富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-08-09

農暦七月初七。今回宿泊のマジェスティックホテルは高級ブティックホテルのはずが本館の裏に増築した宿泊棟は安普請で階上の部屋の足音や隣室の声、水道の音などが気に障る。昨晩は酔ひに任せて早寝したが夜中にどこの部屋からかオバサンと子どもの大声に目が覚めてしまつたら半夜三更。今回の旅で初めて寝汗をかなりかいて起きてしまひ朔日の玉音放送の所感を綴る。未明に寝て起きたら朝七時半とは珍しい。旅荷をまとめ午前11時半に退房。ホテルのライブラリーに金子光晴『マレー蘭印紀行』を置いてくる。タクシーでセントラルメラカのバスターミナルへ。食堂で昼餉。オンラインで予約と支払ひ済ませたStarmart Expressのリムジンバスで快適にKL国際空港へ。マレーシア人って車内で静か。このバス、セントラルメラカの他にマラッカのメディカルセンター発があり。タクシー運転手のジョハリ氏の話の通り、いかにマラッカの医療機関に治療に訪れる客が多いか、を物語る。2時間で空港に到着。CXのカウンターでフライトは小一時間の遅れといはれる。事前にオンラインでチェックインも済ませてゐたしSMSで遅延のメッセージすら来てゐない、と思つたらチェックイン直後に遅延のお知らせが届く。CXのラウンジで二時間半も時間ありロバートAハインライン夏への扉』何十年ぶりの再読。本当はこの本もホテルに置いてくるつもりが読めず持ち帰り。ハインラインが描いた1970年の今と30年後=2000年の未来。そのリアリティが凄いがハインラインがこれを書いたのは1956年だと思ふと更に改めて驚愕。2016年の今もまだ文化女中機(Hired Girl)といふ家事ロボットはまだ実用化に至つてをらず冷凍人間やタイムマシンもまだない(否、米国ではすでに厳格な機密の中、実験も最終段階……w)どころか滑走道路(自分の行きたい目的地まで個々を運んでくれる交通システム)もないし、電話帳がまだ存在したり新聞は依然、紙媒体で配達はエアシュート(気送管)で届いてゐる。インターネットは創造されてゐない。近未来小説として本当に傑作だが、いろいろな発明や開発が現実のものとなつてゐる2016年の今に読むと人間の冷凍保存とさらにタイムマシンといふシステムだけが余りに空想的で、その2つが核となつてゐる点では昔読んだ時以上にこのSF小説が娯楽作に思へるところ。同じハインラインでも『月は無慈悲な夜の女王』やアーサーCクラークの宗教的、達観的な境地とは異なるが乱歩でも怪人二十面相シリーズがあるやうに、もう60年以上も前の古典だと思ふとさすがハインライン。ところで、この小説の福島正美の訳が1963年っぽくていい。前述の「文化女中機」も凄いが、「お主」「信ずることを肯(がえ)んぜず」「前途遼遠」「有為転変」「奸計」なんて言葉が未来小説にあるのだから。全CX724便。何だかフライトアテンダントたちの仕事に余裕がないといふか、あたふたぶりがこちらに見えてしまつて。それだけ航空会社のノウハウも含め質の低下なのか。昔のフライトのほうがアテンダントも「これだけのサービスを心をこめて、させていたゞきます」だつた記憶。普段は絶対に見ない機内の映画上映だが珍しくっていふか人生で初めて?で『世界から猫が消えたなら』を見る。川村元気の原作が2013年の本屋大賞ださうで、その人気作が佐藤健主演で彼女が宮崎あおいなら、もうそれだけでヒットでせうが「涙なしには見られない愛の物語」はアタシはダメ。このやうな話で「この世から電話がなくなる」 で特撮?技術なんて使はないでほしいし、而もアナログな函館を舞台にした無印良品みたいなロハスっぽい世界で……。それと突拍子もなく海外ロケシーンを使ふのも(原作にはない?)陳腐だと思ふ。どうせなら、この主人公の若者が生き延びる選択として毎日この世から何か一つを消すことが条件なら、どうせなら原発とか核爆弾でも消してくれればいゝのに。それが電話や映画や時計といふニューミュージック的な世界観が苦手。古びた時計商営む父親役で小林薫がいゝ持ち味出してゐるねぇ……と思つたら奥田瑛二であつた。どうもアタシの中では奥田瑛二は『もう頬づえはつかない』の青年で年をとつてゐなかつたらしい(小林薫のほうが奥田瑛二よりずいぶんと年上だつ思つてゐたが実際には奥田瑛二が1歳年上)。香港到着。帰宅。
天皇生前退位について。予想してゐたことだが八日の玉音放送は思し召しぢたいは柔らかなものだが反響は大。中国や香港のメディアは平成帝による安倍政権改憲を阻む意図と明らかに報じ(更に皇太子は安倍改憲に反対といふ記事まで!)今朝の紐育時報
In recent years some have come to see Akihito as a quiet but powerful guardian of Japan's postwar pacifist identity, even as Mr. Abe's conservative government has sought to loosen decades-old legal restrictions on the military.
While Mr. Abe would be hard-pressed to deny him (Akihito) an amendment process could prove awkward for Mr. Abe's government.
と報ずる。晋三は秋の臨時国会から衆参の憲法審査会で改憲議論を進めていく方針のところ「改正テーマは与党内でも意見が一致しておらず」だけでも面倒だつたものに「ここに象徴天皇制の問題も加われば国会の議論はかなり長期化する可能性もある」。何より興味深いのは高齢の天皇が皇太子に譲位といふ物理的にはそれだけのことなのに日本会議的には「天皇の生前御退位を可とする如き前例を今敢えて作る事は事実上の國體の崩壊に繋がる」(小堀桂一郎・東大名誉教授・日本思想史)的な考へ。200年前までは当たり前のことで1817年の光格帝から仁孝帝への歴史上直近の譲位とて「しきしまの大和心を人問はば」の本居宣長(1730〜1801)の後のことで平田神道の篤胤さん(1776〜1843)は、天皇譲位に異を唱へてはゐないわけで、この國體なるものがいかに近代の概念で、その國體の形成のために近代天皇制なるものが造られ、そこで男系、死ぬまで天皇といふフィクションが必要となつたか、といふこと。天皇に國體の崩壊に繋がるやうなことをされることの不愉快。終戦で國體護持も天皇制をいかに存続させるか、は裕仁といふ天皇に在位いたゞきたいのではなく、戦争責任で戦争犯罪人にされるとか退位となることで天皇制といふ近代の日本の國體にとつて中心に据へた装置の崩壊危惧。さうしたことを一番ご存知なのは聖上で戦争を越へて生きてきた最後の天皇たる自分が、この近代の体制について何かできる最後の一人だと感じ入り(とてもこれを戦後生まれの皇太子らには任せられない)そこで放つたのが、晋三のこの安定政権の中でのこの矢。アベノミクスの三本の矢とはワケが違ふ。

  • 今回のお言葉で注目したいのは天皇陛下が公務を減らすつもりはなく、それを通じて積極的に国民統合を果たそうとする意思を示していることだ。すでに統合されている「国民の象徴」ではなく、国民を精神的に統合する、能動的な役割だととらえていることが伝わってきた。吉田裕教授(一橋大学

また今更ながらこれまで既存の事実と受け止められてきた天皇の役職につき

  • 憲法に根拠がない公的行為は憲法違反。これが「象徴的行為」として解釈改憲の効果を持ち、拡大する可能性がある。浦田賢治明許教授(早大憲法学)

といつた危惧もある。いろいろ読むなかで一番印象に残つたのは西村裕一・北海道大学准教授・憲法学のの発言。朝日新聞「象徴天皇のあり方」(こちら)より引用。

日本国憲法4条は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定めています。したがって、天皇には国事行為以外を行う「能力」を求めてはいけない、というのが憲法の立場だと解することもできます。
にもかかわらず、現天皇は積極的に「象徴としての務め」の範囲を広げてきました。とくに先の大戦にまつわる「慰霊の旅」のように、「平成流」に好ましい効果があることはたしかです。しかしそれは、民主的な政治プロセスが果たすべき役割を天皇アウトソーシングするものともいえます。
仮に天皇に退位の自由を認めるとしても、別の「誰か」の人権が制約されることに変わりはありません。天皇制は一人の人間に非人間的な生を要求するもので、「個人の尊厳」を核とする立憲主義とは原理的に矛盾します。生前退位の可否が論じられるということは、天皇制が抱えるこうした問題が国民に突きつけられる、ということを意味します。
今回の事案が提起したのは、日本国憲法下における天皇制のあり方という国政上の重要事項でした。指摘しておかなければならないのは、その発端が「天皇の意向」であったということです。
そもそも「天皇の意向」といっても、天皇自身ではなく、「天皇の意向」なるものを報道機関に伝えた人物がいるのでしょう。「天皇の意向」が皇室典範改正論議の引き金になった以上、当該人物による天皇の政治利用が問題となるだけでなく、この人物が宮内庁に属しているのであれば、天皇の発言をコントロールすべき内閣にも政治責任が発生し得ます。
にもかかわらず、だれが天皇の意向をメディアに伝えていたのか、責任を負うべき内閣はどんな判断をしていたのか、全く明らかにされていません。

かういふ指摘、迂生など「聖上に対して、とても畏れ多くて……」と思ふところだが、それができるのはこの憲法学者が「平成育ち」だからかしら。畏れもなく。それでも「こういう子が育ったのは平成だから、天皇のおかげでもある」と畏友・くにたち姐さんのコメント。確かに。

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