富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-11-26

十一月廿六日(月)原田治著『ぼくの美術帖』(みすゞ書房)は手にした瞬間、その装丁の優しい美しさ(勿論、装丁は著者本人)、本の開き具合の柔らかさ(製本は誠製本)、そして綺麗な活字は当然のやうに精興社で、「なるほどな」と日本の製本技術の最も調和のとれた世界を垣間見た想ひ。でもそのためには2,500円になつてしまふ。かういふ計算はいけないけど1頁あたり10円余。原田治とかかなりセンスのいい著者、みすゞ書房くらひでしか許されない贅沢。早晩に中環。Colorsix現像店で写真受け取り。FCCのバーで久々にウヰスキーソーダ2杯。葡萄酒はボジョレーヌヴォーの季節だつたりしてJacques Charletといふのを一杯、まぁ季節の味覚、といふことで。Z嬢と上環で待ち合はせ生記粥品専家。魚腩及第粥。此処のお粥、お粥ぢたひはほぼ三分粥。究極やね。今晩は上環のCivic CentreでAlexander Korbinなるロシアの若手洋琴家の独奏会あり。開演前にCivic Centre近くのGrazeなるカフェで珈琲。香港は最近かうしたちよつと洒落たカフェがちらほら。昔はコーヒーといへばそごふ地下のポッカくらひしかなかつたこと考へればぢつに嬉しいこと。なかなか美味しい珈琲。でAlexander Korbin君は2005年に第12回Van Cliburn International Piano Competitionの金賞授賞ださう。舞台にはヤマハの洋琴。Z嬢曰く上環の此処にはベーゼンドルファーもあるのに。パンフレット見ればあちこちのコンクールの授賞歴の一つに浜松国際2位(と書くと浜松オートの重賞レースのやうだが)とあり、その関係でヤマハなのかしら、なんて。で演目はモーツァルトピアノソナタニ長調K.576で、アタシはモーツァルトの、とくにピアノソナタなんて苦手中の苦手、といふか全くわからない人種なので最初からこれには期待薄だが、それ以上にこのアレックス君の奏法が上手い下手でなく生理的に合はない、と感じる。続くベートーヴェンソナタ第4番変ホ長調作品7に多少期待したが、やはり井上直幸先生なら「とんでもない!」と、もつともつと曲に愛情を込めて、と思へてならず。休憩はさみショパンエチュード(12の練習曲 Op.10)。第1番ハ長調や第3番ホ長調「別れの曲」あたりは聴けたが、やはり芸風が合はないと、いくら熱演されてもアタシは「だめ」で終はつてしまつた。仕方がない。いくら小さん師匠の落語を聴いてもアタシはダメだつた。それと同じ。落語といへば、前述の『ぼくの美術帖』のなかで原田治さんが鏑木清方について書いてゐるのをFCCで酒を飲みながら読んでゐて、思はず没頭してしまつたのは、原田さんが清方が好きになつたのは、あの有名な三遊亭圓朝像で、それを竹橋の近代美術館で見た時のからだがぶるぶる震へた時のこと、落語が好きで圓生から圓朝の広大な世界を知つた、といふ記述が書かれてゐたから。私も、清方を知つたのは圓朝像。小学生の時に家にあつた旺文社の学芸百科事典の各巻末に美術図録があり(三島由紀夫はそんな時に「聖セバスチャンの殉教」を見つめてゐたのだらうけど、私の場合はフランソワ=リュード(1784〜1855)の「亀と遊ぶ少年」といふ世界が好きであつたが)、その図録の中に「なんで圓生師匠がここにをるねん?」と一瞬、思つたのが清方の圓朝像。圓生は「笑点圓楽が「名人、円楽です」なんて言つたので叱つた」師匠であり上野鈴本で実際に高座も見てゐたので知つた顔。で、清方のそれが圓朝像と銘があり、あ、この人が怪談牡丹灯籠のあの不世出のあの名人か、と知つた、といふか清方のあの湯呑茶碗を手に上目遣ひの圓朝像が三遊亭圓朝として目に焼き付いたのだが、いづれにせよ「圓生圓朝を目指してゐる」と、子どもだからそこまでは感づいてゐないが、少なくても圓生圓朝に似てゐる、と思つたのは確か。あとになつて圓生師匠が生前、圓朝襲名を真剣に狙つてゐたことなど知り、納得。それにしても原田さんの筆致が頗る佳い。
江戸から明治にかけての噺家の名人圓朝を、清方は年少の頃の面識から想像して描きました。ここには圓朝という人の姿かたち人格の写実だけでなく、圓朝の芸術に対する写意がはっきりと存在しています。
鏑木清方のあの円朝像が好きな者にとつて、とても短いがこの原田さんの簡潔な言葉以上に何も必要はあるまい。
▼昨日ジャパンカップ制覇のアドマイヤムーン引退、と発表あり。それにしても頭角現した名駒が4歳で勝ちをさらつてさつさと引退、といふのは「ちよつと待つて」と言ひたいが、これについてはオーナー=ダーレイ・ジャパン(DJF)の高橋氏の決断力とか斉藤さんがきちんとかかれてゐるので(こちら参照)なるほど、とわかる気もする。武豊騎手の騎乗も、確かに馬友のO氏に聞いた通り、これがアドマイヤムーン凱旋門賞に出るならロンシャン経験してゐる武といふのはわかる話で、だが、疫病の関係でロンシャンには行けずに、それでも天皇賞(秋)からの乗り代はり。O氏曰く「テイエムオペラオー和田竜二を乗せ続けた岩本市三の気合がほしかつた」と。
有馬記念の2500は先日のレースをみるといっぱいいっぱいで無理、思ふのも十分わかるが、最後にもう一度みたかったなというのが正直な印象。ダイワメジャーとかとの対決だの。土曜日のジャパンCダートもDJF所有のフリオーソと絞り、この馬は来年のドバイカップを睨んで、の購入だったはず。で、DFJの動きが俄然、気になる。
とO氏の弁。
▼話は旧聞に属すが今月、智利のサンティアゴにて中南米諸国と西班牙、葡萄牙によるイベロアメリカ首脳会議が開催される。ベネズエラチャベス大統領が雄弁通り越しての毒舌で西班牙の前首相を批判したに対し西班牙国王フアン=カルロス1世が「怒りをあらはにし「黙れ」と発言する一幕があつた」(時事通信)といふ報道あり。記事によれば
10日はスペインのサパテロ首相が「前首相も民主的に選ばれた。敬意を払ふべきだ」とチャベス大統領に苦言を呈した。大統領が何度も反論のため首相のスピーチを遮らうとしたところ、首相の隣にゐたフアン・カルロス一世が身を乗り出して大統領を指さし「黙らないか」と発言した。
となつてをり「黙れ」と一喝するのと「黙らないか」ではだいぶ「日本語の」ニュアンスも違ふが、この「日本での」報道は完ぺきに意味がつかめてをらず。唖然。アタシが香港で読んだ記事によれば、この場面、チャペス君の暴言でかなり会場も緊張し、或いは白けてゐたが、そこはさすが西班牙国王、カルロス1世が鷹揚に身を乗り出して ¿Por qué no te callas? と一言(Youtube)。英語にすれば “Why you do not shut up yourself?” だし日本語なら「黙らないか」なのだが、スペイン語で、この“te”が、さすが御大、カルロス1世。本来、このての会議の場であれば“you”はスペイン語で“usted”であり、これで¿Por qué no usted callas?とでも宣へば、場はかなり緊張するが、そこを ¿Por qué no te callas? なら「ほら、君、ちよつと黙らないかね」と威厳ある紳士なお爺さんが若いやんちや坊主を窘める、つてな感じ。しかも王様から、は光栄。このカルロス1世の大人が話題になつた報道なのだが……。同じやうな会議がもう一つ。ウガンダで開催された英連邦首脳会議(CHOGM、Commonwealth Heads of Government Meeting)について。かつての大英帝国の威光か、英国や豪州、カナダからカリブ海のアンティグア&バーブーダ(人口6.8万人)まで数十カ国が参加。なんか大時代がかつた旧守派の集り、かつての栄光、といふ印象あり。しかも今年はダイアモンド婚をマルタで過ごしたエリザベス女王が、この会議に合はせ53年ぶりにウガンダ訪問で熱狂的歓迎、とそちらばかり報道される(こちら)。が、実はこの会議、英連邦に属す国にはバングラディシュやボツワナなど硝煙キナ臭い国もあるが今年は何といつてもパキスタンムシャラフ大統領の戒厳体制が討論され53カ国・地域の代表がパキスタンムシャラフ大統領に対して“has suspended Pakistan from councils of the Commonwealth pending restoration of democracy and rule of law”と決議。国連安保の決議なら大きく報道されるが、実はラテン系各国や大英帝国などかういつた「縁し同盟」もまたそれなりに動いてをり影響力もある。本来、東アジアなら漢字圏で全員が漢字で筆談会議とか、儒教文化圏賢人会議とか(李光耀先生を名誉議長にしてあげたらさぞや喜ぶでせう)、日韓と華僑の黒社会・ヤクザサミットとかがあつてもいいはず。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/
富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/

ぼくの美術帖 (大人の本棚)

ぼくの美術帖 (大人の本棚)