富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月二十八日(月)晴。昨晩I氏の書架に飛山百合子『香港の食いしん坊』を見、借読と思えばI氏は余に譲る、と。飛山女史は空間プロデューサーに次いで胡散臭いコーディネーター、コンサルタント業界、それも消え物であるが故に何とでも言ひ包めが可能なフード業界にあって実際に心骨から徹底した料理の研究家であり、この人が香港を代表する料理評論家である唯靈の半生、日常を通しての香港の食をまとめたのだから充実した出版である。日本でどれだけ読まれるのか知れないが、少なくても唯靈でまとめておかないと誰も覚えておらず忘却の彼方へ消える香港・広東の食の蘊蓄なのである。これを頂戴す。出版社が白水社というのがいいではないか、この内容で。数日たまった新聞を乱読。講談社現代新書にて長谷川宏丸山真男をどう読むか』、浅田秀子『敬語で解く日本の平等・不平等』とブルーバックス(これを買うのは20年ぶり!)竹内外史『集合とはなにか』を紀伊国屋に注文す。日本語と敬語の問題はまさに天皇制の問題であり、美しかった日本語を歪ませたのが明治からの国家・日本なら殊に戦後の民主主義下の象徴天皇制住井すゑが論破したように「エリザベス女王の来日に対し天皇陛下が歓迎のお言葉を述べられました」といった客を客とも思えぬ敬語の虚無化を生んでいる。客を前にしては卑しいほどの謙譲ができてこそ象徴として鵺的に御座します天皇制といえるのに。佐敦は彌敦粥麺家にて魚片大肝粥と油條を食す。なぜ魚臭くないのか不思議なここの魚粥、でも油條は合わぬ。油條にあう粥はいったい何なのかと自問自答するが恐らく塩味で葱をちらした粥、それに胡瓜とトマトのスープで油條が最適と思う(ああ、瀋陽にでも行きたいっ!)。BowmoreのClaret(赤葡萄酒樽にて熟成のモルト)、さすがに味が濃厚でevianにて割って(当然氷は要らない)ちょうどいい芳香、羅大祐の1989年の名盤『愛人同志』を聴きながら日記書く。羅大祐のちょっと蓄膿症なロック、哲学的にチャーに近いものがある……見た目はチャーのほうがずっとカッコいいけど、でも久々に聴くといいアルバムだ、この80年末は北京が崔健、台北が羅大祐で最高だった。ロックは反体制がよく似合ふ。