富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

サンペデロ島

fookpaktsuen2016-03-23

農暦二月十五日。夜中に大汗かいて寤める。暑いのではない。エアコンは冷房になるかならぬかの送風でかけて寝た。リゾートでは家人と二人でのんびりといふことはあつても、村で親戚とかに囲まれ……といふ生活をしたことがなく、昨晩も八時過ぎのお開きまでご一緒すべきなのだらうが大家族の中で唯一他人の自分に居場所がないこともあるが、こののんびりした暮らしに慣れてゐない自分がなさけない。一応、文化人類学専攻なので、かうした空間は良きフィールドワークの場であるはずなのだが。びしょびしょのTシャツ脱ぎ、あとは明日の一枚しかないのでバスタオルを寝床に敷き二度寝。朝四時頃に起きる。そのあと鶏の呼応が始まる。午前5時すぎ東の空が少しずつ明るくなる。浜辺のバンガローで日記を書いてゐると日の出。今日も暑くなりさう。朝六時にホテルを発ち近所の集落で親戚の者を拾ひ隣村のCanipaanといふ集落の浜辺から借りた小型のボートでサンペデロ島に渡る。沖合の島だがボートで20分ほど。島につくと透き通る浅瀬の海に小魚が泳ぐ。浜にVista Resortなる島で一軒の簡易宿泊あり、そこの小屋と竃を借りて地場の小魚や烏賊を焼き朝食となるが、まだ少し時間がかゝるので散歩してくれば?といはれ、それに甘え歩きだすと島の中央部は広い陸稲の畑が広がり、島の北の方に50世帯ほどの集落あり。色鮮やかな校舎の小学校。集落を抜け東側の海岸に出る。こゝがリゾート開発などされませんやうに。小魚の塩焼きと烏賊焼きの他に昨晩の焼き豚のレバー煮や茹でた蟹まで供され、これが実に美味。朝からサンミゲルの大瓶を飲む。この浜辺で雲丹が取れるさうで雲丹は誰も食べないが日本人なら、と雲丹まで供され肉薄ではあるが30個ほどで200円だといふ。食べ残しの雲丹や蟹を桟橋から小魚ばかりの海に放ると、どこからか10数センチの黄色い魚が群集し魚肉に喰らひつく。宿にはアジアの僻地リゾートにはお決まりのドイツ人のカップルと上海から少し世捨て人的な気配のバックパッカーが一人。若いが少し仙人のやうで物静か、でぼんやりと海を眺めてゐる。六ヶ月も旅行ださうで、ボロボロになつたLonly Planetsの中文版を携へ、この島でもVista Resortには泊まらずテント暮らしで食事だけこゝで食べてゐる由。そのLonely Planetによると、この島のいずかに日本軍機の残骸が海中に遺り退潮になると姿を現はすといふ。

10時に彼ら3人も乗せボートでレイテ島に還る。Eの実家に戻り島遊びの数名を下ろしタクロバンに遊ぶ数名を乗せ8人乗りのトヨタランドクルーザーに9人乗りで昼にタクロバンへ。雲一つない晴天。気温は摂氏37度だといふが直射日光には肌も灼かれるが湿度が低く日陰にいけば汗もかゝず。A氏宅に還る。ヒヌンダヤンから来た三人はタクロバンで美容室に行かうかしら、なんて言つてゐたのに昼寝したり四方山話、 若い娘は遅いネットでメールチェックに夢中で出かける気配なし。Dの運転でA氏とタクロバンの市街地へ。 一人で放つてをいてもらつてもきゝのだが郊外のA氏宅に還るのも不便で45分の時間でSMストアに寄りテーブルタップやA氏が欲しいといふマスキングテープ贖ひ市街地の1ブロックをぐるりと回る。テーブルタップは携帯やノートブック、iPadWi-Fi、補充電池の充電などでソケットの少ないホテル滞在には必携になつてゐるがソケットの特殊な中国用、100Vの日本用に加へ米日と同じソケットの形で200V対応の、この3つあれば何処でも対応できる。サンジョセの魚市場に寄りマグロを仕入れA氏宅に還る。充てがはれた二階の部屋で窓を開けると肌寒いほど涼風が部屋に流れこみ心地よい。早酒にサンミゲル。夕暮れ。レイテ湾に見事な十五夜の月。マグロのカマの焼きものとすき焼きの豪勢な夕食。晩八時に月の明かりのなか寝入る。