富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

金澤に遊ぶ

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癸卯年正月晦日。雨水。気温摂氏7.8/12.6度(金澤)。雨(24.5mm)。朝7時前に家人と陋宅を出て歩いて水戸駅へ。上野駅常磐線特急から北陸新幹線に乗り換へ。上野駅のトイレで誰も入らうとしない個室あると思つたら茶髪のカツラからセクシーな下着、白いブラウスに青いミニスカートなど女装一式。さらに軽く嘔吐物。場所柄、年増が女装で一晩飲み明かして、そのまゝは帰れずきつと汚れたジャージだな、に着替へたのは良いが楽しいお酒でもなく不愉快なことでもあつたのか痛飲で朝になり上野駅まで辿り着いたのは良いが……といつたシチュエーションであらう。不幸な女装年増の不憫都へば不憫だがトイレはやはりきれいに使つてもらはないといけない。化粧はちゃんと落として朝の電車に乗つたのかしら。

北陸新幹線かゞやきが碓氷峠トンネルから軽井沢に出ても雪は駅前のスキー場にかろうじて残る程度。長野を過ぎ千曲川を渡り飯山の手前で雪となる。それも山間だけで日本海側に出ると雨となる。富山到着の手前で車窓からAPITAの大きな建物が見えて「やはり富山に来ると商圏が変はる」と思ふ。アピタ中部地方がメインで関東でも東京と茨城を除く5県にあるのだが地味。それが日本海側に出ると中核都市に大型店舗あり。富山はアピタと近くにアピアがあつて可笑しい。


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1年ぶりの金澤。金澤駅に到着が昼で駅ビルの「ちくわ」で昼からおでんでお酒。店名の通り自家製のちくわが本当に美味い。バイ貝もおでんの出汁で煮てまことに美味い。金澤には仕事でよく来られる村上湛君に教へてゐたゞいた。カウンター8席だけの店で正午前に入つた客が席を立つの待ちで20分ほど並んだが、もう少し遅ければせいぜい1組待ち程度。駅ビルのおでんでも黒ゆりや山さんほどの混雑ではない。

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路線バスで南町。三井ガーデンホテルに下榻。客室に入れるのは午後3時のため出街と思つたら強い風の雨。ロビーで少し読書してゐると雨も小止みに。高岡町の香舗伽羅。こちらの「老松」といふ線香が好みでミニスティック60本入りを購む。雨のなか歩いて石川近代文学館。重文の石川四高記念文化交流館内。金澤で近代文学問いへば鏡花、秋聲と犀星なわけだが西村賢太能登出身の藤澤淸造に私淑して淸造の郷里七尾に淸造の墓を建て自らの墓までその隣に建て賢太が昨年の急逝でその中に納骨もされ賢太が収集した膨大な淸造の資料があり賢太の原稿なども含めた遺品が石川近代文学館に寄贈され、その整理が同館で進むなか資料の一部が公開されてゐる。

西村賢太遺品寄贈 石川近代文学館へ手書き原稿、ノートなど:北陸中日新聞

今回はそれを見ることができる。

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賢太が原稿でタイトルの次の名前で(小説家)とあるのが実にこの人らしい。作家ではなく小説家といふことか。原稿を書くときに自分の気持ちの引き締めなのか。同館の2階の展示室をゆっくりと眺めてゐたら廊下の先の方で何か会があつたやうで終はつて参加者がこちらに何人もやつてくる。多くが賢太の展示資料を熱心に眺めてゐるので「はっ」と何か賢太関係の講演会でもあつたのかしらと思つたら賢太の『蝙蝠か燕か』刊行記念で本日まさに今、文藝春秋で賢太を担当した編集者による「日乗の北町貫多」と題したトーク、賢太の短編『黄ばんだ手蹟』の朗読が行われてゐたとは。西村賢太の作品はけして好きではないのだけれど彼の日記は日記としてアタシにとつては田中康夫(東京ペログリ日記)以来の面白さであつたのは事実。あの生活と淸造への異常なほどの私淑が何うしても記憶に強烈に残る。今回もこの展示がなければこの近代文学館を訪れることもなかつたのだらうし。

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小松出身の北村喜八(1898〜1960)に関する展示、築地小劇場での脚本やポスター、資料など面白く眺める。

随分と老成してゐる喜八だが62歳で亡くなつてゐるのだ。芝居はあまり見ないアタシだが戦前の築地小劇場と二代目左團次小山内薫との自由劇場であるとか何んなものだつたのかしら。想像しただけでゾク/\。舞台といへば喜八の旧制小松中学時代(大正6)の英語劇「ベニスの商人」も写真で見たが面白さう。喜八君の役は「ポーシャ」ださう。男装で裁判の名場面。シャイロック役の男子もなか/\の役になりきりだがヂューク役(ヂューク?と首を傾げたがDuke of Venice)でDoge(ドージェ)か)の青年もなか/\の美貌は後に人工雪の開発に成功し随筆もステキな中谷宇吉郎(1900〜1962)。大正7年の英語劇「ジュリアスシーザー」の写真を見ても役者としては喜八より中谷博士の方がずつと華があるやうだ。喜八の四高時代(大正10)の写真では中野重治君のバンカラ度が立派。

近くの金沢21世紀美術館へ。日曜だし雨で外歩きもできないからか余計に混んでゐるのかいつもかうなのか。何だかみんな〈スイミングプール〉のある美術館に来てみた、といふ感じ。アタシらも実は、さう。


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企画展はYves Klein(1928〜1962)の何たらかんたら。YKの作品を見て思つたことは「アートはやつてしまつたが勝ち」といふこと。当時ならこれがアートになつた。今これをやつたらたゞのアホ扱ひされるだらう。多くの参観者で、そのどれだけが「あんなアート」理解できるのかしら。だがそれがアートである。


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この美術館は疫前は年間入場者数が200万人超で日本一と話題に。あくまで美術館の建物への入場者で展覧会の有料客数ではないところがミソだがYKのこの特別展だつて入場料は14千円で1千人の入場なら(実際にはもつと入場してゐるはず)日に140万円なのだから「アートはすごい」。一年前はこの美術館に来たのが月曜休館日で企画展は見られなかつたものの館内のフリーエリアは通行可でぐるりと通りぬけたが「それで十分だつたかも」と家人と同意。

ホテルに戻り楼上の大浴場で前田様の城のお山を眺め一浴。ホテル近くの金澤酒趣の開店が17時。それに合馳せて出かけたが予約しておいて正解。すぐにカウンターで6組かで満席。半数以上が外人旅行者。何かメディアに紹介された?と思つたのだがアタシらは去年こちらが気に入つて二晩訪れて地元のお酒を愉しんだがコロナ前もきつと金澤を訪れたガイジンさんには人気の日本酒バルだつたのであらう。

今晩は菊姫だけと決めてきた。特選純米、純米ひやおろし、あらしばり、山廃純米と飲んで最後は普通酒を温燗で二本いたゞく。グラスは70mlで燗は150mlなので8勺の燗徳利なら4本程度。夜遅く雪がちらつき始めた。