富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

槐多の「悪魔の舌」読みながら日本に戻る

fookpaktsuen2011-07-24

七月廿四日(日)快晴。朝、Z嬢と空港へ。満席のJL736便(CX、AAとの共同運行便)で一路、成田。懐かしい鶴丸ロゴの復活機は初めて。機中、iPad露伴の「少年時代」、槐多の「悪魔の舌」と鏡花「化鳥」読む。航路は晴れ、台湾を台南のあたりから嘉義阿里山を眺め東北に飛び眺め楽しむ。台湾を経る航路でも西部を南北に縦断はあつても日月潭を見下ろしたのはアタシは初めて。成田に到着。猛暑覚悟したが気温は摂氏25度で湿度が低いから香港から戻つたアタシには涼しいほど。三月の震災から四日目にこヽに到着した日のこといろ/\思ひ出す。寝袋と毛布、停電、電車とバスの不通、空港周辺から成田市街はガソリン求める自動車の渋滞、屋根瓦の損傷、液状化、倒壊した塀やビルボード、電柱、切れた電線……Z嬢と空港で別れ一人で実家に戻る途中、冷房が寒いバスから眺める風景は震災から四ヶ月半、農家の大きな屋敷で屋根瓦の修理がまだ終はつてゐないのが散見される以外は、成田から利根川下流域、北浦から鹿島にかけては震災の爪痕もわすれるほど、車中より鹿島神宮に拝んだ積り。夕日に映える北浦をぼんやりと眺む。夏の日曜晩だといふのにどこの家も空き家かといふほど暗く窓も閉め切つたまヽ。暗いのは照明の節電なのか、閉め切つたら冷房だろう、よくわからぬ光景。大洗の動燃、原研のセンターの前を通過。この大洗、那珂湊の先は東海村原発めぐりのバスは走る、窓に広がる青い海よ、悲しみ深く胸に沈めたら、この旅終えて帰ろう。郷里につくとアタシを歓迎するやうに湖畔に花火。帰宅して母と妹と夕餉。自宅のテレビはもう十年前から地デジ対応だつたが更にブルーレイ対応でHDD内蔵の亀山ブランドの40吋のテレビに進化してゐたが母の話ではこれでもそれほどでもない、といふ。DVDで先頃なくなつたローラン=プティ演出の巴里オペラ座のバレエでコクトーの「若者の死」を見る。踊り手はニコラ=ル=リッシュのもの。このサイズの高品質テレビで見ると画像の解析度は凄いが踊り手の小皺まで見えてしまひますよ。見え過ぎ。つひ日本に戻るとテレビ見てしまふわけですが今日の正午で地上アナログ放送が中止の由。1958年からの歴史に幕、と。母から、父が若い頃に警視庁で警官をしてゐて家業継ぐのに退職した際に退職金で親に当時は珍しいテレビを買ひ与へた、なんて話を聞く。テレビをぼんやり眺めてゐると何だか蹴球の撫子だけでどうにか救われてゐる感じ。実家の陋宅居間のWi-Fiでもけっこう充分な速度でつながるもの、と感心。
ノルウェーでは内閣府の入る建物が爆発したら次は与党労働党のサマーキャンプで殺戮も平和な印象のノルウェーだと思ふと驚くが十代の若者で政治に関心あり未来のリーダー目指す若者たちってどんなお子さんたちなのかしら。十代で政治的関心高めるのは大いに結構だがいくら中道左派といへ政権党だと思ふと何だか松下政経塾の予備校のやう。この諾威の惨事に対して中国政府官員がこれを諾威政府がダライラマ支援することへの天罰と揶揄の由。迷信や宗教を越えた科学的社会主義標榜するはずの中共が「天罰」発言はいけない。中国の高速鉄道の事故は日本の新幹線の似非なのに国粋と宣つたことへの天罰なのかしら。この鉄道事故、上海の鉄道当局の局長と党初期が辞任でチョン。現場では現場検証どころか被害者の死体がまだ残つてゐるのでは?といふ懸念もあるうちに銃器で土砂を堀り転落した車両を埋葬。この野蛮さで世界で第二位の経済体だつていふのだから、言葉もなし。温家寶首相も被災地慰安が見事なら今回の事故でこんな事後処理にまずトップダウンで何か指示するべきでは。