富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2014-11-25

農暦十月初四。晴のち曇。朝早く郷里の母より電話あり。S従兄土曜から意識不明のところ未明に逝去の由。頑丈な大柄のラグビー好きで、もうとっくにラグビーするでもシニアリーグのはずが今でも若い連中と一緒に練習し試合に出て東京の某役所の課長職で多忙なところ周末の遠征にまで出る元気ぶりだつたが先週土曜の練習で、と聞いてラグビーだから試合中の事故か、と咄嗟に思つたが練習の休憩中に椅子から立ち上がり水分補給の際に倒れた、といふ。AEDも試され救急車で某医大病院まで運ばれたが意識回復せず。アタシより一つ上で写真で見たことあるだけのS兄に最初にちゃんと会つたのはアタシが小2の時だつたか彼の家族が夏休みに郷里の阿字ヶ浦といふ海岸の国民宿舎白亜紀荘に遊び、それに寄せてもらつたのが初めて。これで意気投合し、家が商売してゐて家族旅行もまゝならぬアタシはS家家族の翌年の東北一周旅行にも連れて行つて貰つたが、その頃はアタシももう一人で東京への鉄道での行き来は出来て、翌年にはS兄と二人で東京の有明から夜行フェリーで紀伊松浦、伊勢神宮の参拝し奈良、明日香の寺ゝ周り京都に出て……ユースホテテルに泊まりながらの旅で、いま思ふとお互いの家でもよく子ども二人の旅行など許してくれた、だが奈良ではドリームランドの遊園地を見つけたときは、さすがに古刹巡礼も予定変更で半日、遊園地で遊んだが、それ以外は和辻哲郎のやうな旅で、奈良のユースホステルでは美大の学生が法隆寺で救世観音の開扉で仏像を終日見惚れてゐた、なんて話を聞き、京都では清水坂で地元の和服姿の美しい女性に「ぼくたち二人でお寺詣り?」と声かけられ、東山ユースホステルに還るなら、と途中の高台寺に、此処がその女性の好きなお寺、と案内してもらつたり。東山ユースから蹴上をあがると都ホテルあり「次は此処に泊まりたい」と、さすがに此処は子どもだけとはいかず母にせがんで次の夏に都ホテルのプールに遊んだが、S兄とはその後は彼の進学などで大好きな旅も一緒は一度もなかつたがアタシの旅の仕方は小学生のときのこの頃と今とさして何も変はらず。S兄は倒れる一週間前の周末は一人旅で松山へ。朝、痴人が新横浜で停車中の「のぞみ」車両に登り……で運行乱れましたが、と携帯にメッセージ届き、それでも運行調整するJRのノウハウの見事さに感心、と。松山で伊丹十三記念館坂の上の雲ミュージアム訪れアタシが伊予鉄(写真)の話題振つたが、いつもなら梅津寺まで乗つて行くが今回はナシ、と16日の日曜に、これがS兄から最後のメッセージ。最近は東京でたまに北千住の「大はし」や赤羽の斎藤酒場でさっと飲む程度、最後に会つたのはこの夏、新橋の「かき小屋」と烏森口の越州で、このときは久々に大酒飲みお別れとなつてしまつた。さういへば二週間ほど前にラグビー愛好家なのだから一度くらゐ香港にRugby Sevens見にくれば?と誘つたら、役所の仕事柄三月末は人事異動で該当すると身動きとれず、とS兄。先行は兄(S兄の父上)と老後、よく浅草の神谷バーで落ち合つて仲良く飲んでゐたがS兄とは終ぞ神谷バーで飲む機会逸す。哀悼。本日くた/\で帰宅して晩に水炊き飰す。今晩はS兄に献杯。何だか献杯が続く。
▼旺角で道路占拠を裁判所の裁定に基づき強制撤去ださうで、かうしたことがあるとアタシのサイトで閲覧数伸びるが今日だつて「旺角で解除らしいね」と話題に上つたが「なんで十一月末に気温が30度近いのよ」にも陋巷の関心は向く。晩に旺角で警察隊が催涙液放射しながらデモ隊を排除。U氏が書いてゐるが「この騒ぎの中で沿道の商店略奪や暴動が起きない」ことこそ香港は大したもの。それにしても日本のメディアの報道が、この道路選挙解除にこれほど熱心な報道なのかしら。