富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-08-29


八月廿九日(月)いくつか経緯もあり香港の戦前の日本人社会の歴史まとめる 作業に加わり日本人学校の歴史など調べて数年。学校の所在地だけ記せば、明治40年に湾仔道117号の本願寺の経営で始まり明治42年から日本人慈善会な どの経営に移りに、これが大正5年から移転を繰り返し昭和5年にKennedy Rd26号に自前の校舎建設。記録によれば
明治40年から湾仔道117号 香港本願寺跡地 現在:得利商業大廈
大正5(1916)年 シマープスリフード東1号
大正6(1917)年 College Garden, 1 Upper Albert Rd, Central 旧総督府の隣地 現在:Martin's House
大正7(1918)年 28 Ice House Street, Central 現在:順豪商業大廈(Shun Ho Tower)
大正8(1919)年 7 Kennedy Road 現在のSt. Joseph College
昭和5(1930)年 26 Kennedy Road 現在のSt. Paul's Primary School 当時建設の建物が現存
と見事なほどの一等地に学校を構え当時の日本の教育重視策伺わせ殊に昭和5年建設の白亜の洋館は歴史的にも貴重な現存の建物。このなかで数年ずっと疑問で あつたのが「シマープスリフード東1号」で街頭する英語の住所も見当たらず。Sで始まる街路名を一つ一つ見ても街頭なし。わずか1年とはいへ学校が湾仔か ら中環に移る貴重な1年で現在はないストリート名なのか?とまで疑つていたが本日ふと「東」とつくのは「皇后大道東」か銅鑼湾の時代広場裏の霎東街 (Sharp St East)の2つしか思いつかずQueen's Roadも音が違うしSharp St Eastもシャープストリート東ではだいぶ違う、と思つが
シマープスリフード東
シヤープストリート東
と並べてみれば、これは昭和初期から戦後(昭和30年くらいまで)の資料の書き写しの中での慣れぬ音のカタカナの書き間違えと推測。恐らく間違いあるま ひ。Sharp St East1番地であれば現在のLeighton Centre、利舞台の前のStandard Chartered BankとG.O.D家具店のある場所。ここが日本人小学校のあつた場所で湾仔から中環に移るわずか1年だが「当時はかなり僻地であつた」銅鑼湾に仮住ま い。小さなことであるが疑問ほぼ間違いなく解けた予感。この件さっそく龍谷大学で戦前の東南アジアでの日本人子女教育史の研究されているK教授にお伝えす る。早晩にジムで一時間の有酸素運動。晩に北角の寿司加藤に I君、O君と集い九月からの山歩きの日程調整という名目で酒肴三昧。鰹の叩き、それに日本から空輸のレバ刺身(香港では中国産はご法度?)など美味。深酒 痛飲になるも易しいメンツだが「これから銅鑼湾には出まひ」と決めて〆にCity Garden Hotelの地下のバーで麦酒一飲で午後11時には帰宅。
▼香港で6月に組織された「グローバルなテーマパークでの労働環境や自然保護など」について調査研究をする民間ロビー団体がそのロゴが耳に火がついた米奇 鼠の顔に酷似しているとして香港鼠楽園は肖像権侵害として法的措置を検討中。この団体は香港鼠楽園に対して事前からテーマーパークにかかわる労働環境問題 の調査、その内容を鼠楽園側に提示し環境改善など必要に応じて検討を申し入れており突然の香港鼠楽園側の対抗措置に驚いている、といふ。ちなみに中国国内 でテーマーパークの記念品など生産の工場では時給が時給2.7元で、これが法的に決められている最低賃金3.3元を下回つており一日の労働時間も10〜 12時間で週6日、週の労働時間が260〜312時間となるのも法的な基準となる月168時間の基本労働時間と36時間の残業を大幅に越えている、として いる。

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