富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

安藤礼二『縄文論』作品社

壬寅年十二月十三日。気温摂氏▲3.8/10.2度。快晴。

香港の酒場で働いてゐたK君が友人と立ち上げ10年になるネット販売の酒店が11月末に敷地内の建物からの類焼で倉庫や事務所などほゞ全損のやうな状況に。酒屋の火事に火事見舞ひで酒を送るわけにもいかず火事の片づけなど始まつた知らせに寒いなか作業続ける方々に茨城の干し芋など少し多めに送つたが12月に入りクラウドファンディング開始。そこに寄付をしたら焼け残つた、煤を被つたものなどきれいに洗浄して立派な日本酒が届き、全国からの支援にこんなお礼をされてゐては復旧作業も進まないだらうと心配。それでも当初の目標額100万円が1500万円近い支援が集まるとは。会社とか事業立ち上げで利益でれば配当のある「投資」に人々は慎重でも、かうした本来「リターン」のない慈善にはかうして支援が集まるのだから。

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縄文論

安藤礼二縄文論』作品社を読む。これ読んだのはNHKテレビで〈TAROの塔〉再放送を見て岡本太郎の縄文のことから何か読んでみたいと思つたら、この『縄文論』が出たばかりで評判だと知つたため。殊に終章にある「まれびと論」が面白かった。

太陽の塔」は縄文土器であり曼荼羅であった。理念であり作品であった。時間と空間を消滅させ再生させる「生命の樹」にして「四次元」にひらかれた塔であった。

1930年代の巴里でジョルジュ=バタイユとも交際のあつた太郎。「芸術は呪術である」。

ブルトンシュルレアリストアンドレブルトン、1896-1966)がヨーロッパの時間的かつ空間的な「外」に出ることによってヨーロッパ自体を相対化し「呪術」という謂わば芸術の普遍的な原理に到達できたように、太郎もまた列島日本の時間的かつ空間的な「外」に向かうことによってやはり「呪術」に到達した。しかも太郎の場合、列島日本の固有性を究めることがそのまま人類の表現の普遍性の発見へとつながっていったのだ。ブルトンが「他者」のなかに普遍を見出したこととは対照的に、太郎は「自己」のなかに普遍を見出した。それこそヨーロッパという「他者」の地に生まれた芸術運動シュルレアリスムの最も創造的かつ最も見事な「自己」への適応の例となっている。そのことは同時に太郎が積極的に吸収した文化人類学民族学についてもあてはまる。

かうした論の展開までは驚かなかつたが、この「まれびと論」が大きな日本文化論であることも興味深い。折口信夫。「シャマニズム敵な憑依、「神憑り」の上に仏教的な世界観が重なり合い、それらが一つに解合うこと、つまりは一つに「習合」することによって、列島の宗教と文化の基盤が形づけられた」。折口の直観と古代学となる国文学のテクストの読み直し。記紀古事記の読み直し。中世から。この時代が列島の芸能の「猿楽」の完成期。世阿弥