富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

香港マラソン(ハーフ)

2月4日(日)濃曇。香港マラソン。流石に目眩こそせぬものの体調頗る不快にてとてもハーフなど走りたくなどない体調なれど先だって参加記念Tシャツに捨ててしまつたがメダルまで頂戴したこともあり参加を見合わせるも不愉快、名誉ある途中退出もありかと思い始発のMTRにて尖沙咀へ。参加者数万人、大音響の案内にてペニンスラ、シェラトンに宿泊の客もさぞや迷惑だろうに、彌敦道は通行止めにてペニンスラホテル角よりスタート、重慶大厦にて今朝火災ありし場合、レースが中止となるのか重慶大厦が燃えるのかと思ひ、どうせ体調悪いならせめてスタートくらい前方にてと半時間前にスタートに並び好スタート、昨年の不快指数120%に比べれば摂氏15度、湿度95%は大気悪臭を除けばまだ快適にて、Lai Kingの折り返しまでは5分/kmに迫り下手すると悪体調克服かと思いきや折り返せば既に体力消耗甚だしく途端にペース落ち、真直ぐに走れずタイムロス、肩こりとリンパ腺の痛み、ボーッとしたまま1:54にてゴールす、気温上昇せぬはせめてもの救い。ゴールにてM会の面々の祝福を受けこそばゆいおもひ。帰宅し、これを綴る正午前、フルマラソンのレースのタイムリミットは5時間にて正午なり、拙宅より高層ビルの隙間より辛うじてConnought道見下ろせたり、双眼鏡で覗けば終点まであと1キロ地点か、道路封鎖制限時間まであと5分と戦う選手の姿。ふと思い返せば、その界隈にて歩行者橋にて大きな日の丸を掲げ応援する日本婦人数名の姿あり。百歩譲ってオリンピックの如き国家主義の祭典ならまだしも個人参加の本日、日本からの招待選手がいる訳でもなし、全コース中ゴールも含め「国旗」を掲げる連中は他にひとつも見ること没し、場所は総領事館に近く寧ろ抗日デモで「日の丸」が侮蔑をよく受ける界隈、そこで日の丸とは……、小生はその婦人らに視線を合わせず走り過ぎたりし。日の丸もおぼろににかすむ春の霧。今、正午、Connought道の道路封鎖解けたり。レースに参加せし又本日香港トレイルを歩きし友人より午後の納会に誘われど体調万全でなく伏せるほどではないが人と歓談慶酒できる余力はなし。微睡。昼すぎZ嬢と中環はJimmy's Kitchen、日曜昼にビーフRib&ヨークシャープチングを喰らう英国人の心地知りたくそれを喰らう。そういえば中環に下りる道すがら天主教総堂といい聖ポール教会といい礼拝の車の渋滞、不法駐車著しく日曜にこういう場所の混雑を初めて知りしが、彼らも教会礼拝終わり食すはそれにて、それ故にJimmy's Kitchenのデイリーメニューが日曜はこれなりしと合点。Jimmy's Kitchen、給仕の作法もいいが此処の珈琲は格別。不幸なことに、紛れもなく「香港にて食事の際いちばん遭遇しなくない」人物である律政司・Elsie梁愛詩が親族郎党引連れ現れしをZ嬢発見、思わずRibを切るナイフに力入りたり。体力はないが体調は回復、灣仔詩藝戯院に張楊監督作品『洗澡』を観る。北京の清水池なる風呂屋を舞台に都市開発の濤に揉まれ老朽化した風呂屋を元気に営む父、深○にて事業に成功せし長男、白痴ながら父の風呂屋を健気に助ける次男、長男が帰省で始まる人情劇、近所の風呂好きの住人の悲哀、笑い、親子の情、迫りくる都市開発、父の死、弟の面倒、風呂屋の廃業と胡同の破壊……といったストーリーはアリキタリなのだが、それで良し。とくに芝居上手な老年の役者たちがじつに北京の胡同のウィットを見事に演出。張楊なる監督好し、単純な物語ながら実は裏話も見え隠れ、面白し、裏話の臆測できなくばツマラぬ物語よ。北京といえば王府井の清華池もすでに「商業化」で破壊され、あの市街の静寂も今はなし。西安電影厰の制作とあったが西安は大華浴室は未だ無事か。帰宅して柚子湯。雑煮。一葉日記。最近流行りのメルマガにて「歌舞伎素人講釈」なるものを購読せしが、この作者、宗十郎の逝去で谷崎の「瘋癲老人日記」を眺め「近頃コンナ美シイ揚巻ヲ見タコトハナイ。」と谷崎晩年の傑作の前半は沢村訥升(後の宗十郎)賛美で埋め尽くしと彷彿するとは敬服。