富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月一日(水)雨。旅行用にPowerBookG3のネット接続、メール転送、外地での接続などの調整す。雑用に追われ本どころか新聞すら読めぬ数日。ジムだけは連日。Z嬢より現在では歴史的にも貴重な銀座太郎の店内の写真が提供される。Z嬢、なぜこんな絵葉書を後世までキープしているのか不思議。香港に数多く存在する「日式料理」(日本「っぽい」料理屋……かなり亜流)がこの80年代の銀座太郎の内装の影響をかなり受けていることが顕著に判る。帳場左の柱影に写っているのが経営者M氏。
『信報』にて劉健威が随筆に挙げられし笑話。
その一。大家都高興(皆嬉し)。行政長官董君並びに臣下が閣僚供にヘリコプタにて香港上空を飛行せし時董君ふと曰く「この窓より一枚の一千元紙幣を落とさばそれを拾いし人が喜ばむ哉」。それを聴きし律政司司長(梁愛詩)「董太爺、何故に五百元紙幣二枚とし二人の人を喜ばさぬか」と応える。経済司司長(梁)続けて曰く「董太爺、何故に一百元紙幣十枚とし十人の人を喜ばさぬか」。その時ヘリコプタが機長振り返り曰く「何故に閣下自らを窓より放り出し六百万人を皆喜ばさぬか」と。六百万人は香港の総人口なり。
その二。香港的未来。ある日律政司司長並びに経済司司長など政府高官一同会議に聚まる時に交通事故、皆救急病院に運ばれ、記者病院に終結し医師が現れるを待つこと暫し。医師緊急治療を終わり記者尋ねる「先生、先生、律政司司長は助かりましたか」。医師沈痛な面持ちにて首を振り「いや、律政司司長は助からず」。記者また尋ね「経済司司長は?」。医師沈痛な面持ちにて首を振り「いや、経済司司長も助からず」。記者重ねて尋ねる「そ、それでいったい誰が助かったのですか」と。医師感慨一入に曰く「香港が助かったのです」と。
律政司司長梁愛詩の人に嫌われ憎まれしし事は公然たる事実なれど就任早々の経済司まで笑われる。