癸卯年正月廿三日。気温摂氏4.0/8.3度。昨日より水戸の梅まつり。今日は雨空(10.5mm)となつたが久が原T君が梅を愛でに来水。午後、品川からの特急で着かれてお出迎へ。自動車で弘道館公園へ。雨で梅は湿り薫りはむしろ立つとT君の期待通り公園に入ると梅の香も見事。陋宅に一寸だけお寄りいたゞいて今度は家人の運転で偕楽園へ。途中、市街二か所で悪戯けたやうに一方通行を逆走する水戸ナンバーの自動車に遭遇。市街地の一方通行は複雑だが地元で知らぬはずもないと思ふのだが。運転手の高齢化で痴呆なのかしら。
さすがT君は梅にも詳しく二分咲き程度だがまさに寒空の探梅も楽しく梅木に遠くから近づくと月影、江南所無、紅冬至……と名前まで言ひ当て恐れ入るばかり。
小学生のとき以来?で好文亭にも登楼。T君がこの建物の間取りや造形のあれこれ説明してくれて勉強になる。三階に上がるだけで、これだけ眺望が開ける。
余寒といふにはまだ真冬のやうな寒さ。探梅のあとは偕楽園東門出たところにあるレストハウス(門の前)で燗酒ででも身体温めやうと思つてゐたのだが月曜定休。定休はあつても良いがせめて梅まつりの期間中だけでも休みなしにできないものかしら。常盤神社も境内で奥は通路塞がれ入れず。周囲は住宅地で大工町まで出てホテルのラウンジなら、と思つて入つたらブレンドコーヒーか紅茶、コーラなど瓶飲料しか供せぬといはれる。これで観光業など盛り上がるはずもなし。近くに営業してゐたのはマクドナルド一軒のみ。午後5時に晩の営業開始でぬりや(泉町大通り)へ。家人も来る。美味しい鰻は東京にいくらでもあるがぬりやの白焼だけはT君に食べていたゞきたかつたもの。酒は常陸太田の松盛。
まだ晩七時前だつたがすつかり夜も更けた感じでT君を水戸駅行きのバスまで見送り帰宅。
本日、特急で水戸到着前のT君からこの訃報をLINEで知らされた。何といつてもNHKの〈新八犬伝〉でT君もアタシも怨霊玉梓の大ファンであつた。ジュサブローは昭和8年に満州で生まれ「育つた料亭で芸者の着物や端切れに親しみ、物心ついたときには割り箸で人形を作っていた」さう(ヰキペディア)。昭和19年に広島に引き上げ原爆投下3か月前に母の郷里の三次に転居で命拾ひ。中学卒業後は広島の演劇サークルで制作側に携はつてゐたが昭和29年に母を亡くし「広島に来演した前進座の河原崎国太郎を頼り役者を志して上京」といふのが人生の大きな分岐点。国太郎の紹介で舞台小道具制作の会社に就職し26歳で独立して創作人形作り一途の人生。ジュサブロー師葬儀の喪主はお弟子で二代目襲名されてゐた方。