富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

JL736 HKG/NRT

fookpaktsuen2011-03-15

三月十五日(火)朝八時半に香港空港。ラウンジで魚蛋河粉食し失礼ながら成田からの非常食用にサンドヰツチと飲料水もらつてJL736便に搭乗。地震のあつた十一日の深夜、昨日(十四日)まで三日間のフライトは欠航も予想され各社、新規予約に応じず今日のフライトからオープンになつてゐたがCXは強気で今日のフライトは正規料金のみ。それに対して同じOne WorldでJALは今日の便もお手頃で「さすが日本のフラッグキャリア」と今更ヘンな感動。だがこの便も残り3席で混雑覚悟してゐたが搭乗口に行くと「あら、まぁ……」で乗客は50〜60人ほど。B767でアタシの経験では最もゆる/\便。そりゃさうだ、被災地の方に向かふ便なのだから不要不急は誰も向かはぬ。Cの方がきちんとほヾ満席は閑古鳥便でアップグレードなどに応じたからなのかしら。Yでも皆さん一人で2〜3席占領で快適。ふだんは機内食あまり食さぬが、つひ「栄養とつておきませう」と完食。機内食のアタシの作法はゲロ袋を上手に使つてゴミをまとめ〼 成田空港に着くとモニタに映るCNNもiPhoneで見た紐育タイムズのNews Alertも福島の原発事故深刻に報道するが成田空港の到着ラウンジの平静。緊急用の寝袋もあちこちに置いたまゝだが誰も持つて帰らうともしない。北方面のバスは運休したまゝで、とりあへず筑波へ。地震津波だけならまだしも原発事故で核禍のこの機に日本に戻るのですか?と何人もに心配されたが母と妹がゐるので散らかつた家財の整理手伝ひもあるが放射能についてはアタシも日本人的に?鈍感なのかしら。石原慎太郎は日本人のアイデンティティをを「我欲」なんて罵つたが我欲が少しでもあれば日本はもう少しマシだつた鴨。どうれあれ車窓から眺める成田からの風景は給油所に自動車が並ぶ以外は余りに普段そのまゝの寒空で放射線より花粉症の方が心配らしい。だうであれ被災地方向に(地震でなく核禍の、である)向かふアタシも他人を嗤つてゐられない愚民の一人。たヾアタシは放射能は天罰のやうなもの、と思ふ。石原慎太郎は自らが津波の被害に遭つてもをらぬ立場で数万の犠牲者出した津波を天罰などと宣つたが地震津波は悲しいかな自然現象なのに対して原子力など愚かな人間の創造した科学の成果、原発政策を推進する人たちに政権を託し続け我が郷里は原発をば「科学の火」などと受け入れ、その結果としての放射能漏れは「天罰」だらう。この原子力の時代に生きた者の一人としてアタシは放射能被害に遭つても文句は言へる立場にない、と思ふ。それにしても、だうしてこんなに平静なのかしら。今回の惨禍では被災地の日本人の「お行儀の良さ」が海外でさんざん報道されるが香港からのフライトで今ころ漸く岩波「世界」三月号で読んだ下嶋哲朗氏の連載「非業の死者たち」*1で語り尽くされた集団自決や玉砕も、この「お行儀の良さ」「集団のルールに従ふ」ヘンな民族性。成田ではあまり気にならなかつたが茨城の竜ヶ崎?あたりに来ると古い民家の屋根は地震で瓦の被害も少なからず。公営スポーツセンターの温水プールが営業してゐるのには驚いた。そんな場合ぢゃない気がするが。それでもだいぶ閉まつてゐる店舗が多い、と地震の影響気になつたが不景気での店終ひ。どうして運休中のJR駅のホームに蛍光灯が煌煌とついてゐるのよ。何年ぶりかしら、父が筑波の病院に闘病で入院してゐて以来だからで六年ぶり、の筑波。水戸行きの臨時運行バスの最終便は18時!で*23分違ひで乗り損なひ。成田空港周辺が自動車での空港出入り多く渋滞気味、で筑波到着が遅れ。18時でお終ひ、ってかつての東京駅、九州行きのブルトレぢゃないんだから。長い行列あり何か?と思へば筑波快速鉄道が節電で夕方から晩まで通行休止で再開後の乗車を待つ人々。たしかに一刻も早く都心に戻りたい、だらうが寒空まだ二時間だか先の運転に並ぶ人も難儀だが、なぜ公共場所たる鉄道駅の開放ができぬのか。バスターミナルにタクシー並ぶが水戸まで、の運賃は弐萬圓也。一刻も早く実家に帰つても家人の無事確かめ、が人情といふのだが家人も「そこまでしてねぇ」と合意でアタシは今晩は筑波泊まり決め込む。バスターミナルの近くに虎ノ門との関係は知らぬがオークラなるホテルあり一見の客で下榻。とりあへず夕食を、と外出するが筑波なる人工都市はふだんでも殺風景なのが地震による支障、停電で更に閑散。別のホテルに入るホルモン焼き屋(白木屋系)で一人、七輪の炭火で肉を焼く。筑波の中心街で唯一の!コンビニ(サンクス)でサントリー角瓶買つてホテルに戻る。今回の地震ではネットでの情報が際だつてゐるが災害時にラジオは当然としてネットでもUstreamこちら)でNHKやCNNが今回の地震報道で視聴率高いのは当然として、それに続くのが茨城放送こちら)なのが驚き。東北放送こちら)がそれに続くがTBCは当然だが被災地すぎてネットラジオどころぢゃあるまひ。康夫ちゃんが呟板で
@loveyassy 茨城放送ラジオが県下のライフライン情報報道に徹するよう総務大臣命令を出すべしと伝えました。官邸に感(菅)受性が有る事を祈ります。RT @okick3 テレビの『お涙頂戴』報道は中止させて!茨城はテレビ局も無くラジオは水戸市中心の情報のみ。被災が激しい地区が計画停電!政府に訴えて
とフォローしてはゐるが茨城放送「ラジオ」と書いてゐることぢたい地方放送がテレビとラジオ併設なのに対して茨城放送=ラジオのみがいかに「今どき」な状況*3。それでもどうであれ(Youtubeで番組垂れ流しのTBSテレビもそうだが)CMのない災害特化放送といふこととはいへネットに番組流してゐることは茨城放送のやうな地方局としては画期的なこと。茨城新聞もじつは信濃毎日や秋田魁のやうに実は地方の良識であつたりする。放射能小雨?のなかホテルに独り籠り机に凭りいろ/\。角瓶が22時半過ぎで半分空いてしまつたが。このホテルの地下が筑波快速鉄道駅なので40分くらゐで大利根、大川を渡れば北千住「大はし」でS従兄と一杯も「あり」だつた鴨。まぁアルコールも放射能雨除け、といふことで。独りホテルの部屋で一夜過ごせば感じることは20年前からの印象で日本は情報的に陸の孤島だつたが、かうして蝦蟇の油の僻地でもネットさへあれば倫敦金融時報でも紐育時報でも経済學人、信報でも世界中のメディアが何でもあり、で少なくても「僻地」シンガポールや中国内地のやうな不自由もないことに今更ながら気づく。だがアタシは将来的にも永住する気はないのだが。
▼陶傑氏が「永井荷風」といふ一文発表(昨日の蘋果)。谷村新司「昴」から清末から民国初にかけ日本留学の若い文人らが日本で体感の孤独、寂寥の感に触れ蘇曼殊の
春雨樓頭尺八簫 何時歸看浙江潮 芒鞋破缽無人識 踏過櫻花第幾橋
といふ詩を紹介したあとかう続ける。
永井荷風說:塵世間凡是無常、無望、無告的,凡使人感悟而嗟嘆此生只是一夢的,於我都是可親,都是可懷。」地震和海嘯,日本人顯示出令人敬仰的冷靜和肅然,並無呼天搶地的喧嘩。他們把生死置於度外,除了詩,他們活出了哲學。世上一切偉大的藝術作品,不就是此意?縱使地劫無常,海寃無告,人世本是無望的一夢,日本人看透了,反而堅如磐石。每一顆星星,是一閃生命,凡崇尚美的,定必走出死亡陰影的幽谷,找到福音。

富柏村サイト www.fookpaktsuen.com
富柏村写真画像 www.flickr.com/photos/48431806@N00/
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*1:沖縄から始まりサイパンを経て満州ソ連終戦前後の非業の死をまとめた力作。連載了で新刊だらう。

*2:通常は常磐高速を走る高速バスがあるが運休なり。

*3:まぁ関東で東京キー局の番組が東京12チャンネル含め地理的な好条件もあるが、そのまゝ見られはするのだが。