富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

吉右衛門 の検索結果:

癸卯年正月九日

…座(秀山祭)二世中村吉右衛門一周忌追善 - 富柏村日剩 この放送見た母も贔屓の松嶋屋の由良之助に比べ平右衛門の成田屋(白猿襲名の前月であつた)の芝居に首を傾げたと今日言つてゐた。義太夫狂言で松嶋屋に比べたら白猿はその域にはとても達してゐないのかもしれない。 本日癸卯年正月九日。気温摂氏▲5.9/8.3度。快晴。 今日通りかゝりの千波湖畔で駐車場にこんなハッピーなトラックが泊まつてゐた。移動式銭湯〈天真〉ださう。インスタはこちら。 新潮社の広報誌〈波〉二月号届く。筒井康隆先生の…

完本 中村吉右衛門

…小玉祥子『完本 中村吉右衛門』(朝日新聞出版)読む。確かこの著者で「二代目聞き語り」がご本人が記者をする毎日新聞社から出てゐたと思ふが、それを膨らませて朝日新聞から「完本」とは。播磨やの得意とした演目に対する芸談が面白い。播磨やの、その姿が脳裏に浮かぶ。それがもう拝見できないと思ふとつらい気持ちばかり。もう本当に二度と出てくることのない伝統歌舞伎の役者。夫人やお弟子筋のコメントもいくつも出てくるが何よりも竹本の葵太夫のいくつものコメントが実にじんと心に沁みる。葵太夫さんにとつ…

陰暦十月廿八日

摂氏9.5/18.6度。朝は雨が残つたが(5.5mm)昼から晴れる。 朝の涙雨が晴れて……青果作〈大石最後の一日〉の「日本晴れの心地がいたします」の播磨屋の姿が浮かぶ、と久が原T君。本当にこんな素晴らしい役者を失ひ早一年。最後に〈須磨浦〉の映像を残されたことが偉業となつた。 「地元用」にもつてゐる茨城県信用組合*1(けんしん)の口座。通帳記帳しようとしたら、またNGで通帳の磁気がおかしくなつてゐるのだらう。窓口へ持ち込み気合で磁気を入れてもらふが頻繁なことで通帳を再発行しても…

Shinzō est un traître national

…(典侍の局、惟盛)が吉右衛門Ⅱが継承した「伝統歌舞伎」の未来の星と実に納得。そんな芝居であるから是非見てみたいところだが〈義経千本桜〉の通しで菊之助三役といへども日に通しで三役は月に一度もなく今月のうち23日の公演のうち2つの番組があるのが8日で残りは番組1つのみ。先代の猿之助が七月の夏の歌舞伎座で通しで三役を勤めあげたことがどれほどのものだつたか、と湛君と物語る。今月の三宅坂のチラシに「菊之助が挑む三役完演*2」とあるが本来その三役完演とは先代猿之助のそれであらう。 「晋三…

歌舞伎座(秀山祭)二世中村吉右衛門一周忌追善

…で秀山祭といへば初代吉右衛門の功績讃へるが目的で「当代」が始めたのが2006年で、それが定着してこれからもと思つてゐたものが昨年は体調不良で秀山祭として開催能はず今年は当代だつた二世吉右衛門の一周忌追善になつてしまふとは。涙。第三部(明日が千穐楽)。今月の歌舞伎座は古呂奈の禍ひもなく仁左衛門丈の由良之助で忠臣蔵の七段目。おかるは雀右衛門。まもなく白猿襲名の海老蔵が寺岡平右衛門。七段目は2007年2月に歌舞伎座で忠臣蔵の通しあり播磨屋の由良之助、大和屋と松嶋屋で見て以来。「先代…

BEYOND 黄家駒の還暦

…く池波先生。歌舞伎で吉右衛門の〈俊寛〉と富十郎の〈船弁慶〉は歌舞伎座で三部制の導入で昭和60年9月の第三部(第二部では大成駒の桐一葉がかかつてゐる)。 我ながら本当に地方の生活はネタがないと思ふがデパートの物産展のことを3日も書いてゐるなんて。今日は夕方その混雑する会場で西成区玉出の会津屋のたこ焼きと大徳寺さいき家のお弁当を買ふてきて夕食にいたゞく。たこ焼きはソースとかマヨネーズべちょべちょで明石焼はお出汁につけて上品にいたゞくが会津屋のはソースはつけない。前菜に。ついたこ焼…

東北の地震(拾遺)

…場「近江源氏先陣館」吉右衛門の遺志継承の秀演:朝日新聞 畏友・村上湛君の国立劇場〈盛綱陣屋〉の劇評(本日の朝日新聞夕刊)読む。いつもながら劇評が一つのディスクールの作品。評者自らがなぜこの劇評を書かなければいけないのか、といふ根拠が要ること。評される役者にとつても、この芝居で何を表したいのか(極端な場合この舞台で演じられゝば死んでも良いといふほどの覚悟)あつてこそ、それが演じる者と見る者の間で見事な共鳴となる。湛君がそれぞれの役者のそれを実に見事に一つずつ述する。役者も自分の…

菊之助の盛綱陣屋

…古のときに丑之助君に吉右衛門Ⅱの面影が見えたといふ。村上湛君も(彼のこの劇評はまだ出てゐないが)丑之助君好演は無論のこと美吉屋の微妙役が傑作で大変なものと聞いてゐたので楽しみな今日の舞台。盛綱役で菊之助の心情がよく表され丑之助君は本当に型の決まり方から足の指先までの演技力にこれぞ歌舞伎役者と感心させられるばかり。完ぺきに小四郎になりきつてゐる。畏怖すら感じる子役ぶり。播磨屋が娘婿とお孫のこの好演を見たらどれだけ目を細めたことか。菊之助も倅も播磨屋の期待に応へやうとしての結果。…

陰暦二月初七

…。子役で六代目や初代吉右衛門、寿海Ⅲと「共演」してゐる。本当に面白いネタが尽きない語りだが白眉は「成駒屋の手料理」で戦時中に相模原の郊外に疎開してゐる大成駒のところを訪ねたら大旦那自ら台所に立つて料理を拵へてくれたのだといふ。成駒屋の舞台でのお役の話も面白い。小山三さん逝去(2015年5月)の報に久が原T君が「下手に近づくとケガをするアブナイ女形」と形容したのはまことに妙。 西村賢太『苦役列車』(新潮社)2011年春の芥川賞受賞作。著者本人の私小説で「中卒でこんな生活をしてゐ…

陰暦正月十七日

…て第三世代も幸四郎、吉右衛門、菊五郎、辰之助、仁左衛門に成田屋、澤瀉屋と役者がずらりと揃ひ若手の勘九郎や八十助は本当に役が貰へず、それで納涼歌舞伎やコクーンを始めるしかなかつた。今とはまるで状況を異にするではないか。さらに成田屋は娘、息子と演舞場で〈プペル〉なんてやつてゐる場合ぢゃないと思ふのだが。 香港の状況が大変なことになつてゐる。民主化運動のあつた政治危機どころではない。中央政府の「動態清零」で感染拡大する香港は中共にとつての「劣貨」であつて習近平自らの指導で香港の状況…

演劇界「追悼・中村吉右衛門」

…いてゐたが若い頃には吉右衛門、辰之助、海老蔵、勘九郎、八十助と出番が合つた同士でお互いの楽屋でゲームや雑談が懐かしい、と(この「ゲーム」が賭け事ぢゃないと誰が言ひ切れようか)。それが松嶋屋(今月は歌舞伎座で一世一代の碇知盛)を除いて(れだけ高齢化の時代に)みんな泉下とは。この追悼号でやはり葵太夫さんの一文が格別。涙なしには読めない。 〈須磨浦〉は本当に播磨屋の締めくゝりの独り舞台となり映像が残されアタシにとつてはNHKで畏友村上湛君の解説で放映され録画を大事にとつておけたこと…

節分

… 中村勘三郎の挑戦〜」アナザーストーリーズ - NHK 初代は吉右衛門、六代目は菊五郎、九代目と十一代目は團十郎、十五代目は羽左衛門だが歌舞伎の歴史に残した画期的な功績からすれば十八代目といへば勘三郎といはれるかしら。それにしても歌舞伎座で納涼歌舞伎始めたのが1992年だと思ふと、それから20年はあまりに短すぎた。18代目襲名が2005年でわずか7年での逝去。だからアタシのなかではいつまで経つてものりちゃんは勘九郎であつて勘三郎と聞くとお父っあん(17代目)が浮かんでしまふ。

聖夜

陰暦十一月廿四日。気温摂氏0.6/10.7度。快晴。本夕が基督者にとつては聖夜。紐育時報も本日号がChristmas Issueで聖誕祭翌日まで週末は新聞発行なし。お昼にQuizをやつてみたらSudokuとKenKenは出来たがJumbleは時間なしで中断。 茨城県民以外にはどーでもよいやうなことだが東関東自動車道のうち未開通の潮来〜鉾田間の開通は早くとも2025年度でまだだいぶ先。31kmだが霞ヶ浦と北浦に挟まれた水郷の地盤の悪いところで工事難航。この高速道路ができると水府…

陰暦十一月初五

…つたと。 訃報「中村吉右衛門さん逝く 梨園屈指の立役 舞台復帰かなわず」スポニチ 久が原T君から、このスポニチの記事を教へられ、これは知つてゐても並みの記者ではさう易々と書けないところ。その記事に続き木村隆といふ同紙OBの追悼もあり。 中村吉右衛門(追悼)木村隆「粋さ、しゃれっけ、凄みで父超えた吉右衛門さん」スポニチ この方あつてのスポニチの記事なのかと察した次第。そこでこの方の歌舞伎本を読んでみた次第。 歌舞伎座で揚幕番だつた内山正太郎さん(当時68)。俳優一人ひとりの性格…

戸板康二『歌舞伎 ちょっといい話』

…9月まで出てゐない。吉右衛門としても大正11年以来。 昭和21年の〈助六〉は喜寿を超へた幸四郎Ⅶで六代目がくわんぺら門兵衛と揚巻を二役替はり。翌月の東京劇場で海老蔵(團十郎Ⅺ)が助六初演で、六代目が門兵衛、播磨屋が朝顔仙平。この助六で海老蔵ブームとなり昭和26年の歌舞伎座再開で光源氏となる。 曾我廼家五郎の忠臣蔵では判官切腹のあとの門外で血気盛んな諸士の行動を由良助が制止する場面、当時の交差点で交通巡査が手動の信号機の「トマレ」といふのをポンと出して見栄をした。この「高速」忠…

二世中村吉右衛門

…しまつた。 二世中村吉右衛門の舞台をたくさん拝見してきて最後の実の舞台は昨年九月に歌舞伎座で〈引窓〉となつた。昨夏ご本人(松貫四の名)で書下ろしで能舞台(観世能楽堂)で舞つた映像作品〈須磨浦〉はネット配信だつたが、これが今年3月にNHKの〈にっぽんの芸能〉で放映され畏友・村上湛君の解説。これも本当に素晴らしい番組となつた。播磨屋が昨年春からの疫禍で、この〈須磨浦〉を披露したことの意義。 にっぽんの芸能「中村吉右衛門 渾身のひとり舞台“須磨浦”」NHK先月20日に映画で〈熊谷陣…

中村哲郎先生の著述について

…とがあつたさう。その吉右衛門Ⅱも倒れたまゝ復帰も難しい。利倉幸一をして若い頃に「将来の歌舞伎俳優中、演技者としての資質が最も優れてゐる」と言はしめた播磨屋。日ごろ神保町の古書肆で劇書探す学究肌で哲郎さんは「ナミノは二人」で、かう書いてゐる。 彼は、一口に評すと、役者と言うよりも、文学者としての陰影を帯びている。内心を被う殻が堅く、自閉して己れを深く問う時間があり、ために外部からの接触が難しくなる場合も無いとはいえない。綻ぶ素顔は至近距離にしか見せないから、誰にも親しみ易いとい…

三津五郎『歌舞伎の愉しみ方』

…代目だとか十五代目、吉右衛門Ⅰや松助Ⅳ、初代鴈次郎、歌右衛門Ⅴ&Ⅵ、梅幸や中車Ⅶなんて名前が浮かぶわけですが三津五郎Ⅹがこんな見事な芸談を残してゐたとは。これは長谷部さんが2007年に歌舞伎座でNINAGAWA十二夜のとき幹事室で見せてもらつてゐたら三津五郎もふらりとそこに現れいろいろ解説を聞きながらの観劇となり長谷部さんは三津五郎の芸談をまとめやうと発案だつたのだといふ。 南北を本当に再生させるには、今の歌舞伎の作り方では、稽古期間が短すぎるように思います。「それじゃ、いつ…

新嘗祭

…だつただけに染五郎、吉右衛門、辰之助や菊五郎が倅世代に揃つたため勘九郎や八十助にはなか/\役がつかず若いときに苦労もしてゐる。その二人が平成2年の歌舞伎座の納涼歌舞伎(八月)で共演して夏に客を呼び〈団子売〉がどれだけ話題になつたか。これは昭和27年に七代目三津五郎(八十助の曽祖父)と勘三郎も踊つてゐたもの。その後、平成の歌舞伎でこの二人の活躍がどれほどのものだつたか。まさか平成24年、27年に二人が他界するとは。その間には團十郎XIIの死もあつたのだから歌舞伎座が新しくなるな…

吉右衛門〈熊谷陣屋〉

…監督のものがあり初代吉右衛門の見事な直実を今でも見ることができるのだが映像フィルムの画像の粗さもむしろ良さもある。この映像を改めて見たが初代吉右衛門も大したものだが何といつても大成駒(当時は芝翫Ⅵ)の相模の物凄さ。当時はまだ三十二、三でもうすでにあの大女形にしかない型ができてしまつてゐるのだから。初代吉右衛門を思ふと、さっと見た目では初代の雰囲気など当代仁左衛門丈の方がそれ風で播磨屋の芝居の濃度は舞台でこその濃度であつて高解析のデジタル映像向きではない。それでも音声の良さは今…

スガが中止求めても東京五輪は開催されるとIOC

…する自治体多いなか水府は茨城ロボッツのB1昇格で祝賀パレードだとはあばからべっそん! *1:本間龍「祝賀資本主義のグロテスクな象徴」『世界』6月号 *2:「五輪スポンサーに雁首揃える大新聞6社に『開催賛成か』直撃」NEWSポストセブン5月22日号 *3:長井暁「NHKと政治と世論誘導」『世界』6月号 *4:ルビが多いのでデジタル版のテキストで読むのは難儀、やはり縦書きで紙面レイアウトが良い *5:当代勘九郎の祖父・勘三郎XVIIは歌六Ⅲの三男。兄に初代吉右衛門と時蔵Ⅲがゐる。

日暮里の師匠

…を見てゐても六代目と吉右衛門を見てゐないことが何れだけ口惜しいか。落語でその残念を感じるのは、文楽や三木助がすでに他界してゐて何よりも残念なのは「志ん生を生で聞いてゐない」こと。黒門町の師匠や三木助は録音でも楽しめるのだが志ん生だけは寄席での空気から志ん生なので、それを体感したかつた。小沢昭一とか山藤章二、森繁、若手ではジャズサックスの中村誠一さんとかが志ん生を語るのを聞いて本当に浦山しいかぎり。 さういふ「志ん生ロス」のアタシにとつては(前置きがこゝまで長くなつたが)このN…

直実と直侍

「香港商人が中国各地をビジネスで容易に往来できるのに最も困難は帰港」と大公報が香港市役所を叱る。香港政府が内地との往来を制限してゐることへの不満。「国内」なのだから中央政府の防疫基準に従へば良いわけである。地方は中央政府に隷属すべきは民主集中制として当然。台湾密航を祖国海警に捕まり内地から香港に戻され収監されてゐる反政府運動家につき若きリーダー格(李宇軒)が刑務所で公安警察の厳しい尋問受けてゐると蘋果日報。 常磐線では筑波山系の低い山並みに山桜が美しい。それに対して市街地では…

播磨屋〈須磨浦〉

…承してきたのが二代目吉右衛門といふ役者。疫禍でさま/\なものを失つてゐるなか、この〈須磨浦〉は疫禍がなければ現れなかつた播磨屋渾身の芝居であり、疫禍どれだけ疲弊してゐてもかうした見事な芝居を見ることでアタシたちは少しでも「ありがたみ」を感じ入ることになる。湛君といふ古典劇の評論者がかぎられた時間で余すことなく播磨屋のこの芝居の凄さを語つてくれたことは播磨屋の芝居もさることながら本当に聞いてゐて清々しくすら思ふほど。吉右衛門丈ご本人もきつと、この番組をご覧になるのだらうが湛君か…

池波正太郎『又五郎の春秋』

…父の初代又五郎は初代吉右衛門と従兄弟。父が若く亡くなり吉右衛門が又五郎を実子のやうに可愛がり育て、又五郎は実子を歌舞伎の役者にしなかつたかはりに三宅坂の養成所で多くの役者を育て、池波先生はその稽古場で又五郎の指導に熱い視線を送つた。その稽古場に又五郎が山田先生を連れてきてベルちゃんも真剣に若い役者の卵の稽古を眺めてゐたといふ。東宝歌舞伎のことなど貴重な記録。又五郎は幸四郎Ⅷが倅二人(染五郎と吉右衛門)を連れて東宝に移籍したから自分もそれに従つた形になつたが実際には自分の意思で…

仁左衛門〈女殺油地獄〉

…ない。歌六Ⅲから時蔵Ⅲには繋がるのだが、その時蔵Ⅲの兄が吉右衛門で弟が中村屋だといふのがピンとこない。先々代の幸四郎Ⅷと哲明勘三郎XVIIIが従兄弟といふことになるのだから。この歌六Ⅲからの家系は播磨屋で、だから吉右衛門が播磨屋なわけだが戦後、時蔵Ⅲの息子の錦之介が萬屋で銀幕のスターとなり当時、この家が挙つて萬屋となつたわけだが播磨屋は平成になつて又五郎丈逝去で吉右衛門(当代)一人となつてゐたところ当代の歌六Ⅴと歌昇の兄弟が萬屋から播磨屋に復帰で、これもまたやゝこしいところ。

農暦十二月十八日

…箇所である。おそらく吉右衛門丈もそういうお気持ちで、ここを演じておいでではないかと勝手に想像した。「演じる」と書いたが、吉右衛門丈の境地となると役を「生きる」とした方が適切であろう。義太夫節でも「語らずして語る」という禅問答の様な教えが有るが、眼前現れている〽世にも因果な」がそれなのだと思う。吉右衛門丈の細胞が由良之助の細胞になっている…。晩年の延若丈は一度も平舞台へ降りずに勤めたと聞くが、吉右衛門丈は体調万全ではない中を極力型を変えずいろいろな工夫をなさって勤め上げられた。…

農暦十月初五

…で「孤高の芸境にある吉右衛門が近代歌舞伎の極北を示す」「花も味もある仁左衛門の六助が豊麗な名演」と褒める。せめてこれを読んで見たつもりに。 ▼文藝春秋12月号で石原慎太郎の「三島由紀夫の『滑稽な肉体信仰』」を読む。もう少し深く三島の思想性に立ち入つたものかとも期待したが三島の運動神経がいかに鈍く見た目だけのものだつたかとか、それもあつて三島がどれだけおかしくなつていつたか、三島につき康成が何う言つてゐたか佐藤A作が鎌倉の別荘で自分を相手に何を語つたか、といふ話。同じ号で平野啓…

播磨屋〈引窓〉

…で歌六からすると初代吉右衛門は祖父・時蔵Ⅲの兄ゆゑ。歌六の息子が米吉Ⅴとなるが米吉の名は初代が(当代歌六の)曽祖父・歌六Ⅲで二代目が時蔵Ⅲ、それを継いで三代目米吉が(吉右衛門、時蔵Ⅲの弟)勘三郎ⅩⅦとなり、この当代歌六がそれを襲つたもの。その米吉君の歌六Ⅴ襲名披露を山川静夫があれは良かつたと褒めるのは昭和56年11月の歌舞伎座の〈一条大蔵卿〉。この大役のワキは勘解由役を勘三郎が務めるとなつたことで当時の大幹部が揃ひ鬼次郎に仁左衛門ⅩⅢ、常盤御前に大成駒、そして鳴瀬*1に我童Ⅹ…

農暦七月十七日

…禍で四部入替制。初代吉右衛門が昭和29年に亡くなり命日が九月五日で九月は播磨屋の俳名で秀山祭。秀山祭の始まりは意外と最近で平成16年、吉右衛門の生誕120周年に当たる年から。 昔に比べると歌舞伎で役者が揃はないとはいふけど播磨屋は別格で大和屋と澤瀉屋は異星人としておいても梅玉はこのまゝ枯れゝば一寸橘屋のやうだし錦之助も萬屋らしく文楽人形かと思えば松緑で菊之助は美しく高麗屋もお父っつぁんより面白い役者になるかもしれない。東蔵、又五郎に歌六はあぶらがのつて渋い演技を見せる。それに…