富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

集団的自衛権は9条の自衛権の範囲内ってか?

fookpaktsuen2014-05-14

農暦四月十六日。朝晴れたか、と思ったら亦た雨。晩に帰宅前、銅鑼湾の溥儀眼鏡店。去年の春先だつたかに購入の眼鏡の鼻掛け、塑料の部分がとれただけ。限定販売で売り切れの「いかにも溥儀」のやうな眼鏡だつたが今でも人気あり、と親切な店員さんに聞く。帰宅して肉うどん飰す。
▼晋三のお友だち集めた「私的」諮問社中が「集団的自衛権憲法9条の定める必要最小限の自衛権の範囲内」と判断の由。近々発表予定諮問の内容入手で朝日朝刊一面トップ。憲法逸脱。茶番。「安保環境の変化にもかかわらず、憲法論の下で安保政策が硬直化するようでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない」「我が国が本当に必要最小限度の範囲として国民の生存を守り、国家の存立を全うすることができるかの論証はなされてこなかった」として政府長年にわたり集団的自衛権行使できぬとした憲法解釈維持につき「そもそも憲法には個別的自衛権集団的自衛権についての明文の規定はなく、我が国政府は憲法改正ではなく、個別的自衛権憲法解釈を整理することによって、認められるとした経緯がある」とまで言及。もはやアウト。こんな晋三に国運預けてゐる国民がアウト。

今の憲法解釈は国民に選挙で選ばれた政治家たちが政府と一体になって30年以上にわたって積み重ねてきた結果であり、いわば憲法そのものだ。しかもその解釈は9条という憲法の根幹にかかわる。その憲法解釈を「安全保障環境の変化」という一点突破で変えるよう求める今回の報告書は、「権力を縛る」という立憲主義から完全に目を背けている。

と朝日の蔵前勝久君の言ふ通り。長谷部恭男先生が「今の日本で国を守るとは、立憲主義の原則にのっとって政治を行うこと」であり集団的自衛権行使は憲法上認められないとの解釈を示してきたことなのに「政府自らがその枠を取り外してしまうのは国を形作る憲法の根幹を壊すことだ」「法解釈を理解していない。他人を説得するために作った文書ではなく、『私たちは正しい』と言うための文書だ」と批判すれば改憲派小林節先生も「国際情勢が変わったことは確かだ。ただ、だから集団的自衛権を行使できるようにしたい、と言うなら、憲法改正を正面から問いかけるべきだ」「専守防衛に徹し、海外では武力行使を禁じた憲法は、権力者に与えられた『枠』だ。安倍政権は国民の手からこの憲法を取り上げ、権力者に課された『重し』を脱ぎ捨てようとしている。解釈変更は憲法の空洞化につながる」「国民を守るために国民自身が憲法を制定するという立憲主義の根幹に対する背理」であり、これは「憲法ハイジャック宣言だ」として「報告書によれば、憲法9条は政府の行動を何も縛らないことになる。これは憲法解釈の変更ではなく、憲法の破壊だ」と指摘する*1

*1:これだけ読むと反晋三派の遠吠えのやうだが長谷部分析をもとにした鯨岡仁なる記者の以下の分析は(晋三のレベルでは六ツかしくて理解できないだらうが)理路整然。以下、引用。従来の憲法解釈は敵国に攻められた他国などの戦争に参加する集団的自衛権について憲法上認められる「必要最小限度の自衛権」を超えるものだとしてきた。これに対し法制懇の報告書は「必要最小限度の中に集団的自衛権の行使も含まれる」と明記。憲法を改正しなくても、この解釈の変更で行使が可能になると主張する。この点について長谷部氏は「政府が『必要最小限度』と言ってきたのは個別的自衛権憲法上認められると主張するためだ」と指摘する。報告書が「個別的自衛権だけで国民の生存を守り国家の存立を全うすることができるのか論証はされてこなかった」とした点についても長谷部氏は「確立している解釈なのだから『おかしい』と言うなら論拠は自分たちが示すべきだ」と話す。報告書は解釈変更によって行使を容認する根拠として1959年の「砂川事件」の最高裁判決を挙げた。この判決は、在日米軍の駐留の合憲性を認めたものだったが自衛権について「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは当然のこと」と言及していた。報告書はこの点を捉えて「我が国が持つ固有の自衛権について集団的自衛権と個別的自衛権を区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない」と主張している。しかし集団的自衛権に直接言及していない判決を行使の根拠にすることには批判が強い。そもそも当時、政府解釈でも集団的自衛権の概念は固まっていなかったからだ。長谷部氏は砂川判決について「徹頭徹尾、個別的自衛権の話しかしていない」と指摘。行使容認に慎重な公明党山口那津男代表も「判決のころは自衛隊が発足して間もなく日米安全保障体制が憲法違反という人も多かった。当時、集団的自衛権を視野に入れて判決が出されたという人はいなかったと思う」と反論している。報告書はまた集団的自衛権行使の条件として「明示の要請又は同意を得て、必要最小限の実力を行使」「第三国の領域を通過する場合、同意を得る」などを挙げた。条件をつけることで限定的に行使する考え方を反映したものだ。ただ行使の「歯止め」になるかは不透明で時の政権が都合良く拡大解釈する恐れはつきまとう。長谷部氏は報告書が挙げた条件について「国際法上、当然に要求される条件だ。当たり前のことで『限定』と言うのはおかしい」と指摘する。報告書が集団的自衛権を行使する条件に「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性」を挙げる一方、行使が「国際の平和及び安全の維持・回復に貢献する」とも主張する点についても長谷部氏は「論理が分裂している」と批判する。