富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

世田谷散歩

癸卯年正月廿二日。気温摂氏1.5/15.6度。晴。新宿角筈で散髪ののち新宿駅南口で家人と待ち合はせ小田急線で祖師ヶ谷大蔵。こちらの駅で降りるのは初めて。天ぷらの〈栗天〉にて昼食。お昼は定食のコースだけだが真鯛や牡蠣なども揚げていたゞいた。こちらご主人は南青山の〈みや川〉で修行された方。昼酒。


f:id:fookpaktsuen:20230213070110j:image

f:id:fookpaktsuen:20230213070114j:image

少し風も強いが春のやうな日差しで(都心の気温摂氏16.9度)砧の住宅地を抜け世田谷区の運動公園から砧公園へ歩く。砧公園には陽気に誘はれまるで「ポストコロナ」で子どもたちが賑やか。子どもたちはこんな社会でも元気に健やかに暮らしてもらひたいもの。世田谷美術館

萩原朔美榎本了壱といへばアタシにとつては雑誌『ビックリハウス』で、この展覧でも美術館2階の会場に上がる壁面に懐かしいBHの表紙が並んでゐた。何度か投稿してエンピツ賞とかも佳作にまでなつたこともあつた。

f:id:fookpaktsuen:20230213070504j:image

回顧展なのだが萩原朔美には歴史に過去が存在する。祖父の時代からの記憶。そして自宅アトリエから見える風景や買ひ物のレシートまで整理され製本され記憶と化してゆく。恐ろしいほどの収集整理癖(造本計画)。朔美といへばアタシにとつては『血と薔薇』に掲載された土方巽との写真(深瀬昌久、昭和43年)〈情死〉なのだつた。それに対して榎本了壱には記憶も記録もない。澁澤龍彦原作『高丘親王航海記』の膨大な書写と榎本氏の挿絵作品に圧巻される。

砧公園から環八を渡り用賀。田園都市線で渋谷経由で表参道で銀座線乗り換へで銀座。

彦十蒔絵 若宮隆志展-変態する漆器- @セイコーハウス銀座ホール

若宮師に日本でお会ひするのはこれが初めて(だらう、多分)。何うすればかうして「進化」してゆくのかしら。鏡花、雪岱、源氏絵巻……飽くことなき創造で次々と幻惑的な、ユーモラスな、それがすべてが漆器の造形なのだから。漆塗りの工芸が、このまゝ銘もなき器の量産体制ではある程度の所得を保障した上で職人も育たないければ技術も継承されず、漆の生産も存続できず……さうした悪条件のなかで若宮さんは敢へて漆塗りに工芸的、芸術的な付加価値をつけることで創作品に高値でも取引されてゆくなかで、その資金が漆塗りの産業や職人に還元されて将来への投資になると仰つてゐた。そのための聖職者のやうに若宮師の存在があつて作品を見てゐると感受性に乏しいアタシでも本当に心に突き刺さるやうなものあり。

銀座6の箸の夏野に寄り利休箸を見せてもらふ。乏しい目にかなつたものが現品一膳のみで他の店の在庫等確認してもらふことに。お昼に天ぷらをきちんといたゞいたので、その後の世田谷散歩でもお腹があまり空かず日曜のザギンといふこともあり銀座ライオンへ。正面入り口に、まるで鉄道駅のスタンプのやうなステキなスタンプがあること今日まで気づかず。


f:id:fookpaktsuen:20230213070149j:image

f:id:fookpaktsuen:20230213070146j:image

美味しい啤酒とカツサンドがあれば何も要らない。ご常連らしき老人が同じく啤酒とカツサンドと頼んだら供されたのは半分の2切れで黙つてゐても最初からお持ち帰りでお包みになつて出てきたのはさすが。


f:id:fookpaktsuen:20230213070430j:image

f:id:fookpaktsuen:20230213070434j:image

家人が腕時計が一つ電池切れがしたといつて有楽フードセンター(現:銀座インズ)にある小さな時計やに寄る。腕時計の電池交換なんてどこでもできるのに昔からこゝなんださう。壁にかけてある感謝状の都知事東龍太郎(在任は昭和34〜42年)。


f:id:fookpaktsuen:20230213070228j:image

f:id:fookpaktsuen:20230213070225j:image

毎月楽しみな『銀座百点』を夏野でいたゞかうかと思つたら店先に置いてないから帳場で「今月号ございまして」と尋ねたらちゃんと残してあつた。やはりご常連で最新号を求められることもあつてある程度の冊数は確保してゐるのだらう。読んでゐたら銀座むら田の女将さんの記事あり。和装では老舗のくのやも扱ひ品をタオルとかに変へてゐるがむら田も銀座からは撤退される由。こちらの女将さんが戦時中から水府に疎開され戦後そのまゝ水戸での生活続け女学校云々と記事にあり。ふと思へばこの女将さんは板谷波山のお孫さんで茨城にはご縁のある方だつた(こちら)。くのやもむら田も買ひ物でご縁もないが幼いころに祖母が銀座でルーティンウォークの老舗だつたのでまことに当時が懐かしい。