富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

太古〜北角〜調景嶺〜九龍塘〜紅磡〜屯門

fookpaktsuen2014-01-12

農暦十二月十二日。晴。年末にMTRの昔懐かし磁気乗車券のグッズ購入で無料乗車券入手したが、この利用が一月十五日まで、といふことで休日は今日しかない。旧正月の1日乗車券なら利用価値大だが1回の乗車無料、改札を入つてから出札まで、で元朗か荃湾にでも行こうか、といふことになつたが荃湾に行くのなら最寄りの太古から港島線で北角=将軍澳線の始発で調景嶺=観塘線始発で九龍塘、東鐵で紅磡=西鐵始発で屯門まで行き、そこからは路線バスで荃湾に戻ればいゝのではないか、と閑人以外誰も考へない呆れたコースで日曜の暇潰し開始。飽きるほど時間持て余すか、と思つたが5路線とはいへ乗車距離は60kmにも満たず(そのうち最後の西鐵だけで35.7km)乗換へも楽で列車は数分おきで一時間半もかゝらず元朗に到着。iPadで新聞を読んでゐたが朝日、日経(昨日の夕刊と朝刊)で毎日ぎり/\読み急ぐ程度の時間。途中、元朗あたりから屯門にかけての霧霾甚し。屯門の站に着いたものゝショッピングセンターで昼餉もなんなので路線バスでさらに車線拡張中の青山公路走り荃湾へ。荃湾といへば山西刀削麺。新移民増えた頃に商ひするにも賃貸が安いからか荃湾に地方色豊かな麺屋がいくつか開業し路徳圍界隈が評判となり荃興徑で山西刀削麺と蘭州麺が評判となつたがB級グルメブームと賃貸料高騰で飲食店増えるなか蘭州麺はなくなり山西刀削麺も以前のやうに繁盛もしてをらずブーム去つたか、と思つてゐたが前回、山西刀削麺屋の雰囲気が昔と違ふ、経営が変はつたのかしら?と猜つたら案の定、荃湾でも荃興徑に今もあるのが正宗山西刀削麵「店」で、沙咀道に正宗山西刀削麵「皇」あり。後者のほうが評判いゝやうで今日はそちらへ。午後2時だが行列。四川風の口水鶏入りの刀削麵。荃湾で最初に食べたころの刀削麵に比べるとだいぶ洗練されてしまつた感あり。でこの正宗山西刀削麵「店」で、沙咀道に正宗山西刀削麵「皇」の関係だが仲良くなのか仲違ひか暖簾分けあつたのは事実で店の打包=テイクアウト用の袋では荃興徑の昔からある正宗山西刀削麵「店」が総店で後者が分店となつてゐるが後者にある店のカードは正宗山西刀削麵「皇」で自分のところが総店で荃興徑が分店。まぁよくあることだが成功した食肆で兄弟、経営者と主厨、親方と一番弟子等々で六ッかしいところあり。養生甜品といふ甘味やで喳喳。街市街の民豐粉麵行で餃子購ふ。帰路は素直に荃湾線に乗る。MTR開業から35年。開業当時の思ひ出ポスターは相変らずお上手。但しこの3×4mくらゐの巨大ポスターが貼られてゐたのが屯門站で、このポスターにある1979年10月1日の開業は石薢尾〜観塘ライン。一旦帰宅して夕暮れにジム。外は霧霾気になりジムのトレッドミルで5kmほど走る。昼餉遅かつたので晩も腹減らず数日前の葡萄酒を一杯半。このところ頭痛の鎮痛薬服用で酒を飲んでをらず僅かの葡萄酒がまぁ美味しく感じること。やつとのことで岩下尚史『芸者論』読了。読み始めたのは昨年五月だが台北のホテルに置き忘れ友人に引き取つてもらひ一ヶ月前の台北行きで受け取り。読了が今になる。個性的なキャラでテレビ出演も強烈だが、このハコちゃんの世代でぎり/\昭和の終はり頃に大震災の前から新橋、柳橋といふヴェテランの芸妓たちから話を聞けたわけで、それもこの著者だから、その話が肚に入るといふ貴重なもの。花柳界に長けた老人家でも書けぬやうな昔語りを雄山閣から、これが上梓されたとき著者が四十代後半だつたと思ふと、なんて耳年増。この著作の後半は調べればわかることかもしれないが前半の、神々の振舞いを演じるという、記憶の系譜(第1章)や神婚秘儀の再生装置としての吉原(第2章)は圧巻。平成の折口信夫かしら。

芸者論―花柳界の記憶 (文春文庫)

芸者論―花柳界の記憶 (文春文庫)

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