富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月十一日(火)晴。寒波到来にて気温十八度と寒さ感じる朝。今日こそ百年ぶりにジムに参らむと思っておればA氏に誘われ黄昏に銅鑼灣のInside OutにてStella Artoisをば2pints呑み帰宅。百年ぶりに自宅にて夕餉。ホッケ焼魚、南瓜煮に根深汁と五穀米。菊正宗を常温でコップ一杯。自宅に休刊まで残すところ4号の『噂の真相』と岩波『世界』届いており『世界』数日前の新聞広告に「誰のために「戦場」へ?」といふ特集で巻頭に樋口陽一先生の「改憲をまじめに考えるなら「徴兵の倫理」が不可避である」なる題が踊り、思わず改憲に向かう風潮にて樋口先生ならこう来たか、と思わずニンマリとせば着替えもそこそこに早速頁を捲る。思わず「えっ」と思ったのが巻頭論文であると思ったらインタビュー形式。だがこれは樋口先生の著作読む者には周知の事実だが、築地のH君ともかねがね話したことは、碩学樋口先生の文章、比較憲法論など憲法学の論文にては理論明晰まことに解りやすい文章が一般人向けの新書モノなどになるとご本人は文章書き下し易しく書いているつもりが慣れておられるのだろうが余には読みづらい事実。このインタビュー形式が偶然のことなのかいずれにせよインタビューに纏めたのは賢明。岩波であるから岩波新書の『比較の中の日本国憲法』79年から『自由と国家』89年を経て『憲法と国家』98年を読めばどれだけ樋口先生が近年になるにつれ平易に書こうと心掛けたかが明白。それだけ学生見ても世の中見ても平易にせば憲法を理解もできぬ者多しと危惧されたのか。でこのインタビュー、いきなり編集部の質問がイラク派兵など現状を述べて樋口先生に対して「憲法からは、自衛隊イラク派兵をどうとらえますか?」と樋口先生=日本国憲法か。先生が比較憲法の第一人者であり人権、平和といった分野で憲法を積極的にとらえる姿勢については何も口を挿まぬし先生が日本国憲法をば体言した人格であるとしても、樋口先生=憲法に、それも岩波でそうなってしまふほど憲法は切迫した状況にありといふことかも。樋口先生曰く憲法を考える場合、第一に政策選択、第二に国民の倫理あり、政策としては米国のブッシュのイラク攻撃にブレア的に立回りたい日本にとって邪魔になったのが第九条でありだから改憲したい、と。反対にフランスやドイツには第九条がなくとも米国の戦争に反対する国民の共通理念があったわけで、もし日本に第九条がなかったら今回の政府の政策でぎりぎり歯止めがきいたかどうか。ブレア的参戦をさせなかっただけでも樋口先生は第九条の意味があった、ととらえるが当然反対の立場の人にとっては第九条が邪魔。本来、国民が苦慮すべき政策選択を第九条が国民の怠慢をカバーすることでしてくれた、と。それがいつまで続くのかが改憲問題、と。次に国民の倫理としては、改憲論者が口にする「日本も普通の国になるべきだ」という言い回し。実は日本国憲法は半世紀も前に日本といふ国家が普通の国家を抜け出そうという理想を謳い上げたものであり(つまり国家の国家主義的な範疇から乖離して国家を越えた普遍性を条文に盛った普遍法であること)、かりにそれでも「普通の国になる」と強情を言うなら、首相小泉三世は憲法前文の「先生と隷従、圧迫と偏狭を地上から永久に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」だの「いづれの国も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」を引用しイラク派兵もこの理想の実現としたわけだが、樋口先生曰くそれで理想の現実を望み正義の戦争があると考えるならば「その正義は全国民が担うべき仕事であり」「徴兵制は不可避」と。改憲派があれだけ言いたい放題なのだから護憲派もここまで極論を言うべきであろう。そういう認識があってこそ覚悟決めて他国に攻めてゆくべきで、だが国内の人権問題も民族問題も解決できぬままではとてもそこまでの力量はあるまひ、と。現行憲法で派兵が行われた場合の憲法の無効化については、少なくともこれまでは憲法が歯止めとなり何らかの軍事的突出があった場合もあくまで解釈により違憲でない、とされていたのが、最近は政府が「憲法が現実にそぐわない」から改憲と堂々と主張するようになり、これまではどうにか内閣法制局が立法案や政策を検討するなかで一種の違憲審査が行われていたものが、今では開き直りの「そうですよ、違憲ですよ」ではこの政府の違憲審査すら機能せず、と。憲法の歴史的認識としては、おしきせ憲法という非難に対して樋口先生は、「日本にはポツダム宣言を受託しないで(略、国民が)全員玉砕する自由があった」のに政府が國軆維持のためポツダム宣言受諾したが、ポツダム宣言の条項には日本政府がやるべきこととして民主主義的諸傾向の「復活強化」のためのあらゆる障害を排除すべし、とあり(吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ國民トシテ滅亡セシメントスルノ意圖ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ)つまり勿論アジア侵略などマイナス面もあるが自由民権運動から(幕末の諭吉兆民からでもよかろうが……富柏村大正デモクラシー、男子だけとはいへ普通選挙実施や責任内閣制、二大政党での政権交代(そう、それがあったのだ、曾て)という歴史があり、だからこそ連合国がポツダム宣言でそれを述べたのであり、戦後は、つまり日本国憲法は原爆が落ちて軍閥政府を追い払ってアメリカのおかげで民主主義が忽然と出てきたのではない、と。御意。かふいふ力強い言説、似非右翼保守反動の諸君はたぢたぢといふ言説がリベラル側から大いに発せられるべき。日本にはそのような歴史があるのであり、イラク復興で米国だの突然、45年の日本モデルだのといふが、失礼だがイラクにそのような立憲民主主義の下地なかったことは事実と、この樋口先生の「つくる会」にも優るとも劣らぬ日本の歴史の見直し……そう、こういう部分は積極的に日本は自信を持つべき(それが戦後に活かされなかったは事実だが)。また樋口先生は日本人の「改革」といふ言葉への弱さ取り上げ行政改革、教育改革、で最後は憲法改革なのだが、こういった言葉が用いられるとすぐ靡く、と。後藤田先生や野中広務君が改革などそんな簡単なものぢゃない、といふと自民党若手など嘲笑するが、野中君の言葉取り上げ「いまの国会のほうが帝国議会での花火を散らした論戦に比べて異論が出てこない」現状であり治安維持法の立法化で貴族院にて徳川侯爵ですら「特権階級中の特権階級に属する者が本案に賛成いたさない意思を表明いたしますのは余程勇気を要する」としつつ治安維持法の問題指摘したことなど、そういった民主主義が戦前にあったのに、それが45年まで一気に崩壊していった歴史。戦前は暗黒だったのではなく、立憲主義の育った環境もあったのにそれを失ったのが日本。そこから何を学ぶかが大切、と。そして選挙。ちょうど衆議院選挙が終わったが、樋口先生は56年の参議院選挙取り上げ、この時の衆議院護憲派議席の三分の一を占め鳩山一郎による改憲が阻止された、と(樋口先生は常識として述べていないが、この時は衆議院では55年体制保守合同で自民が467議席中297議席を占め(63.6%)、あと一歩で改憲衆議院通過という状況にあった)。その衆議院選挙の実施が来年夏。面こう三年で改憲を狙う人たちとの日程ともぴたり一致、と。衆議院選挙では票が逃げるのを怖れ話題にされなかった改憲が与党絶対安定多数の状況で政治日程にあがるわけで(ここで公明党がどう出るかがかなり面白いが)、そうなると来夏の参議院選挙こそ意味あり、最後に樋口先生は「倫理の問題として、日本社会をつくっている、いま生きている日本人が何をして何をしてこなかったか、ということが問われてることになる」と。確かに。ところでこのインタビュー、最初が「憲法からは、自衛隊イラク派兵をどうとらえますか?」で始まったが最後も聞き手が「ありがとうございました」と、このテのインタビューでお礼で終わるとは……岩波がお礼(笑)。Macallanの12年一飲。ところで『噂の真相』の岡留編集長の日誌に「日本テレビの「行列のできる法律相談所」にレギュラー出演していた弁護士のキャバクラ通いをグラビアに掲載しただけで提訴された」裁判について「キャバクラでセクハラまがいの言動をされた池袋のキャバ嬢」が本紙側証人として出廷とあるが、キャバクラでどこまでがお遊びでどこからがセクハラなのか余には区別つかず。
▼保守神道ぢゃなかった保守新党の解党で自公の二党連立となりより公明党の力が大きくなるのでは?という質問に官房長官福田二世曰く「大きくなるという見方なんですか? 小さくもならないでしょう。つまり変わらないということだ」と。最初から「変わらない」とすら断言もできぬ、この修辞。政府を代表して物言うべき者ですら、この程度。小泉三世に至ってはイラクへの自衛隊派遣について不安定どころか死傷者相次ぐイラク情勢で「時期を見極め」危険箇所でなく人道的復興措置のとれる場所に行く、と。危険はないのか?と質されると「危険のない場所などない」と声荒げ、だから危険のない場所がないなら時期見極めるのも意味ないでしょうが……一国の首相とは思えぬこの愚弁。少なくともこういったマスコミが待ちかまえる場所に姿呈さぬように徹した鮫の脳味噌とまで揶揄された森君のほうが答えぬだけ賢明だったかも。『世界』にて大橋巨泉氏曰く小泉三世は「たんに総理になりたいだけの男」だったのが今では「総理でいたい男」に変わっただけ、と。一日も早くこの男の正体を見破らないと、日本は大変なことになる、と大橋先生。余が小泉君を何度か歌舞伎座で見かけたのはあれも今思えば「総理になりたい」と思っていたのか彼が厚生大臣の頃。歌舞伎座の客席でご婦人たちにいささか好意的に「あら、小泉さんよ」と私語かれ、時の厚生大臣がふらりと一人で歌舞伎見物が好評博していたが、このご婦人らは今、高い小泉支持率の群のなかにあるのであろう。
有栖川宮様名告る男による詐欺事件。この宮様よかこの宮様を招いていた天孫降臨伝説で有名な神社や右翼団体はいったい何を考えていたのか。皇室を戴くことにより親しみ覚える神社や右翼団体がなぜ有栖川宮のお家が杜絶えて久しいことを知らぬか。本当に皇室を愛しめば、なぜ広尾の有栖川宮邸が(戦後の皇籍離脱ならまだしも)戦前に敷地が東京市に寄贈され公園になったかなど常識でなかろうか。なぜそういった方にかぎって陳腐な皇室詐欺に瞞されるのか。興味深い問題。
▼国会議事堂クリックすれば戦後の衆議院での政党別議席数。結果論だがかなり強引に自民党及び亜流、公明党公明党を除く非自民でまとめたもの。今回の選挙結果で二大政党制が具体化などと言っているが、野党の実力なるものは今回も含め4割前後で変わっておらず。これは戦後一貫した事実。単に中道左派から共産党で革新票を奪いあってきただけのことが明白。自民党は確かに90年代から単独政権は難しいものの、今日の民主党につながる分裂を経ての結果でも過半数維持できることがどれだけ底力あるか、と評価したいのだが、どうしたって注目すべきは公明党。本来、50議席確保できる集票力もちつつ明らかに自民党への選挙協力自民党過半数維持。公明党小選挙区制でここまで自民党に寄与する、もしくは政権交代のキャスティングボードになるとは。それは見方によれば欧州の保守党と社会民主主義政党の二大政党制で小さい基督教政党がどちらにつくかで政権交代可能な政党環境と似ていなくもないが。小選挙区といえば築地のH君彷彿するは小選挙区制導入のとき「やってみてだめだったら、また変えればいい」などと信じられなぬくらい無責任なこと放言していた輩、「また変えればいい」ってそのだめな選挙制で選ばれた当人たちが国会に居座ってる中でどうやったら変えられるのか、できるもんならやってみろよ、と(笑)。保守の票獲得の手段も、選挙区制度も、中道から左派の票の喰いあいもただ呆れるばかり。