし気づいたとしても圧倒的に遅すぎ。

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