甲辰年十月初十。7.4/18.5度。曇。家人と乗つた朝の常磐線の特急は上野駅付近で線路にキチガヒ立入りで8分ほどの遅れが続いて尾久駅でも同様なキチガヒの線路立ち入りで上野東京ラインのダイアグラム乱れ上野に17分遅れで到着。米寿になつた叔母がお大師様門前の高齢者居住施設に入居してゐて叔母にお会ひするのに西新井に行く予定だつたので北千住駅に特急が停車したときは「こゝで降ろして」気分。上野から日比谷線でまた北千住経由して西新井から大師線で西新井大師へ。東武伊勢崎線は乗つてゐるが西新井からの大師線(1.0km)は初めての乗車。
コロナ対策の緩和で叔母の居室まで入室させてくれた。叔母の居室は總持寺の牡丹園に面してゐて見下ろす桜が春にはきれいなんださう。叔母に会ふのはS従兄の殯儀のとき以来で十年ぶり。叔母の話では(定員66人で)80代なんて若手は自分を含めて4人だけで90代、100<の方も矍鑠としてゐるから、と。お昼は門前のかどや(食べログ)で。まさに「昭和レトロなんてもんぢゃない」。ラーメンでいいや、と思つたら先客が二人とも「カレーラーメン」食べてゐたので、それに倣ふ。これが食べ出すとなか/\乙な味。正午になる前には満席となつた。
西新井大師(總持寺)は弘法大師関東巡錫の途中でこの地を通つた際に本尊である観音菩薩の霊託を聞き本尊の十一面観音を彫り天長3年(826)建立したことに始まるとされる。川崎大師、香取の観福寺大師堂と並び関東厄除け三大師として弘法大師祀る、真言宗でもいずれも豊山派に属する寺院で陋家も菩提寺は豊山派なのでご縁あり。やつと参拝することができた。七五三で境内は賑やか。この西新井大師参拝のために東武線が西新井からお寺まで1kmの支線を敷いたのだから。昭和6年に開業の大師線は当初は路線が100m長く1.1kmだつたが環七道路拡張で今の位置に。当時は門前のまさに先に駅があつたわけで、さぞや門前の茶屋なども賑はつたことだらう。大師線で西新井に戻り東武線の上りに乗る。東武伊勢崎線といふのも北千住から日比谷線乗り入れ、さうでなくても曳舟で浅草行きと半蔵門線/田園都市線乗り入れとやゝこしい。偶然来た列車は田園都市線の溝の口行き。それを曳舟で降りて向島を漫歩……とて幸田文『流れる』のやうな、映像では昭和30年の成瀬監督の同作品に映るやうな風情など全くないのだけれど。
東京スカイツリーの足元まで来る。かつて東武線の貨物列車のヤードがあつたところ。スカイツリーに搭上のやうな気はさら/\なく「ソラマチ」といふ消費場もテレビ各局のキャラクターショップ大終結!といはれてもテレビをほとんど見ないからキャラとてわからず。家人とまるで小津監督『東京物語』の老夫婦のやうに屋外のバルコニーからスカイツリーの塔を見上げるばかり。
約束の時間近くになつたので本所吾妻橋にある納骨堂へ。S従兄の没後十年祭(神道なのだ)で彼の従弟従妹7人のうち5人があつまりKさん……未亡人、後家、孀、寡婦……もう少しマシな表現ないのかしら。英語で“widow”の語源*1と家人と7人でS従兄の墓前に参る。納骨堂のバルコニーからスカイツリー一望だつたが目の前にマンションが建つてしまつてゐた。
本所から吾妻橋渡つて浅草へ。浅草とスカイツリーを結ぶこの橋はとても賑やか。
つい先日も東武特急で会津に向かつた東武浅草駅。いつ見ても、この角度からの浅草駅の建物(浅草松屋)は美しい。神谷バー2階のレストラン神谷でS従兄を偲び酒盛りとなる。父方の家系なのか祖父や大伯父、伯父それに先考もだが従弟連中も本当によく飲む。2時間半ほどでどれだけのビール、日本酒にデンキブランを飲んだのかしら。般若湯を飲みに来られたスキンヘッドの一団に遭遇。あの世界も位、といふか職位か、で下のものほど先に来て高位者が来ると席を立つたまま、で般若湯も一服せぬまゝ最上位者が来るのを待つ。やはり極道である、こちらは仏法で、だが。神谷バーで困るのはビールが、やはり地元で吾妻橋を渡つた先のアサヒビールしかないこと。酒が〈富貴〉なのは神谷傳兵衛の合同酒造傘下だから、だが従弟が北海道の純米大雪乃蔵の生貯蔵酒を最初に注文したので、最後までそれで。一品料理も「今更それをあれこれ」といふレベルではない。
水府に戻ると通り雨があつたやう(深更までに4.5mmの降雨)。帰宅途中に数日後に開店の超級市場(かわねや水戸大町店)を通りかゝる。ほぼ準備も終盤のやう。市街中心部で待望の量販店。陋宅からも歩いて数分なのがありがたい。地方都市の市街地すぎて付近に居住人口は少なく、また自家用車でどれだけ客が来るかも気になるのだけれど。帰宅すると同じ特急に乗つてゐた(車両は別だつたが)従弟SとT1から高萩に着いた、水郡線に乗り換えた従弟T2も常陸大宮に着いたとLINEあり。意外と遠くないものだ。それなのに上野駅まで見送つてくれた従弟Kは千葉の都賀(千葉市若葉区)住まひなのだが「まだ東京駅」だと。かなり酔つたのか上野から東京駅に往くのに山手線で内回りに乗つてしまつたさう。
*1:古代英語の「widewe」に由来しています。この言葉はさらに古いゲルマン語の「widuwa」に遡り、そこからインド・ヨーロッパ語族の「wid-」(離れる、分かれる)に関連しています。この語源は、元々は「夫と離れた女性」という意味を持っていたことがわかります。歴史的には、女性が夫を失った後に社会的に孤立する様子が反映されています。言葉の発展を通じて、「widow」は死別した女性を指す特定の意味を持つようになりました。対義語としては「widower」があり、これは亡くなった妻を持っていた男性を指します。このように、widowという言葉は、古代からの文化や社会の背景を反映する重要な語源を持っています。(「天才英単語」より引用)