富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

吉右衛門 の検索結果:

福島へ

…それでも昔は兄弟でも吉右衛門Ⅰと勘三郎XVIIの年の差が20以上あつたわけで、この故人も年齢は母よりもずつとアタシに近い。3日に緊急入院して1ヶ月は入院といはれたが夜遅く容態急変で日が替はり(4日)逝去。福島西ICから市内に向かひ市街の南から阿武隈川の支流(荒川)を信夫橋から渡る。街道筋に昔からの紙屋や印刷所が多い。浄土真宗K寺。ご住職の読経が声も良いばかりか声明でも聴いてゐるかのやうな音色で見事。浄土真宗では亡き人は臨終後直ちに阿弥陀如来の浄土に還るので火葬から納骨までも迅…

世田谷文学館→歌舞伎座

…当てられたもの。初代吉右衛門(歌六Ⅲ長男)が得意として戦後は勘三郎XVII(歌六Ⅲ三男)、そして直近では何といつても吉右衛門Ⅱこそ。今日松嶋屋でこれを見てゐても、つい「播磨屋だつたら」と表情からセリフ回しまでも想像してしまふ。松嶋屋の松浦侯は美しく、また愛嬌もあるが盟友たる大石への同情と苛立ち、そして仇討ち成就での「でかした、でかした」の感無量が欠けることでは松浦侯は(昨年の南座顔見世でも演じてゐるが)松嶋屋のニンではないやうな……。 今日は祝日で銀座で夜はあちこち定休日でい…

阪神18年ぶりリーグ優勝

…、身長180センチの吉右衛門がそう思わせた細心さを加えたい:朝日新聞 村上湛(国立劇場)〈吉野川〉真女形としての大成を確信させる雛鳥役の梅枝:朝日新聞 芝居の感想的に良い、悪いではなく何を見せたいのか何を見れば良いのかをきちんと提示すること。湛先生が梅枝、萬太郎に期待込め、そして橘太郎(腰元小菊役)に目を向けられた。 歌右衛門は花道の出の一足に娘の行く末を思う母・定高の憂慮を刻み、吉右衛門は息子たちの非業を悼む「閻魔の庁を名のって通れ」の一声に父・大判事の慟哭を籠めた。今月の…

« Les secrets de la calligraphie de Sugawara » et « Le suicide des amoureux à Sonezaki » au Théâtre National

…すると駕籠から登場で吉右衛門丈に見えてしまふ(哭)。 昔は芝居(といつても大劇場)が跳ねると劇場から有楽町経由の東京駅、四谷経由の新宿駅行きのバスがあつて、そのバス出発の電光掲示がまだ残つてゐるが今はそれもなく夜な/\地下鉄の永田町駅まで歩き有楽町でJR乗り換へ。常磐線の特急で泥酔客がトイレで倒れてゐて嘔吐もひどく同行者があたふたで柏駅で救援。車内アナウンスは「車内で病人が出たため」で柏駅での停車時間が少し長くなり当該の男子用トイレは「故障中」でご迷惑をおかけします。勝田終着…

癸卯年七月初十

…から。 歌六といへば吉右衛門のバイプレイヤーとして地道に芝居を続けてきたが人間国宝で大役も回つてきた。九月の秀山祭で大膳のお役とは。国立劇場は「妹背山婦女庭訓」で定高は時蔵。吉野川の大判事は松緑ださう。記事によれば「現在、定高を演じた経験のあるのは坂東玉三郎、大判事は松本白鸚のみ」とある*1。ずいぶんと主役クラスも代替はり、といふか他にゐない。 落ち着いた伝統と文化の街というイメージを求められ街自体がデオドラント(脱臭)化されました。言い換えれば〈脱・性化〉でしょうか。性的な…

末伏

…童 梅幸 羽左衛門 又五郎 芝翫 雀右衛門 富十郎 蓑助(三津五郎⑨)辰之助のキツネ、海老蔵(團十郎⑫)のシカ、吉右衛門のクマ、福助(梅玉)のウサギ、孝夫のキリン、藤十郎のパンダ、彦三郎のタヌキ、水谷良重のリス鏡の精 勘九郎(勘三郎⑱)小鳥たち 時蔵 八十助(三津五郎⑩) 芝雀 児太郎(福助⑨) 信二郎 智太郎(翫雀⑤) 模擬店でも勘九郎の靴磨きとか吉右衛門の道具屋とか、想像しただけで垂涎の当たり役。歌江さんの隠し芸もない。 ランキング参加中Think<書くことは考えること>

癸卯年六月十六日

…見たいと思つたがテケツは売り切れの人気。今日ご覧になつた方が道成寺をとてもほめていらした。 秀山祭九月大歌舞伎|歌舞伎座 吉右衛門丈のゐない秀山祭の寂しさ。今年九月のこの番組なら初代の当たり役だつた清正(二条城の)。そして茂兵衛(一本刀土俵入り)。御人の話では播磨屋ご本人は生前、清正と連獅子を孫(丑之助)と共演楽しみにされてゐたさう(涙)。これが3年前なら…… あの秀山祭が吉右衛門丈の舞台を拝見する最後になつてしまつたとは。 ランキング参加中Think<書くことは考えること>

能楽囃子方五十年―亀井忠雄聞き書き

…つないできたものがあるということを知っていないといけないんだ。能がどんなに盛隆をきわめても中心は抜け殻だということになってしまう。(略)私自身が恩義を受けた過去の名人たちへの感謝の気持ちもある。いったいこれまでの能が、何を大切なものと考えて芸を継承してきたのかを、言っておきたかった。将来にわたって能が継承されていくにしても、その大事な中心は変わらないと思う。 まさに二代目吉右衛門が指摘してゐたことと同じ。伝統芸能の芸の継承。 ランキング参加中Think<書くことは考えること>

311から12年

…恭写真展〈二代目中村吉右衛門〉セイコーハウス銀座ホール を拝見するつもりだつたのだが角筈の理容室に忘れ物取りに行つて銀座には出られず残念(21日まで)。 本日癸卯年二月廿日。気温摂氏4.4/17.4度。快晴。WBC野球の連日の盛り上がり。テレビの情報番組で「ヌートバーで応援も最高潮に」といふナレーションに酒を飲みながら実況中継見て皆で騒ぐ画像あり新種のスポーツバーを「ヌートバー」といふのかと思つたら日系人先週の名前。 311から12年。仏教でいへば十三回忌。 復興特別所得税の…

シーレ展から大槻文蔵裕一の会へ

…にまだ悲しみばかりだがグラビアにじつに見事な播磨屋の舞台衣装姿の写真あり。鍋島徳恭撮影。これが9日より写真展なのださう。 鍋島徳恭写真展-二代目 中村吉右衛門- | 銀座和光 この銀座百点の連載・延江浩「都市の伝説─銀座巡礼」で銀座の老舗バー・コッペリアが昨年末で閉店してゐたことを知る。静香ママが40年続けた酒場にたうたう行けず仕舞ひ。 ▼アートブレーキ&JM、マイルスの〈E.S.P.〉そしてウェザーリポート。私がジャズを聴きだしたころまだウェザーリポートで現役だつた。追悼。

確定申告

…でお釣りまで来るか。 国立劇場あぜくら会の会報で制作OBの織田氏が昭和51年の松緑Ⅱが二か月で知盛、権太と狐忠信の三役の映像を見ながらトークをされた記事を読む。紀尾井町は忠信は菊五郎、知盛は海老蔵(十二代目團十郎)、権太は吉右衛門Ⅱに役を託したいとしたといふ。 晋三にハシゴ外され孤立した日銀・黒田総裁 | 毎日新聞 経済悪化に備え残しておくべき金融緩和を使い果たし2%目標を達成できないまま日銀を去る黒田総裁。信念はさておき失敗の理由は何だったのか言葉を尽くして説明してほしい。

癸卯年正月九日

…座(秀山祭)二世中村吉右衛門一周忌追善 - 富柏村日剩 この放送見た母も贔屓の松嶋屋の由良之助に比べ平右衛門の成田屋(白猿襲名の前月であつた)の芝居に首を傾げたと今日言つてゐた。義太夫狂言で松嶋屋に比べたら白猿はその域にはとても達してゐないのかもしれない。 本日癸卯年正月九日。気温摂氏▲5.9/8.3度。快晴。 今日通りかゝりの千波湖畔で駐車場にこんなハッピーなトラックが泊まつてゐた。移動式銭湯〈天真〉ださう。インスタはこちら。 新潮社の広報誌〈波〉二月号届く。筒井康隆先生の…

完本 中村吉右衛門

…小玉祥子『完本 中村吉右衛門』(朝日新聞出版)読む。確かこの著者で「二代目聞き語り」がご本人が記者をする毎日新聞社から出てゐたと思ふが、それを膨らませて朝日新聞から「完本」とは。播磨やの得意とした演目に対する芸談が面白い。播磨やの、その姿が脳裏に浮かぶ。それがもう拝見できないと思ふとつらい気持ちばかり。もう本当に二度と出てくることのない伝統歌舞伎の役者。夫人やお弟子筋のコメントもいくつも出てくるが何よりも竹本の葵太夫のいくつものコメントが実にじんと心に沁みる。葵太夫さんにとつ…

陰暦十月廿八日

摂氏9.5/18.6度。朝は雨が残つたが(5.5mm)昼から晴れる。 朝の涙雨が晴れて……青果作〈大石最後の一日〉の「日本晴れの心地がいたします」の播磨屋の姿が浮かぶ、と久が原T君。本当にこんな素晴らしい役者を失ひ早一年。最後に〈須磨浦〉の映像を残されたことが偉業となつた。 「地元用」にもつてゐる茨城県信用組合*1(けんしん)の口座。通帳記帳しようとしたら、またNGで通帳の磁気がおかしくなつてゐるのだらう。窓口へ持ち込み気合で磁気を入れてもらふが頻繁なことで通帳を再発行しても…

Shinzō est un traître national

…(典侍の局、惟盛)が吉右衛門Ⅱが継承した「伝統歌舞伎」の未来の星と実に納得。そんな芝居であるから是非見てみたいところだが〈義経千本桜〉の通しで菊之助三役といへども日に通しで三役は月に一度もなく今月のうち23日の公演のうち2つの番組があるのが8日で残りは番組1つのみ。先代の猿之助が七月の夏の歌舞伎座で通しで三役を勤めあげたことがどれほどのものだつたか、と湛君と物語る。今月の三宅坂のチラシに「菊之助が挑む三役完演*2」とあるが本来その三役完演とは先代猿之助のそれであらう。 「晋三…

歌舞伎座(秀山祭)二世中村吉右衛門一周忌追善

…で秀山祭といへば初代吉右衛門の功績讃へるが目的で「当代」が始めたのが2006年で、それが定着してこれからもと思つてゐたものが昨年は体調不良で秀山祭として開催能はず今年は当代だつた二世吉右衛門の一周忌追善になつてしまふとは。涙。第三部(明日が千穐楽)。今月の歌舞伎座は古呂奈の禍ひもなく仁左衛門丈の由良之助で忠臣蔵の七段目。おかるは雀右衛門。まもなく白猿襲名の海老蔵が寺岡平右衛門。七段目は2007年2月に歌舞伎座で忠臣蔵の通しあり播磨屋の由良之助、大和屋と松嶋屋で見て以来。「先代…

BEYOND 黄家駒の還暦

…く池波先生。歌舞伎で吉右衛門の〈俊寛〉と富十郎の〈船弁慶〉は歌舞伎座で三部制の導入で昭和60年9月の第三部(第二部では大成駒の桐一葉がかかつてゐる)。 我ながら本当に地方の生活はネタがないと思ふがデパートの物産展のことを3日も書いてゐるなんて。今日は夕方その混雑する会場で西成区玉出の会津屋のたこ焼きと大徳寺さいき家のお弁当を買ふてきて夕食にいたゞく。たこ焼きはソースとかマヨネーズべちょべちょで明石焼はお出汁につけて上品にいたゞくが会津屋のはソースはつけない。前菜に。ついたこ焼…

東北の地震(拾遺)

…場「近江源氏先陣館」吉右衛門の遺志継承の秀演:朝日新聞 畏友・村上湛君の国立劇場〈盛綱陣屋〉の劇評(本日の朝日新聞夕刊)読む。いつもながら劇評が一つのディスクールの作品。評者自らがなぜこの劇評を書かなければいけないのか、といふ根拠が要ること。評される役者にとつても、この芝居で何を表したいのか(極端な場合この舞台で演じられゝば死んでも良いといふほどの覚悟)あつてこそ、それが演じる者と見る者の間で見事な共鳴となる。湛君がそれぞれの役者のそれを実に見事に一つずつ述する。役者も自分の…

菊之助の盛綱陣屋

…古のときに丑之助君に吉右衛門Ⅱの面影が見えたといふ。村上湛君も(彼のこの劇評はまだ出てゐないが)丑之助君好演は無論のこと美吉屋の微妙役が傑作で大変なものと聞いてゐたので楽しみな今日の舞台。盛綱役で菊之助の心情がよく表され丑之助君は本当に型の決まり方から足の指先までの演技力にこれぞ歌舞伎役者と感心させられるばかり。完ぺきに小四郎になりきつてゐる。畏怖すら感じる子役ぶり。播磨屋が娘婿とお孫のこの好演を見たらどれだけ目を細めたことか。菊之助も倅も播磨屋の期待に応へやうとしての結果。…

陰暦二月初七

…。子役で六代目や初代吉右衛門、寿海Ⅲと「共演」してゐる。本当に面白いネタが尽きない語りだが白眉は「成駒屋の手料理」で戦時中に相模原の郊外に疎開してゐる大成駒のところを訪ねたら大旦那自ら台所に立つて料理を拵へてくれたのだといふ。成駒屋の舞台でのお役の話も面白い。小山三さん逝去(2015年5月)の報に久が原T君が「下手に近づくとケガをするアブナイ女形」と形容したのはまことに妙。 西村賢太『苦役列車』(新潮社)2011年春の芥川賞受賞作。著者本人の私小説で「中卒でこんな生活をしてゐ…

陰暦正月十七日

…て第三世代も幸四郎、吉右衛門、菊五郎、辰之助、仁左衛門に成田屋、澤瀉屋と役者がずらりと揃ひ若手の勘九郎や八十助は本当に役が貰へず、それで納涼歌舞伎やコクーンを始めるしかなかつた。今とはまるで状況を異にするではないか。さらに成田屋は娘、息子と演舞場で〈プペル〉なんてやつてゐる場合ぢゃないと思ふのだが。 香港の状況が大変なことになつてゐる。民主化運動のあつた政治危機どころではない。中央政府の「動態清零」で感染拡大する香港は中共にとつての「劣貨」であつて習近平自らの指導で香港の状況…

演劇界「追悼・中村吉右衛門」

…いてゐたが若い頃には吉右衛門、辰之助、海老蔵、勘九郎、八十助と出番が合つた同士でお互いの楽屋でゲームや雑談が懐かしい、と(この「ゲーム」が賭け事ぢゃないと誰が言ひ切れようか)。それが松嶋屋(今月は歌舞伎座で一世一代の碇知盛)を除いて(れだけ高齢化の時代に)みんな泉下とは。この追悼号でやはり葵太夫さんの一文が格別。涙なしには読めない。 〈須磨浦〉は本当に播磨屋の締めくゝりの独り舞台となり映像が残されアタシにとつてはNHKで畏友村上湛君の解説で放映され録画を大事にとつておけたこと…

節分

… 中村勘三郎の挑戦〜」アナザーストーリーズ - NHK 初代は吉右衛門、六代目は菊五郎、九代目と十一代目は團十郎、十五代目は羽左衛門だが歌舞伎の歴史に残した画期的な功績からすれば十八代目といへば勘三郎といはれるかしら。それにしても歌舞伎座で納涼歌舞伎始めたのが1992年だと思ふと、それから20年はあまりに短すぎた。18代目襲名が2005年でわずか7年での逝去。だからアタシのなかではいつまで経つてものりちゃんは勘九郎であつて勘三郎と聞くとお父っあん(17代目)が浮かんでしまふ。

聖夜

陰暦十一月廿四日。気温摂氏0.6/10.7度。快晴。本夕が基督者にとつては聖夜。紐育時報も本日号がChristmas Issueで聖誕祭翌日まで週末は新聞発行なし。お昼にQuizをやつてみたらSudokuとKenKenは出来たがJumbleは時間なしで中断。 茨城県民以外にはどーでもよいやうなことだが東関東自動車道のうち未開通の潮来〜鉾田間の開通は早くとも2025年度でまだだいぶ先。31kmだが霞ヶ浦と北浦に挟まれた水郷の地盤の悪いところで工事難航。この高速道路ができると水府…

陰暦十一月初五

…つたと。 訃報「中村吉右衛門さん逝く 梨園屈指の立役 舞台復帰かなわず」スポニチ 久が原T君から、このスポニチの記事を教へられ、これは知つてゐても並みの記者ではさう易々と書けないところ。その記事に続き木村隆といふ同紙OBの追悼もあり。 中村吉右衛門(追悼)木村隆「粋さ、しゃれっけ、凄みで父超えた吉右衛門さん」スポニチ この方あつてのスポニチの記事なのかと察した次第。そこでこの方の歌舞伎本を読んでみた次第。 歌舞伎座で揚幕番だつた内山正太郎さん(当時68)。俳優一人ひとりの性格…

戸板康二『歌舞伎 ちょっといい話』

…9月まで出てゐない。吉右衛門としても大正11年以来。 昭和21年の〈助六〉は喜寿を超へた幸四郎Ⅶで六代目がくわんぺら門兵衛と揚巻を二役替はり。翌月の東京劇場で海老蔵(團十郎Ⅺ)が助六初演で、六代目が門兵衛、播磨屋が朝顔仙平。この助六で海老蔵ブームとなり昭和26年の歌舞伎座再開で光源氏となる。 曾我廼家五郎の忠臣蔵では判官切腹のあとの門外で血気盛んな諸士の行動を由良助が制止する場面、当時の交差点で交通巡査が手動の信号機の「トマレ」といふのをポンと出して見栄をした。この「高速」忠…

二世中村吉右衛門

…しまつた。 二世中村吉右衛門の舞台をたくさん拝見してきて最後の実の舞台は昨年九月に歌舞伎座で〈引窓〉となつた。昨夏ご本人(松貫四の名)で書下ろしで能舞台(観世能楽堂)で舞つた映像作品〈須磨浦〉はネット配信だつたが、これが今年3月にNHKの〈にっぽんの芸能〉で放映され畏友・村上湛君の解説。これも本当に素晴らしい番組となつた。播磨屋が昨年春からの疫禍で、この〈須磨浦〉を披露したことの意義。 にっぽんの芸能「中村吉右衛門 渾身のひとり舞台“須磨浦”」NHK先月20日に映画で〈熊谷陣…

中村哲郎先生の著述について

…とがあつたさう。その吉右衛門Ⅱも倒れたまゝ復帰も難しい。利倉幸一をして若い頃に「将来の歌舞伎俳優中、演技者としての資質が最も優れてゐる」と言はしめた播磨屋。日ごろ神保町の古書肆で劇書探す学究肌で哲郎さんは「ナミノは二人」で、かう書いてゐる。 彼は、一口に評すと、役者と言うよりも、文学者としての陰影を帯びている。内心を被う殻が堅く、自閉して己れを深く問う時間があり、ために外部からの接触が難しくなる場合も無いとはいえない。綻ぶ素顔は至近距離にしか見せないから、誰にも親しみ易いとい…

三津五郎『歌舞伎の愉しみ方』

…代目だとか十五代目、吉右衛門Ⅰや松助Ⅳ、初代鴈次郎、歌右衛門Ⅴ&Ⅵ、梅幸や中車Ⅶなんて名前が浮かぶわけですが三津五郎Ⅹがこんな見事な芸談を残してゐたとは。これは長谷部さんが2007年に歌舞伎座でNINAGAWA十二夜のとき幹事室で見せてもらつてゐたら三津五郎もふらりとそこに現れいろいろ解説を聞きながらの観劇となり長谷部さんは三津五郎の芸談をまとめやうと発案だつたのだといふ。 南北を本当に再生させるには、今の歌舞伎の作り方では、稽古期間が短すぎるように思います。「それじゃ、いつ…

新嘗祭

…だつただけに染五郎、吉右衛門、辰之助や菊五郎が倅世代に揃つたため勘九郎や八十助にはなか/\役がつかず若いときに苦労もしてゐる。その二人が平成2年の歌舞伎座の納涼歌舞伎(八月)で共演して夏に客を呼び〈団子売〉がどれだけ話題になつたか。これは昭和27年に七代目三津五郎(八十助の曽祖父)と勘三郎も踊つてゐたもの。その後、平成の歌舞伎でこの二人の活躍がどれほどのものだつたか。まさか平成24年、27年に二人が他界するとは。その間には團十郎XIIの死もあつたのだから歌舞伎座が新しくなるな…