富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

壬寅年十二月初十

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壬寅年十二月初十。気温摂氏▲2.2/13.2度。快晴。陽暦元旦。昨年は所謂「初日の出」前の未明から起きてEテレ舞楽を眺めたりしてゐたが今年は寝過ごして起きたら七時半。録画してあつた舞楽を見る。FMでの新春謡曲狂言では観世流の番囃子「高砂」をオンタイムで聴く。御宗家に御曹司、ワキは森常好で囃子方が一噌隆之、飯田清一、亀井広忠林雄一郎地謡が岡久広ら。昨晩の23550655の年末年始特番も寝てしまつて録画で見たが2023年新春のたなくじは「すっごい大吉!」と出た。
天気もよく風もなく散歩して水戸八幡宮参拝。あまり信心深い方ではないが両親の結婚で神前式がこちらで子どもの頃も参拝した神社。いま寓居が江戸初期まではこの八幡宮のあつた場所でこれも何かのご縁か。八幡宮は真東を向いてをり参道は太郎坂の途中から上る石段なのだがこちらからの参拝者は皆無。自動車で来る方のほうが圧倒的に多い。古地図を見ると佐竹義宣が建立した元の八幡宮もやはり同じ配置で東を向き大坂の途中から上がる参道があつたやうで寓居はまさにそこに位置してゐる。去年は感染防止で二列での参拝で参拝客の列が神社の敷地を出るほどだつたが今年は昨年より参拝者多いだらうと覚悟してゐたが意外と列も短く10分ほどで参拝。境内では六列でこれなら参拝もあまり列にならないだらう。それにしても屋台も祭りにはにぎやかで良いのかもしれないがイカ焼きやもつ焼きなど油と煙の充満であれは何うにかならないものかしら。


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アンドラーシュ=シフ『静寂から音楽が生まれる』(春秋社)やつと読了。

静寂から音楽が生まれる

シフ先生とMartin Meyerとの対談とシフ先生の音楽から政治までのエッセイをまとめた“Musik kommt aus der Stille”の岡田安樹浩による譯。アンドラーシュはハンガリーに生まれた猶裔。ハンガリーといふと東欧の共産圏では比較的統制の緩い国の印象があるがシフ先生の語るハンガリーもじつに厳しい統制社会。

(メイヤー)1950年代前半、共産主義政権の初期について話しましょう。この時代はあなたが生まれた時期ですね。ハンガリーにも根っからの共産主義者や1945、46年の転換期の後も政治的にもまた社会的にも「ビックブラザー」の一員となったことに熱狂した人が少なからずいたのでしょうか。
(シフ)第二次世界大戦の間に抵抗運動をしていた元共産主義者はいました。その発端はベーラ=クンがハンガリーソヴィエト共和国を成立させた1919年まで遡ります。この国は同年のうちに、たった133日間で崩壊しました。ジョルジュ=ルカーチのような著名な知識人も、イデオロギーを唱道する役割を果たしました。しかし当時それはまだまだ少数派でした。1945年以降に生き残ったユダヤ人を見てください。彼らの多くが言っている「自分たちはすでに死への途にあったところをソヴィエト軍によってようやく解放されたのだ」というのは正当なことです。これは単なるプロパガンダではなく事実だったのです。今日、第二次世界大戦について何かが語られる際、ヒトラーに対する勝利に関してロシア人の果たした役割がしばしば過小評価されています。モトロフとリッベントロップの間の密約(独ソ不可侵条約)があったとはいえヒトラーに勝利したのはソ連でした。決定的な出来事がナチスからの解放だったのです。振り返ってみれば幸運だった人たちが西側に行きつき不運だった人たちは逃げ延びる術がなかったということがわかります──彼らは故郷への郷愁に縋るしかありませんでした。もう一つ、ホロコーストに手を染めたのはドイツ人だけではない、ということも言っておかなくてはいけません。ハンガリーの住民の一部もまた、この死のメカニズムを支持していたのです。こうして多くのユダヤ人が、その後、共産主義者になったのです──解放者に対する感謝の気持ちからです。しかし多くの場合、熱狂は長くは続きませんでした。80年代になってもなお少なからぬ人が共産主義に加担してはいましたが。

こんな言説を読むとピアニストといふより政治史の泰斗のやう。
この本のタイトルとなった「静寂から音楽が生まれる」について具体的な言及がシフ先生の「付言」にある。貝多芬の奏鳴曲を何曲か演奏してアンコールに何を弾くか?といふことについて。

トーマス=マンの小説『ファウスト博士』のなかでヴェンデル=クレッチュマー教授は「どうしてベートーヴェンは作品111(つまりピアノソナタ第32番第2楽章Op.111のこと:富柏村)のアリエッタの皇族楽章を作曲しなかったのかの説得力ある説明をしています。曰く「彼はこの楽章でピアノソナタというジャンルに別れを告げた」というのです。すべては終わったのです。さらに何か楽章を続けたりアンコール曲を付け加えたりすることは、ここには相応しくありませんし全く余計です。
あるのは静寂だけでよいのです。

12/30 編集工学者・松岡正剛 - ヤマザキマリラジオ - NHK

新約聖書は各聖人のブログと正剛先生。5年、10年で歴史を語れない時代。想像力の言はゞ「メンタル省エネ」の時代。考へない。読まない。頭を使はない。誰かがSNSで言つてくれてゐることに「いいね」。見功者となつてゐたことへの反省(正剛)。新自由主義的なものに世界をもっていかれてしまふ。複雑系。相対的。良し悪しにかゝはらない価値観。21世紀の仏教。メモリ。言語化。共有できなくとも共生できた言語空間。