富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月初六日(日)今にも雨降りだしそうな普段の曇空晝前に北からの 季節風一吹すれば途端に遠くの山なみまですっきりと遠望できるほど空気澄み渡り気温は晝でも27度、夜半には23度と昨日より一気に四度下る。晝にかけて ジム。気温下がったことを事由にペニンスラホテルのPoloにてコーディロイのヂャケツ購う。沙田にて競馬。R7(3班1,000m)にて Anabatik(騎手はCahill)短距離を自家薬籠中のものとして目下五戦で1,000mは二冠一亜、1,200mは一冠一亜と負け知らず。今日も これに勝つ。好きな小飛象(Elephant Dance)はR6(・班2,000m)、飛象過河(Flying Bishop)はR10(2班1,600m)にていずれも一番人気で着外とふるわずメインレースR9(精鋭班1,800m)ではC氏の多利高(李格力騎 乗)は揮わず七着。小宮豊隆中村吉右衛門』読了す。歌舞伎嫌いで通っていた漱石が歌舞伎を「極めて低級に属する頭脳をもった人類で、同時に比較的芸術心 に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応ずるために作ったもの」と定義するのはかなり面白し。言い当てていて妙。明治で九代目であるとか五代目歌右衛門の あたりから団菊左に至って歌舞伎が高級なものになるのだが漱石の言う通りの低俗な大衆演劇であるのが本抄。豊隆も書いている吉右衛門文化勲章で芸術の域 として「公認」されたわけだが豊隆の随筆はこの「吉右衛門文化勲章」昭和26年あたりから吉右衛門逝去、そして句集、日記の上梓と播磨屋亡き後の文章が いい。若い頃の「吉右衛門論」のような必要以上の緊張がなく吉右衛門という大成した役者の姿が文章から彷彿される筆致。窓を開ければ涼風、すっかり秋の気 配となる。