富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2013-07-15

農暦六月初八。昨日、北角の市場で二房ほど買つてきた榴槤(どりあん)を今日食べようと思つたら無い。昨晩のうちに頬張つてゐたのだが、その記憶すらないとは。ワイン二本で、と思ふと、すつかり酒が弱くなつた。今晩はさすがに酒はいたゞかず。冷や奴と野菜のみ。
▼都新聞一面に「少しでもまし選ぼう」と樋口陽一先生。自民党は1956年の参議院選鳩山一郎内閣が改憲に必要な三分の二の議席確保に失敗して以来「改憲」を公約にするのを避けてきたのは「議論がタブーだったわけでなく、票に結びつかないと判断した。つまり国民は選挙を通じて「憲法を変えない」という選択をしてきたのです」と陽一先生。晋三の「戦後レジームからの脱却は「戦後日本が欧米諸国と共有してきたはずの価値観や社会の仕組みからの脱却」で、民主党政権の失敗や乱立する新政党のなかで判断に迷うところもあるが「より良くするのが難しい局面では悪くなる程度を少なくする選択をしてはどうか」とLess worth=少しでもマシを説かれる。
週刊東洋経済(六月廿九日号)「安倍政権の正体」読む。改憲派小林節先生(慶大)ですら晋三を「一国の宰相として憲法を論じるにはちょっと困った人だと思っている」といふ。憲法の目的が国家権力を制約するものであることへの無理解、精神的自由に公共の福祉による制約を課そうとしてゐる点など。

改憲論者の私が見ても、自民党憲法改正草案にはおかしい点がいくつもある。一言でいうと、改正論ではなく憲法破壊論。まず、憲法とは何かがわかっていない。安倍晋三首相は「国民の手に憲法を取り戻す」と言っているが、憲法に縛られている権力者集団である自民党議員が自由になりたいだけの話だ。さらに人権の中でいちばん格の高い表現の自由を、公益や公の秩序で制限しようとしている。「家族は、互いに助け合わなければならない」という規定も、道徳と法律を混同している。家族同士、助け合えない場合もあるし、家族は権力から命じられて助け合うわけではない。法は道徳に踏み込んではならない。(略)日本国憲法が占領軍に押し付けられたことは、歴史的事実だと思う。しかし、愚かな戦争を選択し、悲惨な負け方をした当時の日本人には、日本国憲法のようにすばらしい、世界の常識にかなった憲法を自ら勝ち取る力はなかった。押し付けられて、何の問題もないじゃないか。

と、なんて頼もしいご意見。
▼香港では新界東北地区開発で市民に住宅共有を、と測量梁がぶち上げる。そのため現在、市街化調整区域となつてゐる農村がターゲットに。これに立法會でも反対の声多く農村潰しての開発する前に粉嶺の行政長官別邸や香港カントリークラブのゴルフ場を潰したら如何か?と。測量梁は諮問機関が行政長官別邸も造成区域に指定すれば接収も厭はず、と。治産獣や財界が有力メンバーのゴルフ場が今度は怒れる市民の占領の対象に?
澳門では澳門大学がキャンパスが手狭で珠海市に第二キャンパス造成。香港、澳門の返還まで想像もできなかつた一国両制での大学移転。大学の自治、学問の自由はどうなるのかしら?IHT紙にかなり詳細にわたる記事あり。