富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月十八日(日)昨夕の晴れ空に雲一つなき快晴期待して目覚めるとどんよりと曇り。天気予報も曇り時々雨に鬱ぎ込みそうになるが雨降る気配もなく裏山を登り大潭を走り島南岸。山に入れば晴間多し。大潭のダムもここ数日の雨で水嵩も十分に水を湛ふ。大潭の引水路に疎水の如く水流れるを何度もここを走り乍ら初めて見る。海岸にて吉田健一『三文紳士』読む。吉田健一であるから読んでいてついつい麦酒を二罐。二時半頃に驟雨あり雨上がれば爽かな快晴となる。赤柱経由で途中ジムにより一浴し帰宅。先日机の抽斗片付けており十年も前に購い数年前より使っておらぬかなり傷んだHunting World社の財布あり多少修繕して使えぬものかと香港のこのHW社の出店がDFS(正式名称はDuty Free Shop=免税店とややこしいが免税でない商品売る百貨店のため免税の名を使わず(使えず?)今では略したDFS店名とする)にあり尖沙咀のDFSに出向き財布見せると店員に「領収書は?」と尋ねられ世界に名だたる高級ブランドなるものはDFSで買ったかどうかでなく(実際に其処で買ったのだが)HW社の製品の修繕など世界何処でも受付けるが当然。それをこの対応に呆れたがその店員は鞄財布など革製品売場の主任らしき者に「ちょっと、この財布直せるの?」と尋ね主任らしき者も「さあ」と答え「そんなヨレヨレの直すなら新しいの買えばいいのに」とお話にならぬ、さすがDFSと呆れて店員に一言も話しかけず店員の手から財布取返しその場を去る。Z嬢に今度日本のHWの店に持込んでみれば、と指摘される。結局はHWだのダンヒルだのと扱っていても高級ブランドといふこと以外何も知らずブランド名維持には何をすべきか理解しておらず。ハーバーシティに入り余りの人出に日曜など繁華街に出るべきでなしと荷風先生の流儀に納得。スターフェリーで中環。ここ五、六年使っていたルイ=ヴィトンの財布もかなり傷みこれの修繕も済まそうかと思ったが中環のヴィトンの店すでに閉る。マンダリンオリエンタルホテルのカフェにて夕餉。アメックスより誕生月だかの特典にてこのホテルの中華料理・文華かこのカフェにて食事の際に二人なら一人分、つまりカード所有者の食事のみ無料といふ割引券あり。Z嬢と二人で文華で中華もなんなのでカフェでこのカフェで評判の海南鶏飯でも食そうかといふ次第。実は今朝方電話で予約の際に呆事あり。食事の予約など電話にて面倒なので余は適当に略名用いるのだが苗字に対してファーストネームは?と尋ねられこれも面倒なので「Fでよろし。F for fatherのF」と伝えたら電話応対の女給はなんと“M for mother?”と答え吉本新喜劇か、アンタ?と卒倒しそうになったが「F」ともう一度念を押すとフルネームでと強要され高々料理屋の予約に何を面倒なと思いつつフルネーム一字一句ずつ伝えるとどうも書取る気配なく「電話は?、何時?、何人?」と進むので「ちょい待ちぃ、ワテの名前、もう一度復唱してみい?」と確かめると無言。書取っておらず。「ほれ、みてみぃ、アンタがフルネーム言うさかいワテが名前言ったら長くて面倒だと思って今度は書きもせーへん、それなら客の言った名前だけ書いておけばいいんとちゃうか?」と感じだ次第。香港代表するホテルでこの様なり。で海南鶏飯食したのだが銅鑼灣の南亜餐庁にも増して香港でHK$150とかなり高くとも美味と賞されたこのカフェの海南鶏飯は一見して唖然。鶏はボディビルで鍛えたのかといふほどに肉厚で3cmはあろうかといふほど。海南鶏のもっとも味覚となる滑皮であるはずが鳥肌は薄く乾燥。スープもなんだか創作野菜スープ。食せばやはり期待通り無味乾燥の蒸した胸肉にて本来なら生薑や辛味などタレつけずとも食せるはずの海南鶏飯がタレつけても厚さ3cmの胸肉は美味くない、のではなく甚だ不味い。余は無理して食すがふだん食事残さぬZ嬢もさすがにゴメンナサイで恰度、皿を下げに来たのが黒服の給仕頭のため「この蒸肉はとても海南鶏とはよべるシロモノにあらず。申訳けないが残すですよ、これじゃ」と伝えると給仕頭も「この鶏肉が偶然太っており」と苦肉の言訳け。どう見てもドーピングされた如きブロイラーにて海南鶏にする鶏にあらず。Z嬢「おそらく海南鶏用に仕入れてなくてマンダリングリルの西洋料理でチキンロースト出したり文華で鶏の唐揚げ作るのにも同じ肉厚の鶏を仕入れて済ませているのぢゃないかしら」と。御意。オマケに勘定の際、店に入って予めアメックスのこの割引きですよ、と割引券見せていたのに正価にて請求されるミスまであり。かつての名ホテルも酒場チナリーにて食事は出すはカジュアル服の客を入れるわ、携帯電話は許すわ、フランス料理の名店ピエロをば潰し創作料理の料理屋にするわ、の迷走始ったのが五、六年前のこと。このカフェも半ズボンにサンダル履きの客まで受入れるが今日の有様。Z嬢懐かしがるは給仕もかつては戦前の資生堂パーラーの如き紅顔の美少年ずらりと並んだ昔。確かに言われてみれば顔の良し悪しは別にしても髪すら整髪しておらぬ若い給仕目立ち女給も愛想こと好いが余の背後に坐った客に料理搬びつつ“Are you hungry?”と米国のハイウェイ沿いのダインぢゃないのだから。ちなみに朝の電話での予約だがアメックスの割引券に「必ず予約を」と書かれておりそれに従ったが実際に来店せば客少ないからか予約表も見ずに席に案内され結局、朝の電話に出た者がなぜフルネームに執ったのかの意図も理解できず。海南鶏飯2つと麦酒小瓶2本、それにサラダ1つで定価ならHK$588.50、割引でもHK$381でこの様では呆れてお話にならず。アメックスのこの優待もホテル側の客の取込みの一環だろうが、これではお粗末すぎ。久々に香港の「絶対に行ってはいけない店」候補。FCCのバーにてエスプレッソ珈琲喫し一服。帰宅して吉田健一『三文紳士』読了。祖父牧野伸顕を「牧野さんは……」と語る「蓬莱山荘」や大岡昇平を語る「仲間」だのさすが吉田健一と唸る。横光利一を語る文章のなかで吉田健一が語るのは銀座の「はせ川」といふ彼の愛した小料理屋(跡地)のことで「はせ川」の場所を紹介するに新橋から始り「当時の文藝春秋社があった大阪ビルからどこまでも真直ぐに銀座のほうに歩いていくと」出雲橋に出て、とあり。気になるのは先日読んだ成島柳北柳橋新誌』の難波橋でありそれでこの大阪ビル。なぜ新橋から浜にかけてのこの界隈にこの名か。堀割多く景色上方の如しか。新橋より鉄道にて向うは上方か。それにしても終戦直後の吉田健一の文章を読むと時の内閣総理大臣吉田茂の長男が(すでに三十余歳)この頃に闇で担ぎ屋をやりモク拾いをして最後は路上で乞食にまで。しかも知人が多く出入りする出版社の近くでそれをする大胆さ。吉田健一の人柄を思えばこういった貧乏暮しも、丸善石油を書店・丸善がついに石油輸入に参入かといふ誤解も、どこまで本気でどこが冗談かと考えるだけでも楽し。何よりこの人の人格は、例えば随筆「初めと終り」で日本で戦後クリスマスが普及することについて「これは日本では意味がない。キリスト教徒が形式的にでも、國民の大部分を占めてゐて、教會が我々のお寺に相當する國々ならば、クリスマスはキリストが生れた日であり、太古に犧牲にされた無數の若い男の代りに、神の子が地の糧となつたことを祝する祭日なのであるから、古い年が新しい年になるどころではなくて、それまでの人間の歴史がそれ以降に變つたことを意味し、大晦日や正月を遙かに陵ぐ行事であることは、少し考へてみればすぐに解ることである。だから、ヨオロッパやアメリカのクリスマスは靜かであつて、古代の神々の疲れもそこにはあるだらうが、それから又、キリストが生れて以來の二千年間、人間が努力して來たことに對する訴へがあつても、兎に角、希望に滿ちてゐる。それ故に陽氣になる向きもあつても、これは別に不思議な感じがしない 」とクリスマスをたんに聖誕祭としか理解しておらぬ余などはこれを読んだだけで欧州の聖誕のこの節句の奥義をなるほどと理解し、それを知るさすが吉田健一とただただ敬服するばかり。だが吉田健一が更に凄いのは「だから日本人がクリスマス賀うのは意味がない」で終りにするかといふとそうぢゃないところ。この引用の最初は「これは日本では意味がない」で始りつつ引用の終りで「陽氣になる向きもあつても、これは別に不思議な感じがしない」としているが、これに続けて、日本の場合、年の瀬の賑やかさにクリスマスが加わったことで更に賑賑しくなることで年が明けると正月が静かで恰度いい、と述べこの異教徒のクリスマスが我々の暮れから正月を迎える習慣に完全に溶け込んでいる、と結ぶ。キリスト教の祝賀を異教徒がするのはおかしい、とここまでなら誰でも書けるが、聖誕祭の深み語った上ですっかり日本に根付いたクリスマスをここまで肯定的に解釈できる、この吉田健一の凄さ。政治家の倅らが二世、三世政治家になるしか能がなく、しかも政治家として能がないご時世、戦後日本建設の首相の嫡男がこの文士であったと思うと吉田健一本人も大したものだが、これを許した臣茂もさすが大吉田と感じ入るばかり。吉田健一読みながら聞いていたCDはバーンスタイン指揮の紐育フィルでシベリウスの5番。なぜかこれが妙に吉田健一に合う。酒は真露。この韓国焼酎かつては烈酒の如しもの最近妙に甘く(酒の旨みの甘く、の意味ではなく糖分の甘さ)それが真露が数年前に会社更生法適用だかブランド名の争いだったかとにかく心機一転ラベルも新しくなってから殊にそう感じる。もともと冷やして生で飲むべきところ最近は檸檬絞って酒2に檸檬汁1くらいに割って飲むとかなりイケる。

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