富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月六日(金)雨。昨晩よりの台風Utor来港にシグナル8警報引き続き巷コンビニ以外ひっそりと業をひそめたり。雨風は雲の流れこそ早くもさらさらと小雨続き風もなく寧ろもつと煩わしき天候の中仕事にと家を出でること屡々なれば腹立たしきものなり。昨日の香港日本協会Japan Society昼食講演会にて律政司司長・梁愛詩先月行政長官董君が法輪功をカルトと断言せし事を弁護し、梁曰く董君は"has a duty to warn such an organisation not to cause any social disorder in the territory, just as he has a duty to speak on drugs, rave parties, smoking, air pollution and any apparent deficiencies in our educational system and other social issues."と。そもそも梁の非法理的点は社会的危険とし法輪功(宗教)とレイヴパーティ(社交)を麻薬、喫煙、大気汚染といった明らかに健康を害せし具体的物象と同一に扱うことにて、法輪功に反北京的姿勢あれどレイブにて麻薬が蔓延るも事実なれど、梁の非常識には開いた口塞がらず、この梁がいくら古くからのJapan Societyの鍵人物とてこの時期にこの立場にありしこの非常識なる人物を講演に呼べば何を語るかは察するは易しく抑もJapan Societyの了見を疑わざるを得ず、梁の非常識を拝聴するが目的なら判るがまるで梁に加担するが如く映り、純粋に良識ある知識協会とあらんとすれば早々に次回法輪功とまではいはぬが民主派人士を招聘し逆の立場より語らせるべし。台風にジムナジウムまで閉まりZ嬢と昼まで3年分たまりしスナップ写真を整理しアルバムに貼る。実に97年冬をAmanpuloにて過ごし休暇以来の写真なり。昼に出街も侭成らず蕎麦でも茹でることとなるがZ嬢が卵焼きなど作れば飲まぬ訳にもいかず信州は喜久水の吟醸、午後雑誌読み午睡。春にアラン=コルバン『レジャーの誕生』を読みし折に藤原書店の書誌『機』を入手し数カ月鞄に眠るを読む。出版社の無料宣販誌と侮る事勿れ、堂々の32頁、仏蘭西リベラリズムアナール学派を日本に伝える藤原書店なればブルヂューの社会批判から『フィガロ』紙のコルバンのインタビュー、日本戦後民主主義がまるで葬りさられんがばかりの現状にて内田義彦!まで、岩波書店すらマイナー化する日本にあって藤原書店に熱心な読者あり目を醒されつつ、それであの日本の様は一体如何様にと悩まざるを得ず。リベラリズムの良識は何処。数年前に已に音がせぬテレビはビデオにて音賄へれば画像用を足し最近画面が映らぬ事少なからずも所詮余りテレビを見ぬ故誤魔化し誤魔化しテレビを使えど遂に本日未明に天気確かめんとすれば映らず遂にウンともスンともいわぬ様、これは遂に寿命かと、夕方雨は寧ろ強くなりぬが台風警報も3となり出街、まずB&Oにで高級モニタを拝めば美しい映像もモニタの見事なフォルムも基本的にはテレビなるものが居間に鎮座しまする事を厭う我らには格不相応、豐澤にてSharpの液晶モニタ見つけこれは居間にて謙虚に凭ると早速購い週明けに配達手配すれば、つい大雨の居候続き出街すれば購買欲高まぬわけもなくVCDプレーヤーまで購ひたり。黄昏時より大雨。あまりの運動不足なこの数日の様に自ら呆れジムナジウム訪れシャワー浴びすわ鍛練と思いしなランニングクラブモルヒネI君より携帯に電話あり蘭桂坊はAgaveにて独りテキーラを飲む、と。数分後にI君と合流、鍛練は忘却の彼方、甘味控えめのかなり秀逸なマルガリータ、Z嬢合流しAgave裏のGood Luckなるタイ料理屋の店先の軒にて雨凌ぎつつ晩餐、ジムへの道すがらWatsonsにて購いし赤葡萄酒Medocの銘柄失念の98年並Syrache98年を持ち込みにて二本とも空ける。帰宅してVCDデッキをHaifiにつなぎ後日液晶モニタを系ぐまで準備す。夜半同志社大K君から譲られし志ん朝のテープにて『雛鍔』、志ん朝は口跡こそ見事だがあの高声がどうしても耳に障る。