富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

片山杜秀『クラシックの核心 バッハからグールドまで』

癸卯年閏二月十六日。気温摂氏14.6/21.9度。曇。強風(最瞬14.6m)。ぎっくり腰四日目。全く快方に向かはず今朝ロキソニン系の鎮痛剤飲み親友の整形外科のH医師にSOSで診察は予約で一杯のなか夕方の最後の枠に押し込ませてもらふ。朝も昼も自宅で立ち食ひでずっとベッドで上向きに寝てゐる。読書。鎮痛剤効いて腰痛かなり治まるが足の先から腕など軽い痺れ。H君に診てもらひ腰に鎮痛剤の駐車して鎮痛剤の服用薬、湿布と塗り薬処方される。大きな赤い月が東空に上る。

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片山杜秀クラシックの核心 バッハからグールドまで』(河出書房新社)を読む。

クラシックの核心: バッハからグールドまで

片山先生といふとNHK FMの〈クラシックの迷宮〉聴いてゐればわかるがクラシックといつても近現代の音楽がメインで伊福部昭とか「そっち」だから、この本で取り上げてゐるのがバッハ、モーツァルトショパン……といふのに「えっ?」と思ふところだが東日本大震災の前後に河出書房新社の『文藝』が別冊で大音楽家特集号を出してゐたさうで、そこで編集者から片山先生に評の依頼があり片山先生も近現代音楽なら自分の他に評者もゐないがバッハ、モーツァルトショパンなど古典は著名な先生方もゐるので遠慮したが編集者の熱意で「談話を原稿起こし」なら自由に語らひ話が逸れても違和感ないかといふことで受けた結果がこれだといふ。「カノンやフーガを練り上げてきた16世紀前後からのヨーロッパ音楽史の一つの終着点を18世紀前半に示そうとした」バッハは、その後の主旋律と副旋律、リズムセクションといつた音楽に対して右手も左手も平等に「音の民主主義」なのがバッハで、だから戦後の民主と平等を目指す世界でバッハが見直されたのだ、と。モーツァルトは数少ない短調の曲の調べの面白さ。ショパンロマン主義=遠距離思慕だがポーランドから巴里に出て故郷を思ふ気持ちに加へ歌から一番遠いピアノで歌に恋焦がれる、そのダブルの遠距離思慕。19世紀の音楽、芸術どころか文明の総合としてのワーグナーマーラーは音の成分の多さからして現代性に溢れると片山先生は語る、語る。この5人の大作曲家に続きフルトヴェングラーカラヤンクライバーといふ3人の指揮者。片山先生とカラヤンなんてピンとこないし実際、片山先生が中学生のときに普門館でのカラヤン&維納フィルのコンサートのチケットを当日運よく同級生の親から誘はれたのに「ぼくはカラヤンなんて聴きません」と拒んでしまつたほど。それでもカール=オルフ(1895~1982)の現代曲を演奏、収録したりしてゐるのだがグラムフォンはカラヤンに偉大なる作曲家の名声を得た曲しかレコード化しない。そして最後に唯一の演奏家としてピアノのグレン=グールドを取り上げてゐる。普通はグールドといふと誰もがバッハから入るものなのだが片山先生となると導入はヒンデミットで「ヒンデミットの曲のレコードを入手したらグールドだつた」といふのだから。