甲辰年九月廿四日。気温摂氏13.7/21.8度。曇。丸善(京成百貨店)に荷風散人『断腸亭日乗』第二巻への交換に出向いたら百貨店前で午後4時過ぎから衆院選で福島伸享候補が最終の街頭演説に現れてゐた。直前までその向かひの市民会館前では田所候補(自民)も演説あつたやう。演説終はつた福島先生にご挨拶。さすがに選挙戦でバイクで走りまくり(今日も朝から水戸市内を8時間は走つてゐただらう)メタボ系の先生もシェイプアップ。選挙は数年に一度のダイエットか。
選びたい候補者がいない選挙は何度もあります。それでも「少しでも嫌じゃない方」に鼻をつまんで入れる。投票に行かず黙認したことにされるわけにはいかないですし、政治家たちから「こいつらは諦めているから怒らない」と見くびられたらたまらないからです。(津村記久子)
ふと志賀直哉『小僧の神様』を読む。小僧の神様 他十篇(岩波文庫 緑46-2)
中学のときに『暗夜行路』を読んで「なぜこんな物語を読まなければいけないのか」と思つてしまつたのがよくない。白樺派とは肌が合はない。『城の先にて』は更に「こんなことを読まされても毒にも薬にもならない」。だが『小僧』は小説の書き方としてやはり上手だと誰かのエッセイで読んで「さうだつたか」と再読した次第。
仙吉は早く自分も番頭になつて、そんな通らしい口をきゝながら勝手にさういふ家の暖簾をくゞる身份になりたいものだと思つた。
とか
私もよくは聞かなかつたが、いずれ今川橋の松屋ださうよ。
なんて表現の「勝手に」「いずれ」の用法が今と少し違ふのも素直に面白い。それにしても何気ないことに大東京で偶然の重なるたわいもないプロット。でも短編ながらどこか神田から京橋にかけての当時の都市小説としては情景が浮かんでくる。冒頭「外濠に乗つていけば十五分だ」なんてセリフ一つで、あ、この秤商は神田でも神田橋あたりで、だから外濠に沿ふ数寄屋橋行きの市電を鍛冶橋で降りて京橋ならすぐだ、と解るところで神田の省電の高架線の下を潜れば今川橋の松屋、となる。この『小僧』のなかで何かとランドマークに出てくる、その今川橋の松屋は今でこそ松屋といへば銀座だが横浜の鶴屋、古屋徳兵衛が東京進出で買収したのが神田今川橋の松屋といふ呉服屋。それで松屋のロゴは松のなかに鶴がゐる次第。
明治23年に旧来の呉服屋を洋装まで扱ふハイカラな小売店として今川橋松屋を開店。これが人口に膾炙して商売繁盛。明治40年に店舗拡張でのこの威容とは。
震災(大正12年)で今川橋本店も焼失。三越本店から日本橋を渡れば白木屋、高島屋で銀座が賑やかになる震災後の時代。松屋も大正14年に銀座店開業で本店も銀座となり今川橋の土地は昭和27年に売却されてゐる。