富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-08-07

農歴七月初七。立秋。昨日より体調不好。腹瀉、倦怠感、寒気と越南での食あたりの如き症状。だが一昨日ハノイ郊外のバチャンに遊んだ時に猛烈な暑さで脱水症状になり一気に体力衰退でちよつとした食物、飲料に当たつたかしら。近隣のC医師の診療を請ふ。越南で按摩三昧だつたが旅の汚れを落とさうと早晩に擦背。垢擦りも下手なところほどビチャ/\で本格的なのはみんな乾いた感じで肌垢を擦り取つてゆくもの。ふと、天麩羅でも寿司でも一流の店といふのは魚を扱ひつつ店内が濡れてゐない、むしろ乾いた感じなのだ、それと同じかと妙に感心。晩にZ嬢と尖沙咀で待ち合はせ。今ひとつ腹の具体が芳しかず饂飩か雑炊で済ませませう、と日本料理「京笹」に参れば午後七時で満席。近隣の日本料理屋で美味くもないきつねうどんと雑炊で済まし香港文化中心。毎年夏恒例のAsian Youth Orchestraの公演を聴く。日本からシンガポールまで15〜25歳の演奏者が集ひ2週間の練習で8月いつぱい中国(蘇州、南京)から香港、東京(10日すみだトリフォニーホール、11日東京芸術劇場)、深圳台北と公演旅行。日本では若手演奏家にも夏は夏で演奏や合宿など国内外で機会多くAYOなど関心高からず、か100人のオーケストラに日本人はわづか9名のみ。アジアの若手奏者が一同に、つて機会が良いと思ふのだが。韓国から19名だか参加してをり巡演ないのは惜しいだらう。指揮は英国人で現在ニュージーランド交響楽団音楽監督であるジェイムス=ジャッド。曲目はChen Yi(1953〜)の“Momentum”なる現代曲から始まりチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調(作品35)。中入後はショスタコーヴィチの5番。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のソリスト招聘はエルマー=オリヴェイラ。第1楽章が終はつたところで客が「曲が終はつた」と思つて拍手してしまふのは客の無知の所為に出来ずチャイコフスキーの曲「だから」さう思つても致し方ないところがあるが、このオリヴェイラさんの独奏第1楽章の展開部の盛り上がりで独奏が済んだところで拍手した客がゐたのもまぁご愛嬌か。若者たちのオケはわづか10日くらゐの練習でよくぞこゝまで、と感心させられるが、この曲でいへば第1楽章のあの歌ふやうな旋律なら良いが第2楽章のカンツォネッタとなるとアンダンテで聴かせるほどか、といふと流石に其処までは難しい。それでも香港シンフォニエッタより上手だし愉快に演奏する点では香港フィルより共感がもてる。ショスタコーヴィチの5番。もうこの子たちはソヴィエト社会主義連邦の存在を知らないのか、と思ふと、果たしてどこまでスターリン時代のソ連社会主義リアリズムが強調されたのか、ショスタコービッチがどう生き抜いたのか、当然この曲の演奏にあたりアナリーゼはされてゐるのでせうが、この子たちは何を思ひ演奏するのかしら。いづれにせよスターリン時代のこれらの曲が社会主義賛美と勝利なのか、強制と従僕なのか、なんて解釈ぢたひが滑稽で純粋に音楽として解釈できれば良いとすれば寧ろ素直にスコアから演奏できる若い奏者に期待もされようかしら。ただ第1楽章なんてカノンの主題に続き社会主義的な第2主題、そして展開をどう解釈するか、は大切なはずであるし、第2楽章は奇想天外が面白い曲なのにソロ(とくにフルート!)などわかつたやうに「歌ひすぎ」。ラルゴの第3楽章がこの若手オケに難しいのはチャイコフスキーの第2楽章と一緒。胡瓜の古漬けのやうな、あの社会主義的停滞はさう易々とは演奏できなくて当然だらう。終楽章。「大きな音を奏で元気に演奏できました」花◎をあげませう、てな具合。解釈以前の問題で体力的にもこの最終楽章に辿りつき最後まで演奏できるだけでも彼らにはロングラン。余力もなくとにかく食らひついてゆくのが精一杯でせう。が何度も繰り返すが「10代後半の若者たちなのだ」、じふぶんにご立派。拍手喝采。とくにこのショスタコービッチの5番など、奏者にとつて自分のパートだけではいつたい何が何なのか?さつぱりわからない曲なわけでオケで合奏となつた時に自分がどういふパートを任されてゐるのか、どういふ音が全体で構成されるのか、を学ぶには大変良い機会のはず。ショスタコービッチの5番なんてあたしは自慢にもならないが中学3年の時に学級担任だつたK先生にレコードを十数枚渡されカセットテープに録音してくれ、と頼まれ(当時はまだテープに録音はまだ設備のないリスナーも少なからず)その中の1枚がこれ。LPに針を落として「なんぢやこりやつ……?」と全く理解できず。それから少なくても齢を倍くらゐ生きてみるまでわからなかつたもの。ショスタコービッチが生きてゐてアジアで10代後半の奏者たちがこの5番を演奏してゐるのを知つたら、なにを感じるかしら。帰宅して悪寒に熱を計ると37.5度は赤ん坊ぢやあるまいし年寄りにはつらいところ。
▼なにげにニュースを見てゐたら先月末に郷里の古い割烹料理屋で火事あり。子どもの頃から祝言や法事といへば此処の大座敷の宴会。木造2階建ての建物970平米が全焼の由。それにしてもYahooニュース(産経新聞)の記事で「けが人はなかった。同店は約60年前から続く老舗だったという。」つて、この料理屋が保和苑といふかつては賑はつた由緒正しき公園をもつ寺の参道に位置する老舗で60年前から続いたことは明らかな事実。それを「……老舗だつたいふだったという」つて、これが犯人や被害者が「近所とはあまり付き合ひがなかつたといふ」なら記者が近所の人に取材しての伝聞表現で良いが、記者がその老舗を知らなかつただけのことで「……老舗だったという」としたのはあまりにも無頓着すぎやせぬか。記者が駆け出しにしても誰か気づくべき。