富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

ひたち能と狂言

壬寅年十一月廿四日。気温1.3/6.5度。曇時々小雨。午前中馴染みの超級銭湯でお湯につかりお昼もそこで済ませてしまはうといつもの昔風のラーメン。食券機で1コインでラーメンが押せない。いつの間にか500円が650円に1.3倍の値上がり。400円でミニラーメンがあつたので日立までクルマの運転もあるし小腹が満たされればよいとそれで済ます。常磐道で日立へ。日立は南北に平地が狭く国道6号線と海岸沿ひの国道245号線しか幹線道路がないので昔から渋滞がひどい。土曜の昼など(今でこそ土曜半ドンではないが)久慈川を越え日立に入る石名坂の渋滞が見込まれ高速道路の方が無難。

第23回になるのださう「ひたち能と狂言」。日立には観世流宝生流喜多流それぞれ謡曲仕舞の教室があり日立能楽会といふ団体もある。地元の後田洋子さんといふ観世流シテ方能楽師が中心となつて「市民のための能を知る会」といふ組織がこの「ひたち能と狂言」を主催。この後田さんは芸大の邦楽科で大学院まで修了され観世流で鵜沢雅(故人)と当代の久さんに師事。鵜沢家は日立は後田さんのご縁もあるのだが昭和26年から雅師が日立に謡、仕舞の指導に訪れてゐたさうで久師もこれを受け継ぎ毎月稽古に日立まで来られてゐたとは。昔から能が盛んだつた金澤とかならわかるが水戸でもなく日立製作所あつての工業都市の日立で何でお能のか?と思ふところ。勝手な想像だが日立製作所(日製)など多くの技術系の専門職や経営陣など日立に住まふやうになり当時のことであるから謡曲など大人の嗜みで持ち込まれたのではないかしら。今でも日立から水戸で文化から社会奉仕までいろいろな活動をされてゐる方などに日製や東海村原子力研究所関連の「移民」が住みつかれてのことが少なくない。

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板倉準三事務所設計の未来主義的モダンの日立シビックセンターの音楽ホールに能舞台の設へ。会場には少年ら何人もゐて何うやら後田さんが指導する日立市文化少年団の能楽部の皆さん。この能舞台が組まれたことで今日は午前中に地元の能楽愛好家の発表会もあつたさう。本当に熱心なもの。地元のこれだけの熱意あつて観世流では銕之丞師、久師で〈田村〉替装束と〈石橋〉師資十二段之式。いずれもワキは森常好さんで好事家にはたまらないところ。地謡観世流の幹部ずらりと並びご宗家(本日は観世能楽堂(文の会)で仕舞〈景清〉ださう)以外皆さん日立に来られたやう。囃子方も中堅どころできちんと固められて。狂言(成上り)は野村万蔵さん。地方でこれだけの番組があるのは本当に素晴らしいこと。アタシも能の間狂言はあまり聞かず寛いでしまふことも多いが今日の〈石橋〉のアイ(山之精)野村万之丞さんの語りは思はず聞き入つてしまつた。たゞ音楽ホールとして残響など音は良いのかもしれないがお能には音が響きすぎて一寸それはつらいところ。

今日このお能に東京から若い知己が来られてゐたが「遠いですねー」に特急なら東京から1時間半なのにと思つたら各停で来られたさう。土浦、水戸で乗換へ2時間50分ほどかゝるから。クルマでの帰りは丘陵を走る常磐道は入りづらいので下を通つたら日立市内出るまで渋滞で水戸まで1時間以上かゝる。東京に出かけてゐた家人を水戸駅でピックアップ。水戸駅も駐車場から随分と混雑でコロナ末期か年末か。平島(ひらしま)大丸東京店 | 食べログで馳名の穴子寿司は疾うに売り切れだつたさうだが美味しい鯖寿司と太巻きがお土産。

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