富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月五日(火)順寿司仲間A氏H氏見舞い給わる。昨日の如き歩けぬほど坐っておれぬほどの目眩はなくなれど本に目を落とせば行間が多少揺れもす。さりとて入院していて治療あるわけでもなく(メニエール病か?)自宅療養せよとのH医師の指示にて退院。中上健次『奇蹟』、中上君の係り結びは読むに難儀にて「代官の命令で働けない年寄りを穀潰しだからと、ことごとく山に姥捨てをしていた」などちょっとした文だが句読点が気になるところに打たれてしまひ「働けない年寄りを穀潰しだからと代官の命令でことごとく山に姥捨てをしていた」という意味だととるのに0.4秒を要す、こんなことにかなり不便にて読み留まりしものの病床にて漸く読了。久々に読み続けるに精力果てるほど疲れし物語なり。物語は三月三日雛の日が町内にては雛人形を飾り賑やかな節句の日なれど路地にては雛人形を購う余裕のある家もなく子ども等には幾許かの菓子を持たせ磯辺に放ち磯遊びさせることで節句がわとする日にて、またその日はイクオが縊首した命日、タイチに奇蹟の数々起こりし日にて、また小森陽一が紹介せし通りこの節句が宮中の曲水の宴と呼応し、この遊びこそ階層に基づく言葉遊びなる<構造>をそのまま体言したものにて、宮中とこの熊野の路地にて高貴にして澱んだ血の流れを象徴するもの。奇しくもその三月三日を通して『奇蹟』を読みひどい目眩とは。中上君が存命であればこの路地の物語はタイチの弟ミツルやシンゴという中本の若衆に継がれていくのだろうが、路地じたいがイバラの留のような路地上がりの土地開発により「都市化」され物語の残る場所すら消える。これがその掲載された『朝日ジャーナル』の廃刊じたい路地(差別)、極道(右翼=対局としての左翼と朝ジャ読者)といった世界が喪失され中上健次が逝去する時代の終焉か。▼三月一日に歌舞伎座にて坂東三津五郎「一日消防署長」(笑)。かつての八十助は酒酔い運転など前科あり警察署長はできないぬが火消しは江戸の華、昔から大酒飲みだから三津五郎に適役。▼巷にて噂の四代目尾上松緑襲名披露「五月大歌舞伎」は「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」が祐経(三津五郎)、五郎(新之助)、十郎(菊之助)に舞鶴芝雀)にて新之助菊之助の五郎十郎は今が華。「素襖落(すおうおとし)」の郎冠者は富十郎なら当代一。で(笑)問題の「義経千本桜・川連法眼館の場」は忠信/源九郎狐が辰之助、否、松緑義経團十郎)、川連法眼(左團次)に妻の飛鳥(田之助)で静御前雀右衛門)。これでは法眼館は田之助を除けばまるで俳優祭。それで昼之部最後が京人形で左甚五郎(菊五郎)に京人形の精(菊之助)はせめてもの口直しか。そして夜之部は昼の寿曽我対面と素襖落が見られなかった客にせめてお代に見合う程度ということで「舌出し三番叟」にて三番叟(三津五郎)と千歳(新之助)を見せて、四代目尾上松緑襲名披露。そして昼の部の義経千本桜でめげずに「勧進帳」は弁慶(辰之助改め松緑)に予想は富樫が成田屋義経音羽屋かと思えば富樫(菊五郎)にて義経富十郎辰之助君の名演を期待す。でも何故か最後は成田屋で半七捕物帳(笑)。▼Z嬢が知古の小学生曰く水上レストランのジャンボは『千と千尋の神隠し』の湯婆の油屋そっくり、と。御意。