富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2016-01-27

農暦十二月十八日。雨のち曇り。気温が摂氏10度超え北風止んだだけでだいぶ暖かく感じる。室内の冷え切りは尋常に非ず。また北風強し。外は摂氏15度だといふのに帰宅すると室内の寒暖計は11度。建物に断熱材のない香港は建物が一旦冷えてしまふと室内のほうが寒い。「まるで素焼きのワインクーラーの中で暮らすやうな私たち」と花墟U氏。言い得て妙。ただ厳密には素焼きどころか高層マンションも煉瓦組んでコンクリ塗っただけで「天日干し」か。週刊読書人の昨年11月20日号やうやく読む。特集は高松宮ナントカ賞受賞の横尾忠則浅田彰の対談。横尾さんは同紙での日記(日常の向こう側、ぼくの内側)の連載が4年半に及び、この日記は実に読んでゐて他人の日常垣間見るに楽しいが、ライブトークは苦手なこの人を浅田彰が執拗にヨイショも含め煽り対談が面白い。ぼんやりページを開いてゐつと懐かしい顔と名前。加藤鉱『大班』といふ集英社からの小説で「世界最大のマフィア・中国共産党を手玉にとった日本人」と副題にあり。著者は1990年代前半に香港でサイノエイジアといふファクス新聞発行してをり毎週その新聞に小さなコラムをアタシが連載してゐた。加藤氏はその後フリージャーナリストを経て今ではノンフィクション作家だといふ。この記事で、香港はどんな街なのか?といふ話に傘屋が「雨脚が強くなり傘を求め傘屋に近づくと傘売りの老婆は看板をひっくり返えす」すると「傘の値段はほぼ倍に跳ね上がっている」といふ「いかにも」な話あり。その加藤氏が「足かけ20年近く話を聞いてきた」ある日本人が「中国人の心をわしづかみにし、なおかつ畏敬の念を抱かせる人物」で、その人をモデルにした小説なのだといふ。何となくこのモデルが誰か推測、たゞ「中国共産党を手玉にとった」といふほど北京中央と接触もない気がするのだが。もう一つ、同紙で雑誌『諸君』の元編集長・田中健五氏の回顧談も連載続くが三島由紀夫自決のあと父・平岡梓を訪ね「息子の書いたものは一切、読みたくない」と息子宛の手紙すら閲覧を拒む父が、この人は客人があると客間にモーニングスーツ姿で現れたといふが、その父が次第に柔軟な態度をとり自らが倅について『諸君』に連載を書くに至る話が興味深い。
浅野健一『安倍政権・言論弾圧の犯罪』の水島朝穂による書評(週間読書人・昨年11月20日号)より。昨夏の安保国会で維新の党「独自案」が「違憲の法案に対して世論の批判が高まるなか「強行採決ではない」という形を整える上で絶妙のタイミングで登場」し、水島氏は「この案も政府案と同じく集団定期自衛権を容認しており違憲と批判」する立場だつたが衆議院採決4日前のNHK日曜討論〉に招かれた際、打ち合わせで司会の論説委員島田敏男か……)が「一つお願いがあります、維新の党の修正案には触れないでください」と出演者に対して宣つたといふ。安保法制に賛成、反対の立場からすると、このお願ひは明らかに水島氏に向けられたもの。番組は司会の島田の采配で水島ら反対違憲述べても「憲法違反という指摘をやはら小さくしよとする」ことに巧みで違憲のイメージ回避、結局その番組は「法案が成立したら自衛隊は国際社会でどう活動していくか」といふ着地点だつたといふ。驚く話は番組終了後のこと。帰りのハイヤーに乗り込んだ水島教授にドア越しに島田敏夫が「維新の修正案は円滑審議にとてもいいのですよ」とにっこり微笑んだ、といふ。あの島田のぽっちゃりな笑顔……。その島田は晋三の頻繁なマスコミ関係者との会食の常連で、浅野健一の本によればTBSの番組で政治家にやたら胡蝶蘭が届くが、それが部屋にあふれてしまふ話から晋三から、その胡蝶蘭貰つた話まで披露してゐるのだといふ。こんな姿勢の人が討論番組の司会なのだから真っ当なはずもない。
▼晋三動静(26日)。午後6時52分に公邸で村田晃嗣同志社大学長と食事。官房副長官世耕某同席。村田姐さん学長選挙で負けたが未だ現職。晋三、村田小姐に世耕某での会食とは何とも食事が不味い。