富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

陰暦十月廿九日

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小雪。気温8.5/20.4度。晴のち曇。昨日の早晩に出かけた超級銭湯は人工だが酸性の水に硫黄成分溶け込ませたぬる湯。これにつかつてゐた所為か晩はいつも以上によく寝て今朝は温泉に宿したときのやうに朝起きると布団が湿るほどの汗をかき爽快。

画像(右)は市内某施設で見かけた水戸芸術館で開催中の中﨑透の美術展のチラシ。

中﨑透 フィクション・トラベラー|現代美術ギャラリー|水戸芸術館

A4を縦1.5倍にした開くと長い変形チラシだが、それを面白く立体化してゐた。こんなディスプレイはチラシの制作者側は意図してゐなかつたことだらう。一寸気を衒つただけの変形チラシがこんなことにならうとは。面白い。

地元紙だと扱ひの大きな高安関

都々逸全国大会 | 常陸太田市公式HP

都々逸。その全国大会が茨城の常陸太田で「はぁ」といふ感じ。全く知らなかつたが都々逸の祖は幕末に一斉を風靡した江戸の芸人・都々逸坊扇歌 - Wiki で、その人が常陸久慈郡磯部村(現在の常陸太田市内)の出なのださう。扇歌の父は医師で四人兄弟姉妹の末っ子として生まれ幼名は子之松、のちに福次郎と改め桝屋福次郎。七歳で痘瘡を患つた際に医師である父親が「医書の真偽を確かめよう」と息子に痘瘡の病人には大毒といはれる鰹を与へ半失明となつたといふ。何とも惨い話だが17歳で三味線弾くやうになり江戸に出て噺家の初代・扇橋の弟子となり売れっ子の芸人に。何とも数奇な運命だが国道349号線(棚倉街道)の旧道で、この生家址に石碑があることも全く知らずにゐた。

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南町1丁目の交差点は水戸市街でいへば銀座4丁目の交差点のやう。茨城県で最初の、もしかすると唯一のスクランブル交差点があるところで今ではスクランブル交差点にしておく意味もないほど人通りも少ないのだが、この場所から少し離れたところ、銀座4丁目でいへば教文館書店か鳩居堂のあるやうなところにあつた空きビル(旧湊屋酒店)が半年程前に取り壊された。昭和の頃は南町2のツルヤ書店が、この湊屋のビルの大半を借り切り移転拡張してとても賑はつてゐたもの。放置されてゐた物件が取り壊しで更地になつたあと木造の建築工事が始まつたので何か新機軸で小売店舗の出現か?と思つてゐたら、なんとそこに建つたのは二棟続きの住宅で明らかに賃貸。一応は目抜き通りの中心地で、こんな場所に普通の住宅を建てるとは。

ポートアベニュー1 賃貸アパート 1階 101号室 1LDKの物件詳細 | いい部屋ネット

広さ40平米ほどの二階建ての「アパート」である。それほど市内中心部は商業的価値がないといふことか。空き地や駐車場が広がるよか「まだまし」かもしれないが。市街地に次々とマンションが建ち、それが穴吹建設のサーパスばかりなので〈バットマン〉のゴッサムシティぢゃないが「水戸は将来、サーパスシティになるのでは?」と言つてゐたが大東建宅によつて市街地が我孫子や牛久のやうな巨大な新興住宅地化されてゆくかもしれない(それにしては首都圏への通勤には遠いが)。