富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

磯崎新の死

壬寅年十二月初九。気温摂氏▲2.6/10.9度。快晴。陽暦大晦。テレビはほとんど見ないのだが録画してある番組もあつて外付けの硬盘(HD)も容量の具合といふものがあるので整理するには録画を見て要らなければ消さないといけない(この硬盘には播磨屋〈須磨浦〉とか万作〈釣狐〉、大松嶋の菅丞相とかこれは永久保存)。録画を攫つてみたら今年1月の歌舞伎座初芝居だとかあつて消すものは消してNHK〈にっぽんの芸能〉で昨年5月の音羽屋の若旦那の鏡獅子(丑之助君と亀三郎君が子役)だとかいくつ番組を見る。

〈鬼が弾く〉左手のピアニスト 舘野泉 - NHK

これも舘野泉のあの左手から何故にこんな美しい音色が奏でられるのか魔法のやうな世界。

午後に超級銭湯に参ればこのコロナ禍で今までなかつた混雑。湯屋でいつものご常連方の不在はさすが皆さん通である。とてもゆつくりお湯に浸かつてもゐられない。帰宅して年越しそばを家人が茹でてくれたのは先日、恩師K先生のところに不意に年末ご挨拶にお邪魔していたゞいた出羽のお蕎麦(先生の娘さんが山形在住である)で実に美味しい蕎麦きりだつたが製造元(すがわら製麺)は鶴岡。本日未明の鶴岡での山崩れで民家土砂に埋没の惨事に言葉もない。地形を見るに水田の広がる一帯で何故に昔から民家がこんな崖沿ひに?と訝しく思へたが報道で知るに昭和の末の宅地開発とは。NHKN響〈第九〉眺める。今年の指揮は今が絶好調の井上道義。まぁ絵になる指揮者だからか指揮者映す時間の長いこと。N響の楽団員の若返りに驚く。12月23日はマエストロイノウエ76歳の生辰だつたさうで公演後のサプライズがさすが(https://t.co/AZdvhmqzwE)。NHK「紅白」はさして興味もないが石川さゆり松任谷由美桑田佳祐がChar、世良公則野口五郎佐野元春フューチャリングしたロックバンドの曲のあたりは聞く。録画出演多く当日の生出演少なく紅白で競ふ感もなく男女分けの「紅白」はもう意味をなしてもゐないだらう。紅白が終わればEテレで0655と2355がコラボの年末年始スペシャルもあるがそこまでテレビに齧りつく元気もなし。

磯崎新さん死去「ポストモダン建築先導」朝日新聞

磯崎新といふ建築家を意識したのは80年代で現代思想ポストモダンが流行るなか「それを建築で具象化した建築家として」だつた。当時はなるほどこれがポストモダンかと。

Obituary「磯崎建築、文化揺らした」磯崎新さん死去:朝日新聞(大西若人)

水戸にとつては水戸芸術館の設計が磯崎新先生。画期的な建築といふか空間設計である。広場を中心とした文化空間はじつに印象的なものとなつたが広場とタワーに象徴される外観を重視するあまり内部はその外観の見た目の制約を受けてしまひ音楽堂も劇場も本当に「居心地の悪い」隅に追いやられた施設になつてしまつた。勿論、巴里のオペラ座も維納の楽友会ホールも音楽や舞台を見るための施設で参観者の幕前や幕間周の施設内部の居心地など重視されてゐないとは思ふが水戸芸術館はあまりにも施設内部の間取りに愛着がもてない。

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磯崎先生の建築作品のなかでポストモダンの代表的構造物とされるのがつくばセンタービルだが、これも建築設計としては面白いが「自分がどこにゐるのかわからない」。自分の居場所がないのだ。個々人に居場所を与へないことがポストモダンだとしたら……。モダニズムでは例へば板倉準三〈新宿西口広場〉など、あの空間のどこにも居場所などないのだが同線や階段の踊り場、地下道の抜け道などどれ一つとつてもどこか愛着を感じないか。他人の空間などだけどどこか自分の域のやうに感じて、そのなかを魚が泳ぐやうに自由に往来できる、いろいろ良くも悪くも勝手で自由で管理しきれない空間性がある。新宿西口はフォークゲリラもあつたが今でも悪所感を含有してゐる。さういふ意味ではモダニズムポストモダンのいずれが自分にとつて心地よいかと問はれゝばアタシはモダニズムを愛する。

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それでも東京都庁については丹下健三のあの男根のやうな塔に対して磯崎新のこの低層(といつても地上23階になるのだが)この磯崎都庁が現実化してゐたら日本の方向性はかなり面白くなつてゐただらう。それこそどこかジブリの立体構造物のやうなところがあつた。

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話は水戸芸術館に戻るが水戸芸術館は今年、財団の森英恵理事長、地元財界の吉田光男副理事長、楽団の小口達夫名誉顧問とお三方を亡くして悲しい年となつてしまつて最後の最後で設計者の磯崎新まで逝つてしまふとは。そして来年、その芸術館に隣接した水戸市民会館が開館。芸術館にとつては本当に目障りな建築物。吉田光男さんは市民会館をそこに建設することに本当に反対されてゐたし磯崎先生にしても建築の哲学からして広場重視の芸術館の隣に箱物行政的な市民会館ができることなど磯崎先生の目の黒い内だつたらかなり怒り心頭だつたことだらう。だが伊東豊雄のそれ(市民会館)は少なくても市民、利用者に建築空間のなかに居場所を提供することでは水戸芸術館の方針に対するアンチテーゼとなるのであらう。

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