富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月三十一日(土)曇。海で日光浴、つまり身体に悪いことをしている。新聞読んだのみ。午後ジム。一旦帰宅して宵のくちZ嬢とQuarry BayのEast Endにて一飲。帰宅して豚汁食し先日いただいた京都七味屋の七味あり振ってみるが七味屋とてあれだけ大店となると通人には七味屋などホンモノの七味でないといわれそうだがそれでも某大手食品会社のいくら量を多く振っても色が赤くなるだけでちっとも香ばしくも辣くもない七味に呆れていた身にはかなり香ばしく見事な七味。防腐剤など添加物なきため開封から二カ月が賞味期限とあり、大手食品会社の七味をみれば一年半の賞味期限。さういへば子どもの頃、市中の百貨店のまえに七味を売る老人夫婦の屋台があり、いつも祖母に頼まれて買ってくる量は小さな紙袋にほんの少し。かなりマメにお使いに行かされ面倒であったが今思えば少しずつ新鮮な七味を購っていたわけかと納得。その老人夫婦の屋台の七味屋、客毎のつまりその家ごとの調合をちゃんと判っており、客がくると七味の具のはいった朱塗りの木箱を開けると百貨店のまえの歩道に七味の香ばしさが漂い、小さな袋に耳かきのような匙で七味を調合する。七味が湿気ったり濡れたりすることを嫌ってか雨空の日は屋台は出ず。かなり人通りの多い目抜き通りでその百貨店の正面玄関に、銀座の三越の翌年かマクドナルドができた頃にその老人夫婦の七味屋は店を閉じていた。今ではその百貨店じたいが店終い。屋上の遊園地から市街が一望でき、このデパートの正面玄関に備えつけのテレビで吉田茂国葬の場面を見た記憶があり。これが記憶に最も古い社会的事象の記憶。手足を切断したり目を抉られた傷痍軍人がよくこのデパートの前で軍歌をハモニカで吹きながらカネを乞ふており何故に戦争の犠牲者でありながら援助もなくこんなことまでして生活せねばならぬのかと子どもながらに不思議に思ひ、あとになりその街頭で募金を乞う傷痍軍人の多くが在日朝鮮人の軍属であったことを知る。
▼いつも見ていて抱腹絶倒はNHKの海外安全情報にて合州国で流行る西ナイル云々という流感のウイルスはかからないためには「蚊にさされないこと」と神妙な表情でアナウンサー宣うが正気か。珍しく香港も注目され「最近」九龍の尖沙咀、旺角、また香港島の中環地区などで万引きが多いそうで対策としては人前で財布を出さぬこと、また屋台などでは法外な値段をふっかけられること多く対策としては領収書をもらうこと、と(笑)。最高の娯楽番組。
合州国の某通販よりの文章にYour order should head out Tuesday morning.とあり。head outが陣頭に立ち出発するといふのはまだ理解できるが発荷にhead outとはこれまた大袈裟。いかにも米語的表現。
▼首相小泉君訪朝にて日朝国交正常化へ向けてと新聞に文字踊る。朝日の報道によると昨日平壌の各職場のスピーカーから大音響で(だいたいこういう国家スピーカーがあることじたいオチャラケだが)小泉君が來朝し金正日君に「接見」と伝えた、と。この日訳の接見が朝鮮語でじっさいにはどう言われたのか計り知れぬが広辞苑では接見とは「身近に会うこと」が原意だが「高位の人が公的に人に会うこと」として用いられさういふ意味では金正日君も小泉君も高位であり対等ではあるが例文に「教皇が信徒を接見する」とあり顕かに高位の者が僕に会う事。では主語が小泉君であるから小泉君が高位かといへば当然のことながらかたや独裁で実質上の元首でありかたや議院内閣制の首相に過ぎずは「金正日氏が小泉首相を接見する」が正しい解釈であろう。日朝国交回復はいいことではあるが北朝鮮の狙いは当然の如く米国でありブッシュ政権にてしかも「悪の枢軸」呼ばわりされ硬直した米朝間の関係改善にはまず日本。米国の露払い。北朝鮮北朝鮮で中国政府が必ず外交はまず相手国が北京に朝貢し返礼として相手国訪問もするのが定義にて(ニクソンが米中国交回復のため訪中したことは北京政府にとっての最大の外交収穫であった)北朝鮮もこれに倣ったのか小泉君の訪朝は当然。ただし朝貢外交も国家威信の発揚のようでいて登校拒否生徒は学校に来ないのであるから担任が自宅を訪れるように、また不良少年には保護司がこまめに少年のもとを訪れるように、訪れてもらうといふことはけして威光ばかりでなし。
勝谷誠彦日記を読んでいて康夫チャンの選挙開票待ちの会場が朝日村となったことを知る。通常は選挙事務所のある、つまりは県庁所在地であるが朝日村にするなんて、もうその感覚だけでも勝ってしまっている。電通とか代理店のいらない選挙。長谷川とかいう弁護士もあれで自分で出ていればもっと得票も伸びたろうが結局は議会や市長やってるオジサンたちに担ぎ出されそのお人形であることが暴露されてしまって無惨。だいたいにおいて「女性候補を」という発想じたいが男性社会(笑)。選んだ結果が男でも女でも適材であればいいだけの話。