富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

水戸城二の丸角櫓

癸卯年一月初十。気温摂氏▲2.3/7.4度。快晴。

昨日放映のものを録画で見る。高橋幸宏さんの追悼番組?と一瞬思つたがそれとは違ふ。はっぴいえんどはアタシは当時からこれが「ロック」なのかわからなかつた。細野晴臣が最初に意識した音楽がジャック=タチの映画〈ぼくの伯父さん〉だつたとは。有楽町に見に連れていつてもらひ親にレコードを強請つたのださう。対談は小林信彦。お元気なのはよろしいがもう会話も内容もかなりつらいものあり。何だか老耄なる姿の露出が痛い。大瀧詠一の死に涙……細野さんも大瀧詠一が生き延びればまだできることがあつたと応へるが。80年代に最高の作品を発表して大好評だつたのだから、それだけで良いのでは。

先週金曜日の武田砂鉄の番組をラヂコで聞く。傘寿超えのおときさんまことにお元気で頭脳明晰。いきなり大杉栄没後100年でアタシは伊藤野枝になりたかつた、と。日本は戦争の終わり方が悪かつた。最初から戦争を始めるときに、この戦争を何のやうな形で終結とするのかの設計もできてゐなかつた、と。御意。そこで民草も戦後が始まるのだから反省に基づいてゐない。だから改革もできない。鈴木邦男の死。「左じゃない」から右派とされたがじつにニュートラルな御仁だつたと加藤登紀子。自分の世代は野坂昭如だとか永六輔といつた戦中の世代がゐてくれたから、その後を歩んでいけば良かったが北山修戦争を知らない子どもたち〉を聞いたときに(そんなお気軽にと)あばらかべっそんだうたが「さうだ、この平和を知らない子どもたちの時代が続いていければ良い、それがどれだけ幸せか」と涙したといふ。それでもウクライナの戦争まで続く今日。大杉栄が殺された時代は「暗黒の時代」とされるが、それから百年、今がどれだけ自由なのか。

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珈琲のハンドドリップのサーバーはメリタのアロマフィルターの1x1と1x2、それに深入りの珈琲豆用にハリオV60を使つてゐるがメリタの方の1x2が2020年の春に日本に帰国して以来だから3年弱でプラスチックの劣化あり交換。フィルターの台の部分の脚が割れてしまつて塑料だから接着剤で修理できなくもないのだが熱湯で珈琲淹れるものなので、それも厭ふところ。

メリタ アロマフィルタードリッパー 1×2

近所の珈琲専門店で数日待つて入荷あつて購入。それがAmazonの方が1割くらゐ廉価なのが何とも。プライムで送料無料で注文翌日に届くのだから。

水戸城に昨年?復元された二の丸の角櫓。茨城大学教育学部附属小学校の敷地西南角。こちらに往くには水戸城二の丸跡地の附属小と県立水戸三高の間に設けられた通路を抜けるのだが通路に敷かれた砕石がじつに粗く鋭角でゴツ/\したもので歩きつらい。サンダル履きだつたり老人、車椅子や乳母車は歩けない。画像(上)では砕石が量も減りだいぶ路傍に散らされたやうだが。
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これをやはり整備し直すのだといふ。不便だつた上に、どれだけ費用の無駄になつたのか。かうしたときに公務員だと具体的にこの工事の責任者の責任も問はれることもない。それにしてもこの記事(月刊みと2月号)「より散策が快適」ってあまりに提灯記事。元々この散策は快適でなかつたのに。