甲辰年十月初一。摂氏9.4/20.9度。曇、夜遅く雨(2.9mm)。
絵本『ぐりとぐら』の作者、中川李枝子が先月亡くなつた。『ぐりとぐら』は幼稚園生のころに本当に馴染んでゐたが『ぼくらのなまえは ぐりとぐら』なんて「ぐりとぐら」に関する料理、手芸や歌などをカバーしたファン本があって、それを貸してもらつた。もう60年も前の絵本なのだけど「ぐりとぐら」のセンスが本当に今でも新しいほどであばらかべっそん。
松竹の歌舞伎会機関誌(ほうわう)の巻頭インタビューで紀尾井町の若旦那(左近)が音羽屋(菊五郎)のことを「お兄さん」と呼んでゐた。。梨園で基本、自分の父親と同世代あたりが「おじさん」で、それより下が「お兄さん」だと思うと、左近からしたら自分の曽祖父!の松緑が六代目の芸養子のようなもので、その六代目の養子(梅幸)の倅が菊五郎だと思うと、左近の祖父(初代辰之助)が菊五郎と義理の従兄弟で左近の父(当代松緑)と菊之助が又従兄弟。そこで左近(18)が自分の曽祖父の義理の兄(82)を「お兄さん」と呼ぶのはかなり違和感あるのだけれど。ふと思ひ出したが花柳界で芸者だといくつになつても「お姐さん」なのに、それが廓や赤線だと三十を過ぎたら「おばさん」か下手したら遣り手の「おばあさん」といふ、この格差、と久ヶ原T君と話したことがあつた。