富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

壬寅年十二月廿六

気温▲3.5/7.6度。快晴。茨城の県北に住まふ父方の伯父(父の妹の夫君)が数日前に亡くなり本日午後から告別式。コロナでひどいときは病院で亡くなり遺族がお別れをする猶予もなく遺骨が渡されるやうな状況もあつたが今回の不幸では葬儀場(セレモニーホールと云ふ)で通夜もあり倅ら(私から見て従兄弟)が寄り添ひ夜を明かし本日、出棺、火葬と「コロナ前」のやうなお弔ひとなる。それでも葬儀のあとの精進落しのお料理はお持ち帰りで献杯のみ。それも郊外の式場なので皆さん自動車だから清酒は奥久慈が供されたが清酒を口にしたのは数名で家人に復路の運転を委ねたアタシが一番飲んでゐたかも。告別式から自宅近くの墓地での納骨まで添はせていたゞく。この叔母は当時ではまだ話題になるやうな職場結婚で彼とのデートもいち/\アタシが所謂「ダシに使はれて」ドライブで海水浴だとか連れてゆかれたが未だ結婚前の叔父のマイカーは当時うちの父親がまだスバル360からスバル1000に買ひ換へるかかへないかのときに日産のスカイラインだつたか(当時なら箱スカか)スポーツカーのやうでカーステレオから、それも8トラではなくカセットテープでピンキーとキラーズの〈恋の季節〉が流れてゐた。最先端である。新婚旅行で「飛行機で」北海道も親戚の中では最初のことで大きな話題で自家用車が「3ナンバー」になつたのも、この叔父が初めてのことだつた。哀悼。