富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

吉右衛門 の検索結果:

Topsのケーキ

…るのだが、すでに失つた、崩壊してしまつたものがああまりにも大きすぎる。 ▼異論抑へ「簡易総裁選」決定 自民総務会、予備選挙要請へ:いかにも簡易で選ばれそうな菅某である。https://t.co/uKQmHToFch ▼中村吉右衛門の<須磨浦> https://t.co/yREJmZAkFW ネット配信で垂涎の企画だが陋宅の茶の間にネットで見るのに3,500円は正直、高杉晋作。ネットのかうした映像配信は値段安くて何倍、何十倍の方に気軽に見てもらふ折角の機会にはできないのかしら。

新餃子いたゞきました

…日は先週金曜晩の中村吉右衛門を見る。大松嶋はスタジオで司会の高橋英樹と歓談してゐたが今回は播磨屋はスタジオに現れず昨年九月に歌舞伎座の秀山祭から〈寺子屋〉で、これなら〈劇場中継〉と何ら変はらず。播磨屋の松王丸。ひどく咳をする場面があるが、あれはコロナでは上演は憚られるところか。菊之助の千代も上手。幸四郎の源蔵が播磨屋と音羽屋の二人のレベルについてゆけてゐない。しかも番組の最後は「かういふ悲劇的な時代があって時を経て今の平和な世の中がある」とは意味不明。午後、木村屋でお遣ひもの…

㐂久水

…部兵衛に今回のやうに吉右衛門と仁左衛門といふ二大役者が並び十分な義太夫があれば、それ(だけ)が面白いものなのかもしれない。後日この〈合腹〉を映像なしで音だけで聞いてみたい。 ▼伊東豊雄先生の半生記より(朝日新聞) 仮設住宅の敷地の中に被災者が一緒に集まって食事をしたり本を読んだりできるような場所を作れないかと考えました。小さな小屋なら僕らでもできるはずです。「くまもとアートポリス」のコミッショナーを務めている縁もあって熊本県が資金と熊本の県産材を提供してくれました。第1号は仙…

折口信夫坐談

…次Ⅱや初代の鴈治郎、吉右衛門や猿翁あたりで芝翫(大成駒)や幸四郎Ⅶ、もしほ(勘三郎XVII)あたりはまだ若手。大阪出身の折口ゆゑ延若Ⅱや梅玉Ⅲ、若手の扇雀(鴈治郎Ⅱ)など上方役者への言及は細かいところ魁車(1875〜1945)への思ひ入れが殊更強いことが印象的。折口といふと神話世界や古典の学者といふ印象が強いが芸能の元は大阪の「にはか」にあり新派や喜劇に対する言及も面白い。 悲劇のほうが少なくとも日本では喜劇より高く評価されてゐるやうだね。 榎本健一が自分の一代記を演じたら、…

香港 すべてが叶う街

…が多く歌六③の息子が吉右衛門①、時蔵③と勘三郎⑰で当代の播磨屋、歌六⑤、この芝居に出てゐる錦之助⑥あたりは再従兄弟。時蔵⑤や獅童、勘九郎や七之助も同列といふことか。 【同志遊行】熱情滿出來!近14萬人挺 創新高 https://t.co/ZUNJeYO8De— 富柏村 (@fookpaktsuen) 2018年10月28日 台北でのゲイパレード。台湾は中共の圧力で外交もまゝならぬところ文化部長(大臣に相当)が同性婚合法化実現に向けての意欲。実現すればアジアでは初。政治的にも二…

…年がつい昨日のことのやう。高度経済成長のなか。画像は帰宅途中に北角で道路渋滞あり何かと思へば中共からのツアー客のバス待ち。歡迎強國朋友們!@fookpaktsuen: 歌舞伎:「壽初春大歌舞伎」端正、染五郎の義経=評・小玉祥子 - 毎日新聞 URL 夜の披露演目は「勧進帳」。幸四郎の弁慶は義経を守ろうという思いにあふれる。吉右衛門の富樫が弁慶の攻めを自在に受け、2人の問答が盛り上がる。……意味深w2018-01-11 21:41:14 via Twitter for iPad

東都4日目

…である。 そう思って吉右衛門丈のセリフを良く伺うと、物語が進むに連れてその調子が微妙に変わってくる事に気付く。それが巧まず自然に聞こえるのである。義太夫節では「色ドメ」というト書きの文末を大切にする。〽…聞き取る十兵衛」や〽…親の心を察しやり」等。 その後に吉右衛門丈のセリフが続くのだが、やはり当方の言い方が御意に適わないと、出にくい事と思う。その辺を良く考えて適切な言い切りをしなければいけない。 (中日に)吉右衛門丈より、「私もまだ研究しながら勤めているから、どうぞあまり心…

…、弁慶役者の幸四郎、吉右衛門(初)と祖母の思い出話やいろいろな著作で知つてゐて、3代目時蔵の子が長男から全部言へて、それどころか時蔵の父(歌六)の長男が吉右衛門で時蔵、腹違ひの弟が勘三郎で……とわかつてゐるから。自分が昭和50年代からの最後の黄金期の歌舞伎を見られたのだ、とあらためて思ふ。午後から北風強くなり今晩は気温摂氏15度以下。 ▼消費支出11月は1.5%減、と日経。ハワイに行ってる場合ぢゃないだろ、と思ふが第2次政権発足から4年で、まだ「改革道半ば」などと宣ふのだから…

… ▼今月の歌舞伎座、吉右衛門と菊之助の「籠釣瓶」、朝日新聞の劇評(天野道映)より抜粋。 菊之助は遊女というより女というジェンダーを描いている。声も体も凛としているが、ふと目を伏せる時、心はやはり血の涙を流している。それは不義理を嘆くのではなく、我が身の不条理を嘆く涙である。廓は社会制度そのもの。女は男の欲望の対象としてではなく、なぜ自らの意志で人を愛することができないのか。 ……これを一読して意味のわかる人がゐたら内容をわかりやすく教へてほしい。あたしにはこれがちっとも読み取…

摂氏3.1度は59年ぶりの寒さ

…伎座:〈石切梶原〉の吉右衛門、すでに極めつけの当たり役ながら美酒のように芳醇な味わい。玉三郎、松緑の〈茨木〉は玉三郎の叔母真柴があまりに淡彩。矢内賢二(都新聞)2016-01-24 13:16:31 via Twitter Web Client@fookpaktsuen: 日本人そのものが卑怯になってきている気がするんです。情けない日本人になってきた。原発の核のゴミはどこも受け入れない。沖縄の基地も同じ構造。同情はしても、それをなんとかしようという方向には行かない。戦前生まれ…

吉右衛門〈石切〉

…で今回は久が原T君に吉右衛門が兎に角好演だから見てと勧められ、目利きの彼がそこまで言ふなら、と最初の二つの芝居は間に合はず播磨屋の〈石切〉から。成る程、播磨屋の円熟みたっぷり堪能。筋ぢたいは面白みに欠け梶原平三演じる役者が良いことだけが頼み。今なら吉右衛門か仁左衛門でせう。もし辰之助が生きてゐたら、これを演じてほしかつた。続いて大和屋の〈茨木〉は、これを絶賛する人もゐるがアタシには大和屋で良さがさっぱりわからない。大和屋演じる老叔母は寒々しいほど枯れてゐるばかりで「実は鬼女」…

…五郎7、歌右衛門5に吉右衛門とずらり名役者並ぶ時代。幼い頃から相撲に詳しく同じ相撲好きの六代目に可愛がられ双葉山64連勝で負けた一番も六代目と升席で見てゐたといふ逸話は有名。六代目亡くなつたあとは梅幸に可愛がられ、もう一人田之助が忘れられないのが大成駒だといふ。尾上役の芝翫が急病で休演と決まり夜中に永山社長直々に田之助に電話入り明日の尾上代役と言はれ岡本町まで「これから教はりに行ったら?」って夜中に押しかけて怒られるよりは、とビデオ見て台詞覚へ翌朝、稽古なしで開演。それを大成…

Majority in China expect war with Japan

…いった」が「知性派の吉右衛門」は「抑制が利き、あまり悪ふざけしないのがいい」さうで道具屋甚三役に「やはり知性派の仁左衛門がつき合って、さらにその感が深い」といふ。何だか十七代目がたゞのバカのやう。また松島屋の仁左衛門(祖父)と千之助(孫)の連獅子は「切り立てたセロリの香りに似た爽やかさ」ってセロリに確かに香りはあるが切った瞬間で切り立てゝおいたら即に香りもない気がする……ヘンな比喩(かういふ比喩が赦されるのは康成か春樹くらゐ)。これに比べると「褒めてるのか貶してゐるのかわから…

…)、菊五郎(46)、吉右衛門(44)、孝夫(44)、團十郎(42)、福助(42)、玉三郎(38)とずらりと並び、若手が勘九郎(33)、時蔵(33)、八十助(32)と……年上から順では扇雀(藤十郎)のみ活躍中、その下の世代でも澤瀉屋が舞台に立てず成田屋、中村屋も鬼籍に。高麗屋、音羽屋が今や72歳で長老格だが当時の大成駒より年上だとは。H君の指摘は今年49歳の橋之助が当時の「花形」に比べて、どんな存在か、40代の役者でほかにだれがゐるのか、と指折るにも苦労する、と。御意。「脇役の…

節分に鬼も涙の成田山

…のが富十郎、菊五郎、吉右衛門、権十郎、勘九郎と豪華で、そのなかでも團十郎の、じつに大らかな小坊主のノリが実に爛漫。役者として意外で意外な姿を見せたのが新之助隠し子騒動。これももう丁度十年前のこと。当時「新之助君の隠し子は驚かぬが寧ろこの能筆に驚かされる」と拙日剰(こちら)。 ……と。(以下、二〇〇三年二月の富柏村日剰より引用)この本来なら孫と愛でる女兒を「お子さんの」といふ祖父の心境思へば哀切なり。(略)新之助君もさすがそのへんの青二才とは異なり立派なもので「おなかに子供がい…

震災チャリティー公演に見る歌舞伎役者の序列

…から藤十郎、菊五郎、吉右衛門、仁左衛門、勘三郎、下手は中央から幸四郎、団十郎、次のこれは誰?で時蔵……と並ぶ。俳優協会会長の芝翫が体調不良で参加できず副会長の藤十郎が上位なのは道理。で菊五郎が神谷町の挨拶を代読なのは音羽屋が協会の専務理事ゆゑ。専務理事といへば財団法人の場合、実質的トップが音羽屋なのか。まぁこれは「なるほど」だが気になるのは下手で上位にゐる幸四郎である。協会では一理事に過ぎぬのに成田屋より上位、年は確かに4つだか上だが。副会長と専務理事除くといずれにせよ弁慶役…

…代目歌六か母方の初代吉右衛門か、と思つたが命日は前者が五月で播磨屋は九月。三代目歌六の月命日(十七日)のことかしら。 ▼築地のH君が菅君……さういへば首相を小泉三世、安倍二世(岸三世)、鳩山三世……とナントカ何世とアタシが呼んで久しいが菅君は二世議員に非ず「菅一世」では呼び名として面白くもないし、ふと思つたのは(買いかぶり過ぎかもしれながい)管公に準へ「菅丞相」とでも呼ばうかしら(右の写真は十三代目)。で管相丞、H君指摘するに衆院議長横路君、参院議長江田五月、最高裁長官こそ普…

…菊五郎)の揚巻、初代吉右衛門の意休、福山のかつぎが九代目海老蔵(十一代目團十郎)で戦後の「助六」が始まり翌月が海老蔵の助六に芝翫(後の六代目歌右衛門、大成駒)の揚巻。その後、昭和20〜30年代ではあたしは壽海を除けば見てゐても見てゐなくてもピンと来る役者が續くが昭和37年4月に海老蔵が十一代目團十郎襲名で大成駒が揚巻、かつぎに新之助(現・團十郎)でこの公演は翌月まで(この時の筋書きがアタシの手許にあり)。昭和44年11月の現・団十郎の海老蔵襲名(十一代目の逝去から四年目)での…

…年の歌舞伎座での初代吉右衛門との大成駒の熊谷陣屋を見る。この時の大成駒は若干三十三歳、で相模を演じるが、今かうしてその大成駒の相模を見るとこれは戦後の前衛。戦後の寺山修司も唐十郎の演出であるとか李麗仙、太地喜和子といつた役者の芝居も昭和二十五年の大成駒の熊谷の相模の流れにあるやうに見える。ジンリッキー飲む。昏刻にZ嬢と尖沙咀東。一平安で早めの夕餉。香港でらーめんや餃子をば供す先駆けとなつた「一平安」も創業二十五年の由。湯麺(60ドル)のキャベツなど具だけ炒めたやうな野菜炒めが…

…宮豊隆、「ボクはね、吉右衛門が文化勲章受賞の晴れの日に下痢がひどいんで武見太郎君を紹介したんだよ」と、今の時代ならテレビのワイドショーででも活躍しそうなキャラ。ところでいま流行の白州正子もZ嬢など「このオバサンのどこが一流なのかわからない」と首を傾げるが、確かに「批評家にもディレッタントにもならなかった」「好きなものに味噌糞一緒ただ貪欲にガブリ寄った」「最期まで素人性を失わなかった」ところが、批評はおろか、ディレッタンティズムすら「わからない」と忌避される時代にウケる原因なの…

…つけて小宮豊隆『中村吉右衛門』の続き読む。読了。小宮先生、播磨屋への賞讃に比べ六代目はかなりお嫌いで六代目について「菊五郎の芸には抑揚はあっても、極まり処は的確に極っても、緊張感にムラがあって、高潮を経験することは出来ない」と酷評。弁慶役者と呼ばれた高麗屋ですら「幸四郎の弁慶は、あの白痴らしい気の抜けた処のあるのが第一の欠点」で「いつまで経っても舞台が熟して来ない」「しかもその少しも気のないくせに、台詞を言ったり、思い入れをしたり、極まったりする角々に来ると、いかにも気が這入…

…小宮豊隆先生の『中村吉右衛門』(岩波現代文庫)読む。アタシ自身は昭和29年に亡くなった播磨屋の芝居を当然観てはおらぬ。だが舞台を実際に観てはおらぬ役者でも十一代目(成田屋)であるとか十五代目(羽左衛門)であるとか勘弥とか祖母の話によく出てきたので「まるで観たように」印象深いのだが播磨屋だけはなぜか祖母の素人ながら幼い頃から芝居を観続けた彼女の話に出てきた記憶がなく(先代の勘三郎や扇雀(現・坂田某)などにはまるで幼なじみのように言いたい放題であったが)今になって「なぜ?」と故人…

…目「祇園一力茶屋」。吉右衛門の由良之助、玉三郎のお軽、寺岡平右衛門に仁左衛門。播磨屋がどうしても鬼平に見えてしまうのは御愛嬌。この七段目の由良之助、先代の仁左衛門で歌右衛門のお軽だったらどんな舞台になるか、と想像するだけでゾクゾク。往年の孝サマ玉サマ、なのだが感情移入の物凄い、ずっとテンションの高い松島屋に対して大和屋のお軽はどうも白けている、というか舞台にあっても演技している時としていない時のスイッチのOnとOffのようなものが感じられる。播磨屋は、役者としていまが絶好調の…

…図」を、「はやせ」を吉右衛門(初代)、お蔦を小勝(三升亭、五代目?)でやった、というのだから可笑しそう。この中井英夫の昭和十九年十月三日の日記より。 新しい小學校の三階。校庭では體操の時間で二百名くらゐの女の子男の子が騷ぎ立てゝゐる。水色、赤、黄、華やかな彩どりのいきものが、この二三日、平氣ばかりいぢくつてゐた眼にいとほしい。 集まつて、あしぶみして、歌を唄ひ出す、「豫科練」を「七つ釦は櫻に碇」を。ふいに先生の鋭い聲がする。じつと指されてゐる、一人の子が。 ……あの子はうたつ…

…。萬次郎丈が播磨屋(吉右衛門)と共演で「鳴神」演じた香港公演はもう十年以上前。余が生まれて初めて大向こう気取りで「橘屋〜っ」「播磨屋〜っ」とやったのもお恥ずかしい。その晩、ホテルの部屋までお招きうけ二日間三部公演も終えた橘屋さんが酔った勢いで機嫌よく成駒屋の大檀那の舞台、大和屋の楽屋での語りの真似などしてくれたのも懐かしいかぎり。で本晩。萬次郎丈、話上手。殊に父、十七代目羽左衛門の語った芸談など興味深く拝聴。芝居というと発声だの複式呼吸だの「息を吐く」ことばかり気にしがちだが…

…ガを受け取ったが、正月の番付どうよ?、と。同感。奥州安達原が正月の演目。やはり正月は助六とか暫、曽我物など絢爛豪華でおめでたい演目が見たいところ。「伝統芸能チャンネル」のほうが1月は吉右衛門の「勧進帳」、勘三郎襲名狂言の「京鹿子娘道成寺」、玉三郎の幻想美に溢れた「鷺娘」、仁左衛門が舞い狂う「保名」など(大和屋の「幻想美」はまだしも松島屋の保名の「舞い狂う」はもう少し表現の仕方もあろうが……笑)と新春らしい。富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/

…富十郎)と 播磨屋(吉右衛門)の弥次喜多が「愛知万博会場にたどり着くお話。人気キャラクターの登場もあり楽しく大いに笑えて、幸せな気分にさせてくれる歌舞伎喜 劇」で夜の部は「平家蟹」で芝翫が玉蟲を演じるが「白石加代子さんの語りとスライドの新演出」とは……。これで一万円以上の席を売ろうというのだから。中 村屋(勘三郎)で今年は八月まで売上げ目標達成だし。 ▼劉健威兄が信報の連載で「ディズニーが来たぞ」と。香港鼠楽園開幕で「ローカル文化衰退の恐れ、と学者」といふ某新聞の見出しを嗤ふ…

…歌六の三男坊で長男が中村吉右衛門、次男が時蔵(当代の祖父)と名前の派生する家にて勘三郎も十七代目と賑やかだが明治初期に途絶えし名跡の復活。勘九郎君の今風にいえば平成中村座だのプロデューサとしての才覚思えば猿若勘三郎を祖とするといふ中村座の座元の名跡といふ意味で勘三郎襲名も意味もあろうが永山松竹の傘下に企画買われ座元とは言い難く辰之助の松緑襲名といい松竹の兎に角襲名披露公演で賑わせようといふ襲名デフレなり。 富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/

…と脳裏に映る。又平は吉右衛門。芝居上手も今では播磨屋に辣しく接すられもする歌右衛門、勘三郎らも他界では。ところで海老蔵の助六。T君、助六の黄足袋は踝の出づる淺く伊逹もの「これが宛然、當今青少年の日常用ゐるスニーカーソックスに見ゆるが如し」と。足袋も「ソックス」に見える、これが当世の海老蔵といふものか。 ▼週刊読書人に角川春樹氏のインタビューあり。余はかつてこの人に畏怖の念あり。然れど氏の「向日葵や信長の首斬り落す」だの「黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る」といふ俳句の余りに戯れ句ぶ…

…六代目だの先代の中村吉右衛門だの、十五代目羽左衛門にまで遡り、当然、海老蔵で祖父十一代目團十郎に話は至り、あの助六のくわんべら門兵衛は誰だった、仙平は誰だった、いやぁ彼はよかった、実によかった……といふ昔話となり、思い出したように海老蔵の話に戻り更に思い出したように海老蔵の此処は、彼処は父(團十郎)に似ている、と。團十郎といふ人、この十一代目とそれに瓜二つと称される期待された息子に挟まれるが、それを悪くとらず、穏やかに見据えること出来るのがこの團十郎といふ人の柄。新之助君の隠…