富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Evita

fookpaktsuen2018-05-19

農暦四月初五。快晴。土曜日だが休日出勤してゐたら母から荷物が届く。手前の甲州印伝の筆入れは家人に。浪花屋の柿の種の左の黒い物体はVixenの単眼鏡。8x20は普通なのだけれど至近距離約25cmが凄い。アタシが不眠、不眠とこゝに書いてゐたら母がちゃんと不眠症についての記事コピー送つてくれる。米国スタンフォード大学医学部精神科教授・西野精治によるもの。アタシの場合、疲れてゐるので眠気を感じて最初のノンレム睡眠はかなり深いが、それからレム睡眠状態になるとストレス性ですぐに目が覚めてしまふやう。スタンフォードでの研究結果とはいへ結局は寝る前に温かい風呂にでも浸かり体温を上げ、そこから体温が下がる適度なリラックス感のなかで寝るといふ実にローテクなことが推奨されてゐてなるほどと思ふ。早晩に湾仔。Khana Khazanaといふ印度素食でK君と夕飯。K君は2年ほど日系銀行の投資部門で働いてゐたが企業の日本文化に馴染むこともないまゝ今年初めに退職して欧米を2ヶ月のんびり旅行のあと中東資本の会社で管理職に。Gloucester Rdに出ると今日は雲一つなき快晴だつたが日暮れても空が青く陰翳まで見事な月や宵の明星、カペラなど星がいくつもはっきりと輝いてゐる。K君から数日前に演芸学院にて公演中の“Evita”に誘はれたのが今夜。阿根廷で今でも(複雑に)国母のやうに慕はれるMaría Eva Duarte de Perón(1919〜1952)を主人公にした、このミュージカル。1996年にマドンナの映画でアタシは見ただけだつたが今晩の舞台は狭い舞台で当時の実写の映像の効果的な利用など大変に上手だが道化師役で登場するチェの存在が何とも消化しきれず。商業的演出のためなら史実もなくフィクションでチェ=ゲバラをこの阿根廷の政治にこゝまで絡ませられるのか、と。そんなことばかり気になるから苦手なミュージカルで更に気持ちが没頭できない。湾仔を歩きバーMへ。K君もアタシのお作法でドライマティーニからBlack Glouseの氷なしハイボールで。アタシの飲むピッチが速いね、と笑はれる。お酒が冷えてゐるうちに、ね。半夜三更に帰宅。
▼ドイツの気鋭の哲学者の指摘はポピュリズムについては見事だと思う。だが「どうすれば良いか」で「働く人が幸せになれる社会」とか「友情が良いものと学ぶこと」は通常誰でもわかっているが世の中はそうならないことであって結局のところ具体的な指針にはなり得ないと思うのだが……。マルクスニーチェハイデガーを「悪いやつ」と言われても。
▼岩波『図書』2013年7月号より青柳いずみこ「どこまでがドビュッシー」⑨より
モーツァルトベートーヴェンショパンやリストの時代には作曲家が自分で書いた曲を弾くのが当たり前だった。その後あまりに演奏技術が発達しすぎてしまってドビュッシーラヴェルのように「自分で書いた曲を自分で弾けない」作曲家が増え演奏家という職業が独立するようになった。
エドワード=サイードは『音楽のエラボレーション』(みすず書房、1995年)でこんなことを書いている。

「確認すべきは現在、西洋の美的活動の全分野で進められている極端な専門分化が音楽活動の分野にも進出し、それにしっかりと根をおろしたため作曲家と演奏家とが区別されてしまったことであろう。今日一般聴衆のまえに姿を見せる優れた演奏家が同時に影響力のある一流の作曲家であるという事例はほとんどない。もちろん誰もがすぐに思い浮かぶのはピエール=ブーレーズとレナード=バーンスタインという例外的存在だが、しかし確かにこの二人が作曲と演奏という二つの別個の世界を同時に、また同じ比重で股にかけているとはいえ二人とも自分で作曲した曲の演奏かとして知られているわけではない。ベートーヴェンモーツァルトショパン、リストとは違うのである」
リストはベートーヴェンショパンの曲も演奏したと思うが少なくとも彼の時代には他人が書いた曲をいかに見事に弾くかではなく、いかに見事にアレンジするか……がメシの種になった。

畫面中的榻榻米和茶几皆一塵不染,連兩隻杯子裏的水位也要同等高度,至於演員攪拌咖啡應該是三下半而不是三下也要規定。小津對現實採取的潔癖態度其實正是欲蓋彌彰,矯枉過正。過份的乾淨正是原罪也似的驚恐,隱藏了齷齪的本質,一個不小心便走火入魔,又或者,真正的面目顯露出來了。華格納那超凡入聖的音樂只不過是再一次證明,偉大的藝術家照樣可以是一個王八蛋。至於親情,本來就是最接近動物性的一種愛,老虎和老鼠皆同等具備。母獅追殺母鹿之後,和小獅子同吃鹿肉,共享天倫,其樂也融融,絕對無視小鹿的哀鳴。納粹黨員在集中營把老弱婦孺送進毒氣室殺害之後,回到家裏還不是照樣父慈子孝。弄清這一點,我們就不必奇怪,一個那麼重視親情而又似乎十分厚道的小津,可以安心夷然地隨軍放出毒氣殺害無辜的平民。