富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月六日(火)朝寓居出てバスに乗る瞬間に大雨となりバス乗換えにて降り荒む。気温は27度とこの雨続きはまるで春の如し。晝に某料理屋にて松茸いただく。午後になり小雨となる。ジム。最近のジムの夜半の混みよう並大抵に非ず不景気にて外に遊べば要銭月費収めるのなら頻繁にジムに通ふ輩少なからずか。B&Oにてリモコン修理出来受領。修理費HK$608。新品はHK$1008ではぎりぎりの選択。納得ゆきし事は交換した故障した(らしい)IC板をきちんと客に返却。それにしてもたかだかリモコンがHK$1,000とは高い(汗)が鋼鉄製にて強盗入りし際は防衛武器となりそのリモコンの制御範囲並びに距離といへば日本製家電の比に非ず。世田谷のT君に触発され石川淳森鴎外』少し読み始める。石川淳の無駄のなき緻密な論理構成され尽くした日本語。それにしてもこのワープロの鴎外の「鴎」といふ字はどうにかならぬか。区は區でないとどうも間抜け。
▼昨今銅鑼湾など路上にまさに肢体ひれ伏し這って物乞する者少なからず。かつて大陸にてそれを初めて見た時にこまでせねばカネは給されぬものかと愕然としたもの。香港はといえば企って腰屈めるか椅子に坐る物乞多かりしものが路上に坐り込み路上に土下座しと段々とその姿勢が地べたに近づき遂にキョウビの肢体ひれ伏す哀れなる業態となりぬ。不景気になればなるほど通行人の財布の紐固くなり物乞いは地べたへと崩れるか。
▼日系の新聞に九月開催の香港フィルによる蝶々夫人の広告あり。嗤うはその蝶々夫人であるから在港邦人向けに日本語の広告を出す政府当局の安易さ。日本語の広告はといえばムタイ・タン(指揮者)、ロー・キンマン(制作)、レオ・チョン(照明)レイモンド・フー(合唱指揮)、ナンシー・ユン(蝶々夫人)、イオン・ポジャール(ピンカートン)、ユン・デン(鈴木)といった名前をカタカナ書きされたところで一向に知らぬ存ぜぬ名が連なるばかり。このような翻訳など全く意味なし。名前はローマ字、漢字表記であるほうがよっぽどマシ。まだそれなら「ああそういえば先日の新聞に……」と察しがつく者もあらうがこのカタカナ書きされたところでそれと繋がる媒体も露出もなきことを全く理解しておらず。浅薄。原題も名前のローマ字表記もされぬ日本の映画音楽紹介もはたはた困ったものだが……。
▼『信報』の連載随筆にて程逸なる筆者『明報』紙から「日本文部省外来語氾濫を制限」「外来語の氾濫に右翼や政府も危惧」というような記事を引用し(この記事じたいイロモノだが)日本は外来語は多いわりにその発音の日本語化、殊に母音の挿入音が著しくこれが原語の発音から甚だ異なる外来語を作る元凶、と。この言語上の転化は事実だろうが此処からがこの作者の狂っているところで "screw" なる語を正確に発音できぬ日本人は99%に及び!、これが出来ぬことはこの程逸は「低能」と云いこの言語理解の不正確さが正確を追及せぬといふ性格的欠点でありこれは日本の民族的正確のひとつの欠点である、と言及。かういふキチガイはどこにでもいるわけでかういふ人が同じ類の「正確を追及せぬはシナ人自身」のような反論が易しき都知事とかと論争になってしまふと泥仕合。なぜに言語上の音転化といふただそれだけのことで民族的欠点にまで言及できるのか真に低能といふのは不思議なものなり(嗤)。