富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

銕仙會三月定期公演

癸卯年二月十九日。観音誕。久が原T君との話で観音様といへば近いところで浅草寺の縁起で三月十八日に本尊示現会|浅草寺あり。観音様の縁日といふのは月の十八日。日本で旧暦→新暦がドラスティックに為されたてはゐるが旧暦の二月十九日が観音誕でイヴ?にあたる十八日が縁日といふも偶然かもしれないが日が合ふところで浅草寺隅田川で観音様が現れた日(示現)を陽暦で祝ふと旧暦の観音誕にほゞタイミングが合ふのも何とも。イエス=キリストの生誕の日が冬至のあとといふのと同じやうなものかしら。本日気温摂氏8.9/22.9度。快晴。昼すぎ水戸驛の常磐線水戸線の上りホーム(常磐線特急は別ホーム)の驛そばでかけ(320円)を啜る。特急で上野。飯田橋。警視庁遺失物センター。1月18日に特急列車内のトイレで撮影してゐたら(富柏村日乗20230118)薬など入つた小型ポーチをトイレに置き忘れ。夜になつて気づきJR東日本の忘れ物チャットに問合せ。AI対応。具体的に列車、トイレの位置までデータ入力。翌日(19日)昼前には該当すると思はれる物品ありとメール來信。更に具体的な内容物の情報提供で、それと確定されたのは良いが受取りは「品川駅で本日20時まで」と教示あり「所定の日時までに受取りできない場合は指定の日時過ぎたあとにあらためて登録を」と冷たい。このために品川まで急げない。そのデッドラインのあとあらためて登録したら翌日(20日)に該当する物品は見当たらないと回答あり。ブツは東京駅の遺失物センターに。それが23日20時が期限で、その後ブツは飯田橋の警視庁遺失物センターに移管だといふ。そちらに遺失届をネット上で提出。該当のブツがあれば連絡とメール来て1週間待つたら郵便で返事が来た。メールではないのは、これで本人の住所確認なのだらう。3ヵ月保管されるさう。現金や貴金属、スマホなどならわかるが買ひ替へれば1千円程度のものまでかうして1つ1つきちんと扱はれるのにはアタマが下がる。それの受け取り。東京で遺失物取り扱ひとなれば鮫島の免許センターくらゐの施設と混雑想像したが受付番号札は待ち0人で、受付はすぐ。8名くらゐの職員が対応してゐるのかしら自分が受付した相手の遺失物を収蔵エリアに取りに行き戻つてきて還付まで対応。携帯電話であるとか免許証、保険証といつたものだと受取りが比較的早いやうだがアタシの小物のポーチはそれよか少し手間取る。職員は手際もよく「お気をつけてお帰りください」と対応も礼儀正し。ふと思つたのだがこゝ(遺失物センター)に何か遺失物取りに来て何か忘れて帰るやうな粗忽者もゐるでせうね。センター内でミャンマーカレン族か母親と小学校低学年の娘が現れ母は全く日本語を解さず日本語がネイティブの娘が整理番号を受け取り呼ばれれば母を促し窓口へ。遺失物ありの申請を予めネット上とかでしてゐなかつたやうで手続きも手間取るが幼い娘が職員の質す内容を一つ/\母に伝へ職員に日本語で説明。住所氏名などの書類上への記載もあつたが母は恐らく母語でも読み書きは不自由なのかもしれない。さすがに娘も漢字で住所など書けず職員が事情を慮つて代筆の対応。現代のヤングケアラーの姿を目の当たりにした感ありだが娘が母親の手助けをできてゐることに終始笑顔なのが何とも愛らしい。総武線で新宿。一昨日、角筈で散髪の際にAirPodsのケースの充電がなくなりかけてゐたので散髪の間に充電お願ひして置き忘れ。理髪のT君が電話くれたがすでに代々木で埼京線の踏切を渡るところで戻れず今日それを受け取りに参つた次第。何だか忘れ物ばかりの老耄か。新南口に所用ありTORAYA Cafeで乾菓子購ひ理髪店に差入れ。折角来た序でに西口に寄れば小田急ハルクが本店閉店で地下食料品はかなりの賑はひ。上方寿司の〈有職〉の出店あるのを識る。ベルクで五穀米と十種野菜のカレー食べる時間逸し今日午後の飯田橋を過ぎ水道橋へ。まだ夕方の5時半くらゐだつたが総武線はかなりの混雑で退勤ラッシュには早いと思つたら総武線電車からかなりの乗客が水道橋で下車。気がつけば後楽園球場で今晩はWBC野球で日本軍は韓国軍との一戦であつた。アタシは宝生能楽堂お能なのだが終演後に彼らと鉢合はせたら……と思つたらぞっとする。水道橋驛の混雑、都営三田線はどれくらゐ混むのか、常磐線だつて野球ファンがそれ相応乗ることになるのだらう。水道橋駅東口改札外の駅そば屋で冷うどんとミニカレー丼のセットを急ぎ胃に流し込む。宝生能楽堂

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観世流で銕仙會の三月定期公演。能〈巴〉も初めてだが安藤貴康のシテ(里女→巴御前)も初見。狂言は万作師〈鬼瓦〉。まことに残念なことだが〈巴〉済んで休憩と勘違ひしたのか狂言のあとの休憩が10分のためからなのか〈巴〉のあと続けて狂言のところで万作師が橋掛りを登場してきてゐるといふのに席を立つ観客少なからず。万作師の狂言〈鬼瓦〉は喜劇なのか悲劇なのか、否、喜劇の向かふにある悲劇、悲劇のこちらにある喜劇で何とも無情の世界の表現が見事。狂言で万作の会などテケツ入手も困難なところかうして能の間の狂言で万作師を重ね/\拝見できることの至福。休憩のあと銕之丞さんの能〈阿漕〉。こちらも初見。笛が藤田次郎さんで初見だつたが笛で人間国宝となつた大五郎師の次男(昭和27年生まれ)。役者でいへば下條正巳のやう。舞台での佇まひからして何とも味があり笛の音色も面白く聞かせていたゞく。「阿漕」はこの地名「阿漕ヶ浦」の略。

逢ふことを阿漕の島に引く鯛のたびかさならば人も知りなむ 古今和歌六帖③

①たびかさなること。源平盛衰記⑧「重ねて聞し召す事の有ければこそ―とは仰せけめ」
②転じて、際限なくむさぼること。また、あつかましいさま。ひどく扱うさま。狂言、比丘貞「―やの―やの今のさへ漸と舞うた、もう許してくれさしめ」。「―な仕打ち」
③能。伊勢国阿漕ヶ浦の漁夫が密漁して海に沈められ、地獄で苦しむさまを描く。【広辞苑第七版】
能楽堂を出て白山通りから恐る/\後楽園娯楽場側眺めても群衆不在。須磨帆で確かめたら野球試合はまだ6回に入つたところ。ありがたや/\国電で東京驛へ急ぐ。

f:id:fookpaktsuen:20230311123523j:image本日の復路は東京驛(八重洲口)からの高速バスとしてゐた。この時間となると高速バスで下りなど高速道路で事故でもないかぎり渋滞もなく100分ほどで水府の町内で下車して陋宅まで歩いてすぐなので便利。前回利用の際に缶ビールだか持ち込んだら車内アナウンスで古呂奈感染予防の一環なのだつたか「車内でのアルコール類飲むことはご遠慮ください」とあつたので東京駅構内でカップ酒を購入してステンショ構内で人目憚りつゝ酒を水筒に入れ替へるまで準備に抜かりなし。大型バスほゞ空席なしの混雑。週末の帰省客も仕事帰りもゐるが浦安の鼠楽園やイベント帰りの若者多し。お能を見てゝも一緒か、確かかに。間違ひなく乗客でアタシが最高齢。出発してみれば口罩解禁を前に車内規則では「アルコール類ご遠慮ください」なし。それでも車内で酒を飲むやうな野蛮人はアタシの他におらず皆さんスマホの画面を喰ひいるやうに眺めてゐて、それはそれで不気味。