富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

68年ぶりの巨月

fookpaktsuen2016-11-14

農暦十月十五日。今晩の満月は68年ぶりの明亮の由。晩に家人と太古城で待ち合わせ鰂魚涌公園の海峡を望む見晴し台(因みに中国語では鉄道驛のプラットフォームを月台といふ)で月見。最も大きな月は登り始めで、それは逸したがまだ東北にある内は確かに見事な月。でコンビニで購つた菊正宗で月見酒。周囲は月亮撮影の写真屋さんばかりで、そのなかで酔客は我々のみ。Eastern Highwayの歩道橋上で高度なカメラで月を撮影の伯父さま、人混みに何かと思へばカメラのモニタに映る月も見事で誰彼と須磨帆でそのモニタ撮影を「どうぞ、どうぞ」と笑顔。チョートク先生曰く「カメラの作例自慢やんけ」と。御意。
▼昨日、反香港独立の「市民」集会に4万人(主催者発表)が参加(蘋果日報、こちら)。親中派のくせに文匯報を尻の下に敷いてはいけないだらう。いかに動員かけられた老人のバイトか、がありあり。しかも動員かける仲介人が手数料かなり搾取の由。
天皇生前退位に関する有識者会議、ヒアリングの第2回も俄然面白い(朝日新聞)。

天皇の仕事は国民の目に見えるところであるのみならず一番大切なのは国と国民のために祈り続けて下さること。天皇陛下は最後まで国民の目に見えるところで象徴天皇としてのお仕事をしたいというありがたいお心だが宮中で国と国民のためにお祈り下さればそれで十分なのだ。(渡部昇一
天皇は「いて下さるだけで有り難い」存在。天皇に求められる最重要のことは、祭祀を大切にして下さるというみ心の一点に尽きる。その余のことを天皇であるための要件とする必要性も理由もない。(櫻井よしこ
陛下は活動の間口を狭め、宮中で国民を思うお言葉を発するだけでも国民の心が離れることはない。被災地慰問も際限がなく、やめてもいいのではないか。(今谷明

一見、親皇派に映るこの人たちの主張で一貫してゐるのは天皇に「安寧を祈つてゐてほしい」なんてのは口実で、とにかく天皇に「出てくるな」。聖上の被災地お見舞ひを自分で勝手に設けた公務とまでいふ不敬な輩もゐるが片山杜秀先生指摘の通り天皇の「国見」は古からの天皇の役目。倒幕派から明治政府の流れで天皇は「ゐて下さるだけ「が」有り難い」勝手な国家観に基づく国粋派なのでしょう。渡部先生こそ見た目お労しや、マスコミから生前退位しては如何かしら。