富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月廿日(木)曇。朝のラジオにて鄭経翰氏降板の商業電台「風波裡的茶杯」引き継いだ政界の青蛙・李鵬飛君もわずか二週間で番組から降板と知る。日刊ベリタに送稿(記事はこちら)。本日台湾の亜扁君の総統就任式あり。昨年の夏に東京麻布の外交資料館にて入手の資料のうち昭和4年に在香港総領事より外務大臣田中義一君宛に提出の「日本人小學校新築資金補助方稟請ノ件」といふ文書あり。これを本日ようやく読んでみれば、稟請の書類のうち基礎資料としての学校概要に児童数教職員数などあり。興味深き点は二つ。一つは御真影並びに教育勅語、もう一つは児童の身体検査報告。
八.御眞影又ハ勅語謄本ノ下附ヲ受ケタルトキハ其年月日
御眞影ナシ
勅語謄本下附アリ右勅語謄本ハ學校ト共ニ當地本願寺ヨリ引繼キタルモノニシテ元福州ニ於ケル本願寺ニ御下附ノモノナリト聞ク
御下付年月日不詳
とあり。昨晩も読んだ原武史氏の『可視化された帝国』に言及あることだが、御真影なるもの教育勅語とセットで考えられるが、全ての学校に下付されたと思いきや実は何らかの基準なりコネなりで下付された学校とされぬ学校あり。さすがに海外では、寧ろ海外だからこそ下付されそうな気もするが、蛮族の地にあって校舎焼き討ちにでも遭ひ御真影焼かれれば校長進退伺いどころでは済まぬ程の大事、下付も難きところか。教育勅語は明治期の謄本が当時の福州の本願寺学校に渡りそれが香港本願寺学校にまわって本願寺学校が香港日本人小学校となった際に引き継がれたもの。謄本とていかに大切に扱われたかが察せられるが本願寺が明治の当時どれだけ政府の海外政策に寄与していたかもここから伺えよう。また身体検査報告が興味深い。当世の感覚では、学校の校舎新築に関する資金援助要望で何故に児童の身体検査報告が語られるのか不自然。だが原氏の一連の著作など読めば(またフーコーでも宜敷いが)当時の公の義務教育、近代国家にとっての健全健康なる国民の養成こそ国の要、学校新築とて「南洋の瘴癘之地に於て健康なる日本国民の育成に励み」となれば大義名分といふところか。昏時在灣仔。昼餉時には行列すら出来るといふ麺屋蘭杜街にあるを聞き早晩未だ混ぬかと訪れれば飴軒といふ甜味並に河粉にて著名なる店にてさすがにこの時間客もなく龍蝦球竹撻河粉食す。不味からず但し龍蝦ロブスター用いようが所詮河粉(米粉麺)は河粉にてHK$40は如何なものかスープ脂濃すぎ。店内にムード歌謡の曲(歌唱なし)の音楽流れ懸命に思い出せば内山田洋とクールファイブの「逢わずに愛して」。……後日談あり最近この蘭杜街にて評判の店は「蝦麺店」にて飴軒すでに開業より十数年でブーム過ぎた店にて余の勘違い。晩に尖沙咀に薮用済ます。畏友M君と話したこと、日本語の表現にて翻訳難しきは「いい思い出がつくれれば」とか「いい思い出になるよう」など。思い出は結果でしかなく期待すべき目標とは異なる筈が日本人の、とくに旅行であるとか学校といった世界にて「いい思い出になるように楽しんでください」だのと用いるを英語、シナ語にした場合の珍妙さ。遅晩に荷風先生日剰昭和十五年一月を読む。
蘋果日報の連載で左丁山氏が香港経済日報の記事紹介しイラクでの日本人人質について興味深き分析。この人質救出とその後の国内での対応「きわめて東洋的」と。人質の解放までは政府積極的に動くが一旦解放されようものなら国内にて、人質となった者に非難囂々。これが、親は子どもが親の言うこと聞かず冒険に出て何かあらば親が出て解決し無事に子を家に連れ帰れば叱咤してこれからは親の言うことをきちんと聞け、と説教。これに対して米国のパウエル国務長官のこの日本人人質についての言及を取り上げ、国家にとってこのように理想に燃え冒険する民がいることが大切、そういった民の理想あっての国家の進歩、と。実際の米国の状況鑑みれば素直にこの米国魂をば賞賛できぬが一理あり。
▼実(げ)に恐ろしきは党独裁にて朝鮮半島将軍様シンガポール李王朝の世襲中国共産党こそ政治権力の世襲はせぬが李鵬を例えにせば妻の朱琳は広東大亜湾原子力発電所の北京弁公処主任で長男の李小鵬が華能国際電力公司董事長と中国の電力をば掌握の如し。江沢民も長男の江錦恆は中国網通(チャイナネットコム)の会社創設者の一人。ファイナンシャルタイムズがこの中国網通による香港の電話網寡占会社PCCWの買収を記事にしたが(こちら)PCCWは現在、李嘉誠の次男所有しておりバブルで買収した結果惨澹たる状態、これを中国政府系の中国網通に売却せば少しでも投資資金回収した上に中国政府に香港の電話網提供し忠孝でもあり。この買収など成功せばPCCWの子会社であるインターネット網のnetvigatorも中国の掌握下かと思ふと首根っこ捕まれたが如く暗澹たる気分。
▼ジャズのドラマー、エルビン・ジョーンズ氏逝去。新宿や「かつての」渋谷のジャズ喫茶に背中丸めうずくまり聞きたるコルトレーンとの名演奏の数々。余の世代には忘れ難き名演奏家なり。

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